このページでは川口博衆議院議員が委員会や各種会議(※)で行った質問や答弁などの発言の冒頭部分と会議録本文へのリンクを一覧化しています。川口博衆議院議員「委員会統計」(全期間)には委員会および各種会議の活動状況の集計結果を示しています。本会議での発言の統計と一覧については本会議発言のページを参照してください。
※「各種会議」は本会議、常任委員会、特別委員会以外の会議録の存在する会議を指します。具体的には、小委員会、分科会、公聴会、調査会、審査会などです。
○川口(博)委員 動議を提出いたします。
委員長の互選は、投票によらないで、生方幸夫さんを委員長に推薦いたしたいと存じます。
【次の発言】 動議を提出いたします。
理事は、その数を八名とし、委員長において指名されることを望みます。
○川口(博)委員 民主党の川口博と申します。 まず、今回の東日本大震災でお亡くなりになられた皆様、そして被災に遭われた数多くの方々に心からお悔やみとお見舞いを申し上げたいと思います。 ただいまは、西村社長さん、大橋先生、永井常務、貴重な御意見、そして有益な情報に心から感謝を申し上げます。 実は、私の出身は秋田です。鉱山の町でした。そこの町長を五期務めさせていただきました。大変な状況だったんですが、その一つの要因は一九八五年のプラザ合意です。そのプラザ合意で、一ドル二百四十円が百二十円になり、いっとき八十円を切るまで急激な円高になりました。残念ながら、その影響で、鉱山はあらん限りの努力をし……
○川口(博)分科員 おはようございます。民主党・無所属クラブの川口博と申します。秋田二区からやってまいりました。 実は、昨年の四月まで、小さい町の町長を五期務めさせていただきました。昔は鉱山の町として大変栄えた町で、もちろん、鉄道も総合病院も、水道を含めてすべて完備された、東北を代表するような小さい町であったわけでありますが、一つのきっかけは、一九八五年、プラザ合意です。六十年のプラザ合意で円高が大きく進展をし、残念ながら秋田の鉱山、日本の鉱山はつぶれてしまいました。 当時、二十年前になりますが、ある意味では、今の日本の状況とうちの町はよく似ておったと思います。それは、働く場所がないですか……
○川口(博)分科員 川口博と申します。秋田の二区であります十和田の湖のほとりで生まれた男です。 実は、十和田のほとりは大変緑が豊かで、まさに緑のジャングルです。日本の国というのは、コンクリートのジャングルのような都会と十和田の緑のジャングルのような、そういう国、日本の国はある意味では二つに大きく分けられておるのかな、そう思っていますが、今まさに、私のふるさとであるその緑のジャングルの国日本が失われつつあると思っています。そういう意味では、緑のジャングルの日本がしっかりし、都会のジャングルの日本がしっかりし、そしてこの日本という国が世界のリーダーになっていけると思います。 田舎の方の光をどう……
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