このページでは、田口一男衆議院議員が提出した質問主意書に関する情報をまとめています。質問主意書の提出数、質問主意書の件名、質問と政府からの答弁の冒頭部分を一覧にしています。質問と答弁については衆議院ウェブサイトの本文に飛ぶことができます。
33期(1972/12/10〜)
住友重機及びその関連企業の富田機器、日特金属の労使紛争に関する質問主意書
第75回国会 衆議院 質問主意書 第17号(1975/04/15提出、33期、会派情報無し)
質問内容東京都千代田区大手町二丁目二番一号に本社を置く、住友重機械工業株式会社(以下住重機という)及びその関連企業である日特金属株式会社(東京都田無市谷戸町二丁目一の一、以下日特金属という)、株式会社富田機器製作所(三重県四日市市富田二丁目八の一四、以下富田機器という)の労使紛争について次のとおり質問いたしたい。
一 昭和四六年八月以降会社の住重機の労働組合である全金住友重機械支部(以下住重機支部という…
答弁内容一について
1 住友重機械工業株式会社(以下「住友重機」という。)には、従来、全日本造船機械労働組合浦賀分会(以下「浦賀分会」という。)、同玉島分会(以下「玉島分会」という。)及び総評全国金属労働組合住友重機械支部(以下「住友重機支部」という。)の三労働組合(以下「旧三労組」という。)があつたが、浦賀分会及び玉島分会において、昭和四十六年春ころから組合執行部の方針に批判的なグループがいわゆる「民…
住友重機及びその関連企業の富田機器、日特金属の労使紛争に関する質問主意書
第77回国会 衆議院 質問主意書 第1号(1976/02/26提出、33期、会派情報無し)
質問内容住友重機及びその関連企業の富田機器、日特金属の労使紛争に関する問題は極めて重大であるので次の事項について質問する。
一 昭和五十年四月二十二日(内閣衆質七五第一七号)で答弁書の送付があつた標記の各社における労使の紛争についてその後の経過と現状について明らかにされたい。
二 昭和五十年四月二十二日以降、地方労働委員会において、住友重機、日特金属、富田機器の各社が行つた不法、不当行為すなわち不当労…
答弁内容一 について
住友重機械工業株式会社(以下「住友重機」という。)、株式会社富田機器製作所(以下「富田機器」という。)及び日特金属工業株式会社(以下「日特金属」という。)における昭和五十年四月以降の労使紛争については、住友重機においては、同社と総評全国金属労働組合住友重機械支部(以下「住友重機支部」という。)との間で、昭和五十年十月末から労使紛争の解決のための話合いが行われ、日特金属においては、関…
34期(1976/12/05〜)
日本化学工業株式会社のクロム工の疫学調査に関する質問主意書
第84回国会 衆議院 質問主意書 第56号(1978/06/15提出、34期、会派情報無し)
質問内容労働省が、日本化学工業株式会社(以下「日化工」という。)のクロム工について行つている疫学調査には、クロム被害労働者のみならず職業病、公害のすべての被害者の利害に係わる重大な問題があるので、本年二月二十八日、社会労働委員会で当職が質問したが、当局より明確な答弁がなかつたばかりでなく、重大な事項について虚偽の答弁を行つた疑いがあるので、ここに改めて書面で質問する。
一 クロム疫学調査の目的は何か。
…
答弁内容一について
クロム酸塩製造労働者に発生したがんのうち肺及び上気道のがんについては、昭和五十一年一月三十一日付け基発第百二十四号の認定基準通達に基づき労災認定を行つているが、現在、クロム障害に関する専門家会議(以下「専門家会議」という。)において、肺及び上気道以外の部位のがんとクロム酸塩製造工程における業務との因果関係について検討を行つており、その検討資料とするため日本化学工業株式会社のクロム工に…
36期(1980/06/22〜)
三重造船の企業債権と国際興業の社会的責任並びに労使紛争に関する質問主意書
第96回国会 衆議院 質問主意書 第17号(1982/06/22提出、36期、会派情報無し)
質問内容三重県四日市市富双一丁目一番地の二に本社を置く更生会社三重造船株式会社(以下「会社」という。)(代表管財人田中覚氏、関野昭治氏)の会社更生法に基づく再建と労使紛争並びに東京都中央区八重洲二丁目九の十五国際興業株式会社(以下「国際興業」という。)(代表者、代表取締役小佐野栄)の会社に対する社会的責任につき次の事項について質問する。
一 昭和五十二年三月三日、会社は会社更生法の申請を津地裁四日市支部…
答弁内容一について
三重造船株式会社(以下「会社」という。)は、昭和五十三年六月三十日に更生計画の認可を受け、同計画に従い、昭和五十四年三月、昭和五十五年三月及び昭和五十六年三月に更生債権の弁済を行う等、その遂行に当たつてきたところであるが、昭和五十六年度に入り、資金繰りが特に悪化し、昭和五十七年三月には更生計画どおりに更生債権の弁済を行うことが不可能となり、その後二重造船契約が問題となつたこと等もあつ…