岩永裕貴衆議院議員の在職時の本会議での質疑や答弁などの発言についてまとめています。発言回数、発言文字数、発言時の役職、立場、各発言の冒頭部分の内容の一覧が掲載されています。
委員会や各種会議での発言等については委員会統計/発言一覧のページを参照してください。
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※「発言」は発言が記録された本会議の数、「文字数」は発言として記録された文字の総数を示しています。
※「議会役職」は議長、副議長など国会の役職、「政府役職」は大臣などの内閣、政府関係の役職が記録に付されていた場合を集計し、「非役職」は議会役職、政府役職いずれでもない場合を集計しています。
○岩永裕貴君 日本維新の会の岩永裕貴でございます。 まさに今、田植えの季節となりました。広がる新緑の苗が風になびき、全国の集落では豊作を祈るお祭りが行われ、地域のコミュニティーが一気ににぎわいを見せる、私の一番好きな季節でもあります。 これから、その若い苗は、時には強い風雨や、時には嵐にも耐えながら、黄金色に輝き、強く、立派な稲穂として成長していきます。 日本の農政も、取り巻く厳しい環境に合わせて大きな変化が求められるがゆえに、時には困難を伴う道のりではありますが、堂々と根を張り、天に向かって成長する稲穂のように、強く、プライドある農政の改革をなし遂げる覚悟を持ち、会派を代表して、ただい……
○岩永裕貴君 維新の党、岩永裕貴です。(拍手) 初めに、地震、火山噴火、水害そして土砂災害など、近年頻発している自然災害によりとうとい命を亡くされた方々の御冥福を心よりお祈り申し上げます。また、もとの生活を取り戻そうと多くの困難に立ち向かわれている被災者の方々にお見舞い申し上げます。 私の生まれ育った滋賀県甲賀市信楽町多羅尾という山奥の小さな集落は、昭和二十八年、局地的な豪雨に襲われ、当時、山津波と言われた土砂災害により四十四名もの命が奪われ、約四割の家屋が全半壊したという大変悲しい厄災を経験した地域です。約七十年が過ぎた今なお、その爪跡は住民の心に深く残されています。 また、先月には、……
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