松永東衆議院議員の在職時の本会議での質疑や答弁などの発言についてまとめています。発言回数、発言文字数、発言時の役職、立場、各発言の冒頭部分の内容の一覧が掲載されています。
委員会や各種会議での発言等については委員会統計/発言一覧のページを参照してください。
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※「発言」は発言が記録された本会議の数、「文字数」は発言として記録された文字の総数を示しています。
※「議会役職」は議長、副議長など国会の役職、「政府役職」は大臣などの内閣、政府関係の役職が記録に付されていた場合を集計し、「非役職」は議会役職、政府役職いずれでもない場合を集計しています。
※国会会期は各選挙期中で最初にその役職での発言が記録された会期を示しています。
○松永東君 私は、日本自由党を代表して、きわめて簡潔に二、三の質問を特に総理大臣に試みたかつたのであります。ところが、病気のゆえをもつて本日御欠席になつた。幸い緒方副総理がおいでになつておりますので、副総理にかわつて御答弁を願いたい。 先年保安隊の創立以来、憲法第九条の規定にその保安隊が違反するかどうかという問題は、その当時から、国会においても、学者においても、民間に勢いても議論が帰一しないところであります。一昨日も本日も、同僚議員と政府との間に幾多の質疑応答がとりかわされましたが、しかし私は、今もつて政府の答弁をもつてしては何としても納得することができません。私は、小数党でありますので、本……
○松永東君 このたびはからずも諸君の御推挙によりまして議長の席を汚すことになりましたことは、議員として光栄これに過ぐるものはありません。もとよりその任ではありませんが、誠心誠意その職責を全うすべく努力いたす考えであります。 現下の国情まことに憂慮にたえないものがあることは諸君御承知の通りであります。しかしながら、われら相ともに、憲政の擁護と民主政治の確立に精進し、国民大衆の福祉増進と生活の安定とに努力し、もつて国民の委託に沿いますならば、信を国民に得るはもちろん、国家の最高機関たる国会の権威もまた大いに張り、政治の安定も期し得らるべしと信ずるものであります。 私は、微力ながら、公潔持平、議……
○議長(松永東君) これより会議を開きます。
【次の発言】 お諮りいたします。両院法規委員武知勇記君から委員を辞任したいとの申出があります。これを許可するに御異議ありませんか。
【次の発言】 御異議なしと認めます。よつて許可するに決しました。
【次の発言】 つきましては、この際両院法規委員の補欠選挙を行います。
【次の発言】 山中君の動議に御異議ありませんか。
【次の発言】 御異議なしと認めます。議長は両院法規委員に宮原幸三郎君を指名いたします。(拍手)
【次の発言】 お諮りいたします。中村高一君外二十七名提出、政治資金規正法の一部を改正する法律案、島上善五郎君外一名提出、公職選挙法の一部を改……
○議長(松永東君) これより会議を開きます。
【次の発言】 副議長原彪君より副議長の辞表が提出されております。これにつきお諮りいたします。まずその辞表を朗読いたさせます。
辞職届
私儀
今般都合ニヨリ衆議院副議長ヲ辞任致シマス
右御届ケ致シマス
昭和二十九年十二月十五日
原 彪
衆議院議長松永東殿
【次の発言】 採決いたします。原彪君の辞職を許可するに御異議ありませんか。
【次の発言】 御異議なしと認めます。よつて許可するに決しました。
【次の発言】 つきましては、これより副議長の選挙を行います。選挙の手続につきましては衆……
○議長(松永東君) これより会議を開きます。
【次の発言】 議員山本正一君から辞表が提出されております。これにつきお諮りいたします。まずその辞表を朗読いたさせます。
〔参事朗読]
辞職願
私儀
今般衆議院議員を辞職いたし度いから御許可下されたく此段御願いたします。
昭和二十九年十二月十七日
神奈川県選出
衆議院議員 山本 正一
衆議院議長松永東殿
【次の発言】 採決いたします。山本正一君の辞職を許可するに御異議ありませんか。
【次の発言】 御異議なしと認めます。よつて許可するに決しました。
○議長(松永東君) これより会議を開きます。
【次の発言】 長谷川君の動議に御異議ありませんか。
【次の発言】 御異議なしと認めます。よつて日程は追加せられました。
褒賞制度拡充に関する決議案を議題といたします。提出者の趣旨弁明を許します。大野伴睦君。
【次の発言】 採決いたします。本案を可決するに御異議ありませんか。
【次の発言】 御異議なしと認めます。よつて本案は可決いたしました。
【次の発言】 長谷川君の動議に御異議ありませんか。
【次の発言】 御異議なしと認めます。よつて日程第一は延期するに決しました。
【次の発言】 日程第二は、委員長提出の議案でありますから、委員会の審査を省略する……
○議長(松永東君) これより会議を開きます。
【次の発言】 内閣総理大臣から施政方針に関し、外務大臣から外交に関し、大蔵大臣から財政経済に関し発言を求められております。順次これを許します。内閣総理大臣鳩山一郎君。
【次の発言】 外務大臣重光葵君。
