このページでは大城真順参議院議員の13期(1983/06/26〜)における国会発言(質問、答弁等)をまとめています。国会活動の統計や役職、質問主意書の数や内容は13期国会活動統計で確認できます。
○説明員(大城眞順君) 沖縄開発政務次官を引き続き担当することになりました大城眞順でございます。 もとより微力ではございますが、河本沖縄開発庁長官のもとで沖縄の振興開発計画という重要な職責の遂行に全力を傾注する所存でございますので、委員長初め委員の皆様方の御指導と御鞭撻を心からお願い申し上げます。(拍手)
○政府委員(大城眞順君) 昨年暮れの第二次中曽根内閣の発足に際し、沖縄開発政務次官を拝命いたしました大城眞順でございます。 もとより微力ではございますけれども、中西長官のもとで沖縄振興開発の推進のため全力を尽くす決意であります。委員長を初め委員の皆様方の御指導と御支援を心からお願い申し上げまして、ごあいさつといたします。
○政府委員(大城眞順君) 先生の御意見に従いまして一生懸命頑張っていきたいと思います。ありがとうございました。
○政府委員(大城眞順君) ただいま大臣からお答えいただいたとおりでございますけれども、異口同音ではございましょうけれども、私なりの感じ方を申し述べてみたいと思います。 この「万国津梁の鐘の鐘銘、」これは県民の中でたくさんの方々が座右の銘として受けとめているのではないか、このように考えておるところでございます。この津梁の鐘の銘文の意義につきましては、過去、現在、将来にわたって一貫した私は理念があると思います。そういうことで、沖縄県民の精神的な面で県民の胸に脈々と打つものがあるのではないか、このように考えておるわけでございます。したがいまして、この銘文は沖縄県民の子々孫々にわたっての未来永劫にわ……
○大城眞順君 沖縄が戦後直ちに米軍の占領下に入って以来、特に一九五二、三年から数カ年にかけまして、沖縄の基地建設あるいはまた基地運営に従事しておりましたフィリピンの方々が二、三万おられたという戦後の流れがございます。そのフィリピンの男性の方々が沖縄の娘を嫁にいたしまして、基地建設が終わると同時にほとんどフィリピンに引き揚げていきました。そしてその結婚の結果、二世、三世を含めまして、沖縄の血をひいたフィリピン人、結婚しておりますのでフィリピン国籍でありますけれども、約三千名の沖縄関係者がおられるということが言われております。もちろん数字はこの方々が言っている数字でございますので定かではございませ……
○大城眞順君 日本農業の停滞が近年著しく、いろんな面で変化し進歩してきているということは御案内のとおりでございます。そういうことを二、三面から考察してみたいと思います。 まず、手や足を土にまみれてやってまいりました、ほとんど肉体労働によるマニュアルレーバー式な農業、これが原始的な農業であり、また、つい最近までの農業であったわけでございます。それが一歩進みまして、機械化農業というふうになりまして、これは我々メカニカル・カルティベーションと言っておりますけれども、そういった農法に変わってきた。そして今度は二十一世紀に向けてバイオサイエンス、バイオテクノロジーを網羅した一つの農業に変わっていきつつ……
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