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河野密 衆議院議員
「本会議発言」(全期間)

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本会議発言歴代TOP500(衆)
324位

25期TOP50
50位
30期TOP50
31位
30期(非役職)TOP25
15位

河野密衆議院議員の在職時の本会議での質問や答弁などの発言回数・文字数、発言時の役職、立場、各発言冒頭の一覧を掲載しています。委員会や各種会議での発言等については委員会統計発言一覧のページを参照してください。

ページ更新日:2024/12/01
データ入手日:2024/10/20

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■発言統計  ■発言時役職  ■発言一覧


本会議発言統計(衆議院)

総合

在籍期
 
発言
順位
文字数
順位
 

発言数
1回
63位
発言文字数
7299文字
50位
TOP50

26期
(1953/04/19〜)
発言数
0回
-
発言文字数
0文字
-

発言数
2回
180位
発言文字数
19087文字
57位

発言数
1回
149位
発言文字数
2516文字
205位

発言数
1回
230位
発言文字数
2084文字
276位

発言数
3回
110位
発言文字数
21866文字
31位
TOP50

発言数
2回
172位
発言文字数
4160文字
252位

32期
(1969/12/27〜)
発言数
0回
-
発言文字数
0文字
-


衆議院在籍時通算
発言数
10回
981位
発言文字数
57012文字
324位
TOP500

※「発言」は発言が記録された本会議の数、「文字数」は発言として記録された文字の総数を示しています。


役職別

在籍期
議会役職
発言回数 発言文字数 順位
政府役職
非役職

議会
0回
0文字
-
政府
0回
0文字
-
非役職
1回
7299文字
40位

26期
議会
0回
0文字
-
政府
0回
0文字
-
非役職
0回
0文字
-

議会
0回
0文字
-
政府
0回
0文字
-
非役職
2回
19087文字
44位

議会
0回
0文字
-
政府
0回
0文字
-
非役職
1回
2516文字
183位

議会
0回
0文字
-
政府
0回
0文字
-
非役職
1回
2084文字
251位

議会
0回
0文字
-
政府
0回
0文字
-
非役職
3回
21866文字
15位
TOP25

議会
0回
0文字
-
政府
0回
0文字
-
非役職
2回
4160文字
220位

32期
議会
0回
0文字
-
政府
0回
0文字
-
非役職
0回
0文字
-


通算
議会
0回
0文字
-
政府
0回
0文字
-
非役職
10回
57012文字
193位

※「議会役職」は議長、副議長など国会の役職、「政府役職」は大臣などの内閣、政府関係の役職が記録に付されていた場合を集計し、「非役職」は議会役職、政府役職いずれでもない場合を集計しています。


本会議発言時役職(衆議院)

 在職時に衆議院本会議での議会役職、政府役職の立場からの発言記録なし。

本会議発言一覧(衆議院)

25期(1952/10/01〜)

第15回国会 衆議院本会議 第35号(1953/03/02、25期、日本社会党(右))

○河野密君 私は、日本社会党を代表して、ただいま議題となりました昭和二十八年度予算各案に対して反対し、わが党提出の組みかえ動議に賛成をいたすものであります。(拍手)  昭和二十八年度予算各案は、独立後における最初の年度予算としてきわめて重大なものでありますが、私の見るところによれば、これらの予算案には四つの欺瞞があると存じます。  第一は、予算規模の問題であります。政府は、一般会計予算を九千六百五億円に食いとめ、危険信号とも称すべき一兆の線よりはるかに下まわる予算を圧縮編成したるがゆえに、一大成功であると自画自讃いたしておるのであります。けれども、しさいに検討を加えてみますると、前年度において……


27期(1955/02/27〜)

第23回国会 衆議院本会議 第4号(1955/12/05、27期、日本社会党)

○河野密君 私は、日本社会党を代表して、内治、外交の重要課題に関し、鳩山首相並びに関係閣僚に対して質問せんとするものであります。  先日、鳩山首相より、第三次鳩山内閣の政治方針の表明があり、また重光外相より外交経過の報告がありました。率直に申しまして、いずれも砂をかむごとく単調なもので、義理にも国民の期待に沿うものとは言われなかったのであります。(拍手)ことに、今臨時国会開催の中心課題である地方財政に関しましては、不思議なことに、一言半句の説明がなかったのであります。これには与党の諸君の間にも相当御不満がおありのようで、ついに一昨日の本会議はお流れになるという不始末でございました。(拍手)かく……

第26回国会 衆議院本会議 第5号(1957/02/05、27期、日本社会党)

○河野密君 私は、日本社会党を代表して、石橋内閣に対して、内治、外交の重要路線につき二、三の質疑を試みんとするものであります。(拍手)  昨年十二月、鳩山首相がその宿願の通り政界を引退いたしまするや、総裁の公選によって石橋湛山君が自由民主党の総裁に選ばれ、第二十六回国会の劈頭に当って首班に指名されて、石橋内閣の成立を見たのであります。病鳩山首相の痛々しい姿に二年間焦燥を感じていた国民も、久しぶりに健康首相を見得ることに消極的な喜びを感じたと存ずるのであります。(拍手)しかし、かくして生まれた石橋内閣も、その組閣に当っては、まず派閥抗争につまずき、引き続いて予算編成の不手ぎわによって国民の信頼を……


28期(1958/05/22〜)

第36回国会 衆議院本会議 第2号(1960/10/18、28期、日本社会党)