【次の発言】 大蔵大臣萬田尚登君。
【次の発言】 静粛に願います。
【次の発言】 長谷川君の動議に御異議ありませんか。
【次の発言】 御異議なしと認めます。よつて動議のごとく決しました。
【次の発言】 これより日程第一に入ります。中央選挙管理会の委員一名欠員となつております。よつて同委員の指名を行います。
○議長(松永東君) これより会議を開きます。
【次の発言】 国務大臣の演説に対する質疑に入ります。緒方竹虎君。
【次の発言】 鈴木茂三郎君。
〔「外務大臣に答弁させろ」と呼び、その他発言する者多し]
【次の発言】 なおこの際申し上げますが、先ほどの緒方君の外交質問に対し、外務大臣よりも答弁願いたいとの要求がありますから、外務大臣が答弁せられるならば、この際お願いいたしたいと思います。御答弁ありますか。
【次の発言】 河上丈太郎君。
【次の発言】 ただいまの河上君の発言中、もし不穏当の言辞があれば、速記録を取調べの上、適当の処置をとることといたします。
これより答弁を願います。内閣総理……
○議長(松永東君) これより会議を開きます。
【次の発言】 御報告いたすことがあります。議員河原田稼吉君は一昨二十二日逝去せられました。まことに痛惜哀悼の至りにたえません。
この際、弔意を表するため鈴木義男君から発言を求められております。これを許します。鈴木義男君。
【次の発言】 ただいま鈴木君から提出されました動議に御異議ありませんか。
【次の発言】 御異議なしと認めます。よつて動議は可決せられました。
ここに議長の手元において起草いたしました文案を朗読いたします。
衆議院ハ多年憲政ノ為二尽津シ再度国務大臣ノ重任ニアタリタル議員正三位勲二等河原田稼吉君ノ長逝ヲ哀悼シ恭シク弔詞ヲ呈ス
……
○国務大臣(松永東君) 多賀谷君の御質問の中で、文教政策に関する問題について答弁をいたしたいと思います。 まず、御指摘になりましたもののうちの道徳教育から申し上げてみたいと存じます。現在、道徳教育は、小中学校における社会科を初め、各教科その他の教育活動の全体を通じて行われておることは、御承知の通りであります。その実情は、まだ必ずしも所期の効果を上げておるとは言えません。今後も学校教育の全体を通じて行う方針は、これは変更いたしません。やはりこれでいくつもりでありますが、しかし、現状を反省いたしまして、その欠陥を是正し、その徹底強化をはかるために、新たに道徳教育のための時間を特に設置したい、こう……
○国務大臣(松永東君) 野原議員の御質問に対して、私に対する分について御答弁をいたします。 その第一は、勤務評定は、わが国では学問的な研究もないのであるから、実施に当っては、学者の意見を聞いて、さらにまた世論にも問うて、十分研究の上、慎重を期すべきである、こういう問題であります。御承知の通り、勤務評定は、職員の研修、適正配置、昇給、昇進、褒賞等、人事管理をより適切に行うための基礎資料として必要なものでございます。これを実施して教職員の人事管理の適正を期そうとするところであります。申すまでもなく、精励恪勤の努力者と職務に不熱誠な者と同様の取扱いをするということは悪平等でございます。不平等でござ……
○国務大臣(松永東君) 竹内議員の私に対する御質問に対して、きわめて簡単に御答弁いたしたいと存じます。 まず、御質問の要旨は、放送を通じて教育の構想と計画についてどういうふうに考えておるか、こういうような御質問でございます。これに対してお答えをいたしますが、御承知の通り、わが国での放送の教育利用は昭和八年から行なっておりまして、現在では小学校、中学校、高等学校においては、その九〇%以上がラジオ受信施設を持つ状態でございます。また、その教育上の利用も相当程度進んでおることは、御承知の通りでございます。また、テレビジョン放送は昭和二十八年から行われましたが、その教育的利用は現在、聴視可能の地域内……
○国務大臣(松永東君) ただいま御決議になりましたこの御決議に対しまして、一言述べる機会をお許し願いたいのであります。 オリンピック大会を東京に招致するということは、全国民の強い要望でございます。従ってただいまの御決議に対しまして政府といたしましては、十分その趣旨を尊重いたしましてあらん限りの力を尽して招致するように努力したいと存じます。 これだけ申し上げさせていただきます。(拍手)
○松永東君 ただいま、私が満二十五年本院議員に在職したゆえをもちまして、院議をもって御丁重なる表彰の決議をいただきました。まことに感激の至りでありまして、つつしんで御礼を申し上げます。 私が初めて本院に議席を得ましたのは、昭和七年の第十八回総選挙においてでありました。当時、わが国の議会政治は非常の難局に直面し、政党人は議会主義の伝統を守るために必死の努力を傾けておったのであります。私もまた、先輩同僚に伍して、及ばずながら力をいたしましたが、いわゆる五・一五事件、二・二六事件等突発し、続いて、日支事変起こり、太平洋戦争に発展し、民族不幸のどん底におちいったのであります。 このころ、政党政治の……
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