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中山マサ 衆議院議員
「本会議発言」(全期間)

中山マサ[衆]活動記録 : トップ選挙結果 | 本会議発言 | 委員会統計発言一覧議員立法質問主意書

28期(政府)TOP25
22位

中山マサ衆議院議員の在職時の本会議での質疑や答弁などの発言についてまとめています。発言回数、発言文字数、発言時の役職、立場、各発言の冒頭部分の内容の一覧が掲載されています。
 委員会や各種会議での発言等については委員会統計発言一覧のページを参照してください。
 下記リンクからページ内の各項目に飛ぶことができます。

ページ更新日:2024/02/08
データ入手日:2023/12/26

■発言統計  ■発言時役職  ■発言一覧


本会議発言統計(衆議院)

総合

在籍期
 
発言
順位
文字数
順位
 

23期
(1947/04/25〜)
発言数
1回
245位
発言文字数
398文字
327位

24期
(1949/01/23〜)
発言数
6回
154位
発言文字数
8795文字
221位

25期
(1952/10/01〜)
発言数
0回
-
発言文字数
0文字
-

26期
(1953/04/19〜)
発言数
0回
-
発言文字数
0文字
-

27期
(1955/02/27〜)
発言数
0回
-
発言文字数
0文字
-

28期
(1958/05/22〜)
発言数
2回
83位
発言文字数
3391文字
182位

29期
(1960/11/20〜)
発言数
1回
230位
発言文字数
2913文字
249位

31期
(1967/01/29〜)
発言数
1回
251位
発言文字数
3338文字
268位


衆議院在籍時通算
発言数
11回
899位
発言文字数
18835文字
1109位

※「発言」は発言が記録された本会議の数、「文字数」は発言として記録された文字の総数を示しています。


役職別

在籍期
議会役職
発言回数 発言文字数 順位
政府役職
非役職

23期
議会
0回
0文字
-
政府
0回
0文字
-
非役職
1回
398文字
311位

24期
議会
0回
0文字
-
政府
0回
0文字
-
非役職
6回
8795文字
205位

25期
議会
0回
0文字
-
政府
0回
0文字
-
非役職
0回
0文字
-

26期
議会
0回
0文字
-
政府
0回
0文字
-
非役職
0回
0文字
-

27期
議会
0回
0文字
-
政府
0回
0文字
-
非役職
0回
0文字
-

28期
議会
0回
0文字
-
政府
2回
3391文字
22位
TOP25
非役職
0回
0文字
-

29期
議会
0回
0文字
-
政府
0回
0文字
-
非役職
1回
2913文字
225位

31期
議会
0回
0文字
-
政府
0回
0文字
-
非役職
1回
3338文字
234位


通算
議会
0回
0文字
-
政府
2回
3391文字
431位
非役職
9回
15444文字
1123位

※「議会役職」は議長、副議長など国会の役職、「政府役職」は大臣などの内閣、政府関係の役職が記録に付されていた場合を集計し、「非役職」は議会役職、政府役職いずれでもない場合を集計しています。


本会議発言時役職(衆議院)

28期
厚生大臣政府、第36回国会)

※国会会期は各選挙期中で最初にその役職での発言が記録された会期を示しています。


本会議発言一覧(衆議院)

23期(1947/04/25〜)

第3回国会 衆議院本会議 第13号(1948/11/16、23期、民主自由党)

○中山マサ君 本日、海外残留同胞引揚促進の決議案が上程されましたが、私は民自党を代表いたしまして、心からなる賛意を表するものでございます。終戦後四年を経過いたしました今日、まだかかる決議案を私どもが上程せねばならぬほど、この引揚げが遅々として進まないのは、実に慚愧にたえない次第でございます。世間に傳えららておりまするところの、あの冷たい戰爭のうわさに脅かされながら、父や夫や子供の帰りを、ほとんど絶望にも近い氣持で待ちわびる人々の涙の物語を聞くたびに、私ども議会人の政治力の足らざるを憂えなければならないと、私は思つております。鉄のカーテンのかなたに残る同胞を、あるいは死に至らしめるかもしれないあ……


24期(1949/01/23〜)

