このページでは原彪之助衆議院議員の27期(1955/02/27〜)における国会発言(質問、答弁等)をまとめています。国会活動の統計や役職、質問主意書の数や内容は27期国会活動統計で確認できます。
○原彪君 衆議院議員正三位勲一等安藤正純君は、去る十月十四日病をもって死去いたされました。ここに深く君の死をいたみ、諸君を代表して追悼の辞を申し述べたいと存じます。(拍手) 君は、明治九年、東京浅草の松葉町に生まれ、浅草に育たれました。長じて東洋大学を卒業し、さらに早稲田大学を卒業、また外国語学校にも学ばれたのであります。 明治三十二年、明教新誌という宗教新聞の主筆となられたのを記者生活の第一歩といたしまして、後、日本新聞に入り、日露の役にはその従軍記者として活躍いたされました。明治三十九年に朝日新聞に移り、後年、君が、その議論、文章において、その識見と経験において自他ともに許すもののあっ……
○原彪君 私は、ただいま上程されました自民党並びに社会党共同提案にかかる原水爆実験禁止要望決議案に賛成の討論をしたいと思うのでございます。(拍手) 率直に申し上げまして、私は、この決議案に盛られたところの考え方が日本国民の意思として世界に宣明せられることのおそきに失したとさえ思うものでございます。(拍手)今さら、原子力兵器の持つ破壊力の大きさ、あるいはそのおそろしさ、また、世界の人類がこれによって受けておるところの心理的な恐怖心といったようなものがいかに深刻であるかということを説明する要はないと思います。私どもがこの決議案に賛成いたしますのは原子兵器のおそろしさからだけではないのでございます……
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