このページでは苫米地義三衆議院議員の24期(1949/01/23〜)における国会発言(質問、答弁等)をまとめています。国会活動の統計や役職、質問主意書の数や内容は24期国会活動統計で確認できます。
○苫米地義三君 私は、共産党を除く野党各派を代表いたしまして、吉田内閣の不信任案に関する趣旨弁明をいたすものであります。 まず決議文を朗読します。 吉田内閣不信任決議 衆議院は、吉田内閣を信任せず。 右決議する。 衆議院において絶対過半数を擁する自由党を與党とする現内閣は、施政ここに一年、その反動的性格と政策の破綻は、外に国際信用を矢墜し、内に国民の不信を招き、特にその弱肉強食的施策に対する民衆の怨嗟の声は、近米急速度に高まつているのであります。 まず第一に、吉田内閣は自主的政治信念を喪失しているといわねばなりません。その理由とするところは、昨年の春以来、日本経済復興の基本政策……
○苫米地義三君 私は、国民民主党を代表いたしまして、講和問題に関し過般来ダレス特使と吉田総理との間に会談が行われましたが、その内容及び首相の今後の態度について、いささか質問を試みたいと存じます。 終戰以来、平和條約の締結に対しましては、一日千秋の思いをもつて、わが国民はひとしく待望いたしておつたところであります。五箇年有半を経た今日、ようやくその時期の到来を見るに至りましたことは、まことに喜びにたえません。ダレス特使の来朝こそ、まさに旱天に雲霓を見るの感があつたのであります。私は、この機会に、ダレス大使の労を感謝するとともに、大使を特使といたしまして日本に送られましたトルーマン大統領に対し深……
○苫米地義三君 先刻御報告に相なりました故前議長幣原喜重郎君の逝去に対しまして、私は諸君のお許しを得まして、議員一事同を代表いたし、つつしんで哀悼の言葉を申し述べたいと存じます。 故幣原君は大阪府の御出身でありまして、つとに外交官を志し、仁川在勤の領事官補を第一歩に英米その他の諸国に勤務いたされ、大正八年全権大使としてアメリカに駐剳、ワシントン軍縮会議には全権委員として敏腕を振い、よくその使命を全うせられましたことは、あまねく人の知るところであります。(拍手)大正十三年から昭和六年末まで、四代の内閣に列しまして外務大臣を歴任し、自由主義的国際協調の対外政策を樹立いたしまして、いわゆる幣原外交……
○苫米地義三君 私は、国民民主党を代表いたしまして、一昨日行われました吉田総理大臣並びに大蔵、安本両大臣の施政方針演説に対しまして若干の質問をいたしたいと存じます。 今や全国民の間には民族独立の熱情が湧き立つておるのでありまするが、それにもかかわらず、率直に申しまして、総理の演説には何ら国民の心を打つものがなかつたように思います。(拍手)また国民とともに日本の運命を切り開いて行こうという雄潭な経論を聞くことのできなかつたことは、まこに遺憾しごくに存じます。 私は、まず外交政策に関しまして、政府の所信を伺いたいと思います。すなわち、独立を控えての日本は、自主的な外交方策を基調とする世界政策を……
○苫米地(義)委員 私は大体この案には賛成であります。でありますが、ちよつと二、三点伺つておきたいと思います。
北海道の特殊性を考えまして、まずもつて北海道開発法案を出した。こういうことでありますが、そのあとで国土総合計画もやはりやる、こういうお話であります。そうしますというと、その総合国土法案ができますれば、この法案による機構と、これは二本建になるのでありますか、あるいは国土総合計画案ができますれば、それに統合させる御意思でありますか、この点をまずお伺いいたしたいと思います。
【次の発言】 そうしますと、北海道開発庁は国務大臣がこれの長官になり、その片方の国土総合審議会の方はただ諮問機関、……
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