中山マサ 衆議院議員
24期国会発言一覧

中山マサ[衆]在籍期 : 23期-|24期|-25期-26期-27期-28期-29期-31期
中山マサ[衆]活動記録 : トップ選挙結果本会議発言委員会統計発言一覧質問主意書

このページでは中山マサ衆議院議員の24期(1949/01/23〜)における国会発言(質問、答弁等)をまとめています。国会活動の統計や役職、質問主意書の数や内容は24期国会活動統計で確認できます。

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本会議発言一覧(衆議院24期)

中山マサ[衆]本会議発言(全期間)
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第5回国会(1949/02/11〜1949/05/31)

第5回国会 衆議院本会議 第22号(1949/04/26、24期、民主自由党)

○中山マサ君 ただいま議題となりました海外同胞引揚促進並びに引揚者援護に関する決議案の趣旨弁明をいたします。  間もなくソ連よりの引揚が再開されようとしておりますとき、私ども本院海外同胞引揚に関する特別委員会におきましては、期せずして引揚げ促進とあわせて引揚者援護に関する決議案をつくることに意見の一致を見まして、今回委員全員の名前を連ねまして、ここに本決議案を提出した次第でございます。  まず最初に、私は海外同胞引揚促進並びに引揚者援護に関する決議案を朗読いたします。    海外同胞引揚促進並びに引揚者援護に関する決議   終戰以來今日まで連合國の積極的な好意により六百余万の同胞の引揚が実施さ……

第5回国会 衆議院本会議 第35号(1949/05/21、24期、民主自由党)

○中山マサ君 私は、海外同胞引場問題に関しまして緊急質問をいたすものでございます。  昨年は四月十六日に通報がございまして、五月六日には、すでに第一船がわが同胞を連れもどつたのでございます。本年もまた同じ時期にかくあるべしという心構えから、舞鶴あるいは函館、佐世保におきましては、引揚げの方々を受入れる態勢の準備を完了したということも、私ども引揚委員会の委員派遣によりまして、これを確認いたしたのでございます。そうして、この待ちます間にも、その留守家族の方々の陳情のお声を聞きますたびに、私どもは御同情の涙に暮れて参つたのでございます。その結果といたしましては、参衆両議院の議員連盟、またわが衆議院に……

第5回国会 衆議院本会議 第36号(1949/05/22、24期、民主自由党)

○中山マサ君 ただいま議題となりました引揚同胞対策審議会設置法の一部を改正する法律案につきまして、提案の趣旨弁明をいたします。  この審議会は、法律によりますと、その設置期間は施行の日より一年となつておりまして、本年八月三十一日で廃止されることになるのであります。そこで、この一年とありますのを、もう一年延長して二年に改めようというのが、本法律案の改正点てございます。この改正法律案を提出することにつきましては、各党の御了承を得まして、海外同胞引揚に関する特別委員会の委員全員を提出者とすることになつているのでございます。  なお改正の理由といたしましては、間もなくソ連領よりの引揚げが再開されようと……


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第6回国会(1949/10/25〜1949/12/03)

第6回国会 衆議院本会議 第23号(1949/12/02、24期、民主自由党)

○中山マサ君 ただいま議題となりました在外同胞引揚促進に関する決議案につきまして、その趣旨を弁明いたします。  まずこの案文を朗読いたします。    在外同胞引揚促進に関する決議   既往四箇年にわたつて、在外同胞の引揚実施につき、連合国の好意を衷心より感謝する。   ポツダム宣言受諾以来、われわれが誠実にその実行に努めたことは、本年五月二日連合軍最高司令官マッカーサー元帥の声明によつて明らかなところである。   しかるに、ポツダム宣言第九条に宣明された捕虜並びに一般拘留同胞の本国送還の一部が未完了であり、拘留中における死亡者の氏名並びに戦犯関係抑留者の氏名のうちに、未発表の部分があることは、……


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第7回国会(1949/12/04〜1950/05/02)

第7回国会 衆議院本会議 第45号(1950/04/30、24期、自由党)

○中山マサ君 ただいま議題となりました在外抑留同胞引揚促進に関する決議案につきまして、その趣旨弁明をいたします。  まずその案文を朗読いたします。    在外抑留同胞引揚促進に関する決議案   終戦以来五箇年にわたつて、連合国の好意により在外同胞の大多数の引揚が実施されたことは、全国民の深く感謝するところである。しかるに四月二十二日のタス通信は、在ソ同盟の同胞の本国送還が終つたと発表している。しかしながら、今なお相当多数の同胞の残留をわれわれは確信する。しかも抑留中における死亡者及び戦犯関係抑留者の氏名及び訴因が発表されぬ。このため外には、長期にわたつて、切々故国に思いを馳せつつ今なお労役に服……

第7回国会 衆議院本会議 第47号(1950/05/02、24期、自由党)

○中山マサ君 ただいま議題となりました未帰還同胞の引揚促進並びに実体調査等を国際連合を通じて行うことを懇請する決議案につきまして、その趣旨弁明をいたします。  まず案文を朗読いたします。   未帰還同胞の引揚促進並びに実体調査等を国際連合を通じて行うことを懇請する決議案日本国民は終戦以来「ポツダム」宣言を忠実に履行して今日に至つた。然るに終戰以来五ケ年に垂んとする今日なお三十有余万名の日本人がソ連並びにソ連の勢力下に有る地域(シベリヤ、樺太、北鮮、大連並びに中共地域を含む)に残留せしめられ生死不明の状況にある政府は総司令部を通じソ連に対してしばしば正式の報告を求めたにも拘らずソ連より何等正式の……

中山マサ[衆]本会議発言(全期間)
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委員会発言一覧(衆議院24期)

中山マサ[衆]委員会統計発言一覧(全期間)
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第5回国会(1949/02/11〜1949/05/31)

第5回国会 海外同胞引揚に関する特別委員会 第2号(1949/04/05、24期、民主自由党)【議会役職】

○中山委員長 これより会議を開きます。  この際簡單にごあいさつを申し上げたいと思います。先日皆様の御推挙によりまして私委員長の席を汚さしていただくことになつたのでございますが、不幸にも私当時病氣をいたしておりまして、上京が遅れましたのでごあいさつが遅れましてまことに申訳ありません。実は委員長という大役はやせ馬に重荷が過ぎるように私は思つております。けれども今度の委員会を運営して参りますにつけても、前の河野委員長もいらつしやることでもございますし、また初代の天野委員長もいらつしやいますので、この御経験あるお二方の御声援により、また委員の皆様方の御同情と御援助によりまして、無事に私がこれを務めさ……

第5回国会 海外同胞引揚に関する特別委員会 第3号(1949/04/14、24期、民主自由党)【議会役職】

○中山委員長 これより会議を開きます。  この際お諮りいたします。去る七日、理事田島ひで君が委員を辞任いたしましたので、これより理事の補欠選挙を行います。
【次の発言】 佐々木委員の動議に御異議ございませんか。
【次の発言】 それでは御異議なしと認め、横田甚太郎君を理事に指名いたします。御賛成を願います。次にいよいよ引揚再開も目前に迫つて参りましたので、受入態勢並びに引揚者の更生問題につきまして、まず当局より説明を聽取いたしたいと存じます。
【次の発言】 冨永理事に前のお尋ねに関連して申し上げます。先週でございました、ソ連大使館及び対日理事会に申入れをいたしまