このページでは吉川大介衆議院議員の25期(1952/10/01〜)における国会発言(質問、答弁等)をまとめています。国会活動の統計や役職、質問主意書の数や内容は25期国会活動統計で確認できます。
○吉川(大)委員 この機会にごく簡単に一、二質問いたしたいと思います。
日本の経済の自立は、貿易の振興にまたなければならぬことはいまさら申すまでもありませんが、それについては港湾の整備強化が必要であることもまた言をまたないのであります。しかるに今日までの政府のやり方を見ますと、港湾に対する関心がはなはだ少いように考えられるのであります。今後この港湾の整備強化について、当局は何か新たなる計画等をお持ちでありますかどうか。また今後やられる方法等につきまして、具体的な案がありましたらお聞かせを願いたいと思います。
【次の発言】 終戦以来日本海に投下された機雷等のために非常なる危険があつて、航海にも……
○吉川(大)委員 私もこの問題について幾多質問をし、あるいは御参考までに申し上げたい点が多々あるのでありますが、今正木委員から詳細申されましたので、私はいまさら申し上げません。全然正木委員と同様のことを考えております。なお場合によつては私もいろいろの事例をあとで申し上げてもよろしいのですが、あえてここで賛言を費しません。
○吉川(大)委員 関連して……。先般も海運局のことについて私は質問を申し上げたのでありますが、たまたま今永田委員から出ましたから、さらに申し上げたいと思うのであります。現在の海運局の位置あるいは管轄区域ということに対しては、全面的に考慮すべきじやないかと考えるのであります。たとえば富山県が名古屋の管轄になつているということ、また秋田が塩釜の管轄になつているというようなことは、当時のいわゆる政治力によつて、あなた方の考えそれ自身が歪曲されたのじやないかと私は考えております。こういうことは全面的にひとつ、今ちようど話が出たのでありますが、行政効果を上げるという点からも、さらに研究さるべきじやないか……
○吉川(大)委員 戦前新潟港が日満ルートの幹線として最も重要なる役割を勤めましたことは、いまさら申し上げるまでもありません。しかるところ、戦争末期において空襲によつて、完膚なきまでに戦禍をこうむりましたけれども、関係方面の協力を得ましてようやく復興を見まして今や戦前以上に整備せられ、外航船など大型船舶の入港もふえまして、一万トン級の船が入つて来ることは、先般当委員会におきまして港湾局長もお認めになつておるところであります。かくのごとく外航船の入港等増加の一途をたどる状態であり、また現在新潟港の本船荷役能力を有する岸壁の延長は三千六十五メートルに及びまして、少しく手を加えれば、一万トン級の繁船岸……
○吉川(大)委員 ただいま審議されております道路運送法の改正案は、先ほど小委員長の御報告にもありました通り、営業を受けんとして受け得ざる多数の人たち、また道路審議会あるいは陸運事務所、陸運局にからまる幾多スキャンダルの説も、この改正によりましてその根源を断ち、多数の営業をなし得ざる人たちが、明るい営業をなし得るようになりましたことは、まことに幸福なことであり、明朗な仕事ができることとなつたことは、私も愉快に感ずるところでありますが、これと同時に今後、今まで免許を受け得べくして受け得なかつた人たちが多数申請を出すことと存じますが、今日もこの免許の申請に対して何とも言いようのない、非常に多数の書類……
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