第5回国会 衆議院本会議 第22号(1949/04/26、24期、民主自由党)

○中山マサ君 ただいま議題となりました海外同胞引揚促進並びに引揚者援護に関する決議案の趣旨弁明をいたします。  間もなくソ連よりの引揚が再開されようとしておりますとき、私ども本院海外同胞引揚に関する特別委員会におきましては、期せずして引揚げ促進とあわせて引揚者援護に関する決議案をつくることに意見の一致を見まして、今回委員全員の名前を連ねまして、ここに本決議案を提出した次第でございます。  まず最初に、私は海外同胞引揚促進並びに引揚者援護に関する決議案を朗読いたします。    海外同胞引揚促進並びに引揚者援護に関する決議   終戰以來今日まで連合國の積極的な好意により六百余万の同胞の引揚が実施さ……

第5回国会 衆議院本会議 第35号(1949/05/21、24期、民主自由党)

○中山マサ君 私は、海外同胞引場問題に関しまして緊急質問をいたすものでございます。  昨年は四月十六日に通報がございまして、五月六日には、すでに第一船がわが同胞を連れもどつたのでございます。本年もまた同じ時期にかくあるべしという心構えから、舞鶴あるいは函館、佐世保におきましては、引揚げの方々を受入れる態勢の準備を完了したということも、私ども引揚委員会の委員派遣によりまして、これを確認いたしたのでございます。そうして、この待ちます間にも、その留守家族の方々の陳情のお声を聞きますたびに、私どもは御同情の涙に暮れて参つたのでございます。その結果といたしましては、参衆両議院の議員連盟、またわが衆議院に……

第5回国会 衆議院本会議 第36号(1949/05/22、24期、民主自由党)

○中山マサ君 ただいま議題となりました引揚同胞対策審議会設置法の一部を改正する法律案につきまして、提案の趣旨弁明をいたします。  この審議会は、法律によりますと、その設置期間は施行の日より一年となつておりまして、本年八月三十一日で廃止されることになるのであります。そこで、この一年とありますのを、もう一年延長して二年に改めようというのが、本法律案の改正点てございます。この改正法律案を提出することにつきましては、各党の御了承を得まして、海外同胞引揚に関する特別委員会の委員全員を提出者とすることになつているのでございます。  なお改正の理由といたしましては、間もなくソ連領よりの引揚げが再開されようと……

第6回国会 衆議院本会議 第23号(1949/12/02、24期、民主自由党)

○中山マサ君 ただいま議題となりました在外同胞引揚促進に関する決議案につきまして、その趣旨を弁明いたします。  まずこの案文を朗読いたします。    在外同胞引揚促進に関する決議   既往四箇年にわたつて、在外同胞の引揚実施につき、連合国の好意を衷心より感謝する。   ポツダム宣言受諾以来、われわれが誠実にその実行に努めたことは、本年五月二日連合軍最高司令官マッカーサー元帥の声明によつて明らかなところである。   しかるに、ポツダム宣言第九条に宣明された捕虜並びに一般拘留同胞の本国送還の一部が未完了であり、拘留中における死亡者の氏名並びに戦犯関係抑留者の氏名のうちに、未発表の部分があることは、……

第7回国会 衆議院本会議 第45号(1950/04/30、24期、自由党)

○中山マサ君 ただいま議題となりました在外抑留同胞引揚促進に関する決議案につきまして、その趣旨弁明をいたします。  まずその案文を朗読いたします。    在外抑留同胞引揚促進に関する決議案   終戦以来五箇年にわたつて、連合国の好意により在外同胞の大多数の引揚が実施されたことは、全国民の深く感謝するところである。しかるに四月二十二日のタス通信は、在ソ同盟の同胞の本国送還が終つたと発表している。しかしながら、今なお相当多数の同胞の残留をわれわれは確信する。しかも抑留中における死亡者及び戦犯関係抑留者の氏名及び訴因が発表されぬ。このため外には、長期にわたつて、切々故国に思いを馳せつつ今なお労役に服……

第7回国会 衆議院本会議 第47号(1950/05/02、24期、自由党)

