守住有信参議院議員の在職時の本会議での質疑や答弁などの発言に関してまとめています。発言回数、発言文字数、発言時の役職、立場、各発言の冒頭部分の内容が掲載されています。
委員会や各種会議での発言等については委員会統計/発言一覧のページを参照してください。
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※「発言」は発言が記録された本会議の数、「文字数」は発言として記録された文字の総数を示しています。
※「議会役職」は議長、副議長など国会の役職、「政府役職」は大臣などの内閣、政府関係の役職が記録に付されていた場合を集計し、「非役職」は議会役職、政府役職いずれでもない場合を集計しています。
○守住有信君 ただいま議題となりました自由民主党、日本社会党・護憲共同、公明党・国民会議、日本共産党、民社党・国民連合、二院クラブ・革新共闘及びサラリーマン新党・参議院の会の各派共同提案に係る北方領土問題の解決促進に関する決議案につきまして、発議者を代表して提案の趣旨を御説明いたします。 まず、案文を朗読いたします。 北方領土問題の解決促進に関する決議案 わが国固有の領土である歯舞、色丹及び国後、択捉等の北方領土の島々が、戦後四十年余、日ソ共同宣言による国交回復から数えて三十年余を経た今日もなお返還されず、日ソ両国間に平和条約が締結されていないことは、誠に遺憾なことである。 ……
○守住有信君 私は、自由民主党を代表して、昭和六十二年度決算外二件に対して、これを是認することに賛成の討論を行うものであります。 是認に賛成する第一の理由は、昭和六十二年度の経済運営により、昭和六十一年十一月にスタートした史上第二位の、もしかすれば第一位にまでなりそうな長期経済成長の基盤が固まったからであります。 すなわち、昭和六十二年度の経済は、円高による不況からようやく脱した段階に年度初めを迎えましたが、内需を中心とした景気の持続的拡大、雇用の拡大及び地域経済の活性化等の国内経済の課題と、我が国の国際社会の地位にふさわしい役割と責任を担うため、対外不均衡を是正し、自由貿易体制を維持強化……
○守住有信君 ただいま議題となりました給与関係三法律案につきまして御報告申し上げます。 まず、一般職の職員の給与等に関する法律の一部を改正する法律案は、本年八月の給与についての人事院勧告を完全実施しようとするものであります。 その主な内容は、一般職の職員の給与について、全俸給表の全俸給月額、初任給調整手当及び通勤手当等の額を本年四月から引き上げるとともに、扶養手当の支給要件である扶養親族の範囲の拡大、民間賃金等の極めて高い地域に係る調整手当の支給割合の引き上げ等を行おうとするものであります。 次に、特別職の職員の給与に関する法律の一部を改正する法律案は、一般職の職員の給与改定にあわせて特……
○守住有信君 ただいま議題となりました法律案につきまして御報告申し上げます。 本法律案は、最近の経済情勢等にかんがみ、恩給受給者に対する処遇の適正な改善を図るため、恩給年額及び各種恩給の最低保障額を本年四月分から二・六六%引き上げるほか、七十五歳以上の者に係る普通恩給及び普通扶助料の最低保障額並びに傷病者遺族特別年金の年額についてさらに引き上げるとともに、寡婦加算及び遺族加算についても、その額を本年四月分からそれぞれ引き上げようとするものであります。 委員会におきましては、恩給改定方式のあり方、各種加算の改善問題、戦後処理問題等について質疑が行われましたが、その詳細は会議録によって御承知願……
○守住有信君 ただいま議題となりました両案につきまして御報告申し上げます。 まず、皇太子徳仁親王の結婚の儀の行われる日を休日とする法律案は、本年六月九日に国の儀式として行われる皇太子徳仁親王殿下の結婚の儀に際し、国民こぞって祝意を表するため、結婚の儀の行われる日を休日としようとするものであります。 次に、日本国憲法第八条の規定による議決案は、皇室が、皇室経済法施行法第二条に規定するもののほか、皇太子徳仁親王殿下の御結婚に際し、平成五年七月三十日までの間において、社会福祉事業の資に充てるため五百万円以内を賜与すること、並びに、平成五年六月一日から七月二十日までの間において、内閣の定める基準に……
○守住有信君 本院議員藤江弘一君は、去る六月七日、急性心不全のため東京都港区の虎の門病院において急逝されました。 その日の朝、藤江君は、終盤国会の運営に取り組む国会対策委員会に出席された後、次の政治改革関係の会合へ向かう車中で倒れ、わずか数時間の後に不帰の客となられました。突然の悲報に接し、まことに痛惜哀悼の念にたえません。 私は、ここに、皆様のお許しをいただき、議員一同を代表して、正四位勲二等故藤江弘一君の御功績をしのび、謹んで追悼の言葉をささげます。 藤江君は、昭和五年一月、父君の勤務地である旧朝鮮京城府に生まれ、戦後静岡県磐田市に引き揚げた後、山口県徳山中学、同高校を経て、昭和二十……
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