○河野密君 私は、諸君の御同意を得て、議員一同を代表し、故本院議員正三位勲一等犬養健君に対し、つつしんで哀悼の言葉を申し述べたいと存じます。  私どもは、昨年来、犬養君が健康を害し御静養中と承り、御回復の一日もすみやかならんことを心から祈り上げていたのであります。しかるに、不幸にも御本復を見るに、至らなかったことは、まことに痛恨きわまりない次第であります。(拍手)  犬養君は、わが国憲政の先覚者の一人であり、後には内閣総理大臣の重責をになわれた木堂犬養毅先生の長男でありまして明治二十九年七月、東京で出生されました。  長じて学習院に学び、大正六年、東京大学文学部に進まれましたが、生来芸術を愛し……


29期(1960/11/20〜)

第43回国会 衆議院本会議 第50号(1963/07/06、29期、日本社会党)

○河野密君 ただいま議長から御報告のありましたとおり、本院議員花村四郎君は、七月一日朝、神田駿河台の日本大学病院において逝去せられました。私は、日ごろから花村君の清廉な人格に深く敬服いたしておりましたので、君の計報に接し、驚愕おくところを知らなかったのであります。  いま諸君のお許しを得て、議員一同を代表し、追悼のことばを申し述べますに際して、痛恨の情さらに新たなるを覚えるのであります。(拍手)  花村君は、明治二十四年八月、長野県南安曇郡豊科晦に生まれました。若くして青雲の志を抱いて上京し、日本大学法科に学び、文字どおり苦学力行の末、大正六年に卒業されました。引き続き母校の研究室において研さ……


30期(1963/11/21〜)

第46回国会 衆議院本会議 第4号(1964/01/23、30期、日本社会党)

○河野密君 私は、日本社会党を代表して、当面の政治課題について、池田内閣の施策をただし、われわれの納得し得ない多くの点に関して、国民とともに政府の責任を追及せんとするものであります。(拍手)  一九六四年を迎え、早くもちまたには前途多難の声が伝えられ、内憂外患こもごも起こるのではないか、日本を取り巻く四囲の情勢は一段ときびしさを加えるのではないかとの声が高まっております。  昨年の総選挙において最大の課題となった高度成長政策是非の問題、消費者物価高騰の問題は、昭和三十九年度予算編成を通じても何ら具体的の解決を見ないまま経済情勢は刻一刻と深刻の度を加えてまいりました。(拍手)これは具体的には証券……

第49回国会 衆議院本会議 第1号(1965/07/22、30期、日本社会党)

○河野密君 ただいま議長から御報告のありましたとおり、本院議員河野一郎君は、去る七月八日午後七時五十五分、思いがけぬ病気のため、目黒の自宅において急逝されました。まことに痛惜の念にたえません。  ここに、私は、諸君の御同意を得まして、議員一同を代表し、つつしんで哀悼のことばを申し述べたいと存じます。(拍手)  河野君は、明治三十一年六月、神奈川県小田原市に生まれました。父君は、県下の徳望家として聞こえ、長い間県会議員をつとめ、県会議長にもなられた方でありました。  君は、そのすぐれた資質を受け、小田原中学を経て、早稲田大学政治経済学部に進み、大正十二年に卒業し、東京朝日新聞社に入社されました。……

第51回国会 衆議院本会議 第51号(1966/05/14、30期、日本社会党)

○河野密君 私は、日本社会党を代表して、佐藤内閣に対する不信任案の提案の趣旨説明をいたしたいと存じます。(拍手)  まず、主文を朗読いたします。   本院は、佐藤内閣を信任せず。    右決議する。  不信任案提案の第一の理由は、佐藤内閣の経済政策の失敗であります。  佐藤総理は、本年一月の施政演説において、国民の生活を守り、これを向上させることは、国民に奉仕する政府の任務であり、政治の眼目であると述べております。しかしながら、その佐藤内閣のもとで、国民の生活を脅かす消費者物価の上昇が著しく、中小企業の倒産は増加し、国民の生活はますます苦しくなるばかりであるということは、何という皮肉でありまし……


31期(1967/01/29〜)

第55回国会 衆議院本会議 第10号(1967/04/28、31期、日本社会党)

○河野密君 ただいまは私の本院在職二十五年に及びましたことに対し、御丁重な表彰の御決議をいただき、まことに感謝にたえません。ここにつつしんで御礼を申し上げます。(拍手)  私が初めて本院に議席を得ましたのは、昭和十一年二月二十日、あたかも二・二六事件の直前でございました。時代はまことに流動的で、国会の内外も終始不安な空気に包まれておりました。濱田國松氏と寺内陸相との間の切腹問答も、齋藤隆夫氏のシナ事変処理についての内閣糾弾演説も、私はこの目で見、この耳で聞きました。近衛新体制運動が起こり、国会が日一日とその権威を失墜し、無力化する姿も、つぶさに見てまいりました。そして、すべてが徒労に終わって、……

第55回国会 衆議院本会議 第41号(1967/07/18、31期、日本社会党)

○河野密君 ただいま議長から御報告のありましたとおり、本院議員清瀬一郎先生は、去る六月二十七日、にわかに逝去されました。本院は、最も畏敬すべき先輩の一人を失ったのでありまして、痛恨のきわみであります。  ここに、諸君の御同意を得て、議員一同を代表し、つつしんで追悼のことばを申し述べたいと存じます。(拍手)  先生は、明治十七年七月、兵庫県飾磨郡夢前町にお生まれになり、長じて京都帝国大学法科大学を卒業し、司法官試補として研さんを積まれました。やがて大阪市において弁護士の業務に従われましたが、大正二年にヨーロッパ留学への旅に立ち、大正四年まで、英、独、仏の諸国において学ばれたのであります。  とき……


※このページのデータは国会会議録検索システムで公開されている情報を元に作成しています。

ページ更新日:2024/12/01
データ入手日:2024/10/20

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