○中山マサ君 ただいま議題となりました未帰還同胞の引揚促進並びに実体調査等を国際連合を通じて行うことを懇請する決議案につきまして、その趣旨弁明をいたします。  まず案文を朗読いたします。   未帰還同胞の引揚促進並びに実体調査等を国際連合を通じて行うことを懇請する決議案日本国民は終戦以来「ポツダム」宣言を忠実に履行して今日に至つた。然るに終戰以来五ケ年に垂んとする今日なお三十有余万名の日本人がソ連並びにソ連の勢力下に有る地域(シベリヤ、樺太、北鮮、大連並びに中共地域を含む)に残留せしめられ生死不明の状況にある政府は総司令部を通じソ連に対してしばしば正式の報告を求めたにも拘らずソ連より何等正式の……


28期(1958/05/22〜)

第36回国会 衆議院本会議 第3号(1960/10/21、28期、自由民主党)【政府役職:厚生大臣】

○国務大臣(中山マサ君) 国民年金制度は所得保障制度であるということは、私が申すまでもないことでございましょうが、先ほど保利議員のお言葉の中にもございましたように、これは、社会保障制度中央審議会におきまして、社会党のお方々も、また、民社系のお方々も、その他の学者のお方々も、御一緒にここで御審議が行なわれ、しかも、三十四回国会におきまして、これが国会の大きな問題となりまして審議論争されたそのあとで国会を通過いたしました事実にかんがみまして、私は、なぜに、民主的と称せられるところの総評の方々が、かく民主的に通りました法案に対して、かくも猛烈に御反対をなさるか、その民主主義の程度を疑わざるを得ないの……

第36回国会 衆議院本会議 第4号(1960/10/22、28期、自由民主党)【政府役職:厚生大臣】

○国務大臣(中山マサ君) 社会保障制度の整備拡充につきましては、公共投資あるいは減税と並んだわが内閣の三本の柱でございます。それで、この一本でもはずれますと、池田内閣というものの存在が怪しくなるのではなかろうかという世間の批判もございますが、この三本の柱は確立されるものと私は信じております。と申しますのは、所得倍増論によりましてみなの所得がふえ、あるいは減税もございまして喜ばれる階層もございますけれども、こういう恩恵に取り残される階層がございます。私どもは、こういう方方にバランスのとれた政治をするということがわが池田内閣のモットーでございますので、それに沿いますために、生活の向上をはかることに……


29期(1960/11/20〜)

第40回国会 衆議院本会議 第8号(1962/02/02、29期、自由民主党)

○中山マサ君 ただいま議長から御報告がありました通り、本院議員正四位勲二等大矢省三先生は、かねて御病気療養中のところ、去る一月十九日朝、大阪市立桃山病院において逝去せられました。  大矢先生の温厚なお人柄を敬慕してやまなかった私は、今にわかに先生を失い、限りない悲痛と哀惜の念が胸に迫るのを覚えるのであります。  私は、ここに皆様方の御同意を得まして、議員一同を代表し、つつしんで哀悼の言葉を申し述べさしていただきます。(拍手)  大矢先生は、明治二十六年三月、三重県志摩郡阿児町にお生まれになりました。郷里の小学校を御卒業になった後、朝鮮に渡られましたが、大正元年大阪に居を定め、その後は終始大阪の……


31期(1967/01/29〜)

第60回国会 衆議院本会議 第1号(1968/12/10、31期、自由民主党)

○中山マサ君 ただいま議長から御報告のありましたとおり、本院議員川上貫一先生は、去る九月十二日逝去されました。  川上先生は、過般行なわれた大阪府和泉市における市議会議員の補欠選挙の応援に連日奮闘中、八月二十八日、自宅において突如病に襲われました。以来、病床にあって治療に専念され、一時小康を得られましたが、病にわかにあらたまり、ついに永遠の眠りにつかれたのであります。  私と川上先生とは所属する党派を異にし、いわば政敵として長い間選挙戦を相争ってまいりましたが、先生がかたい信念とあたたかい人間性をもってひたすら大衆のために献身された政治姿勢に対して、私は主義主張を越えて畏敬の念を抱いておりまし……


※このページのデータは国会会議録検索システムで公開されている情報を元に作成しています。

ページ更新日:2024/02/08
データ入手日:2023/12/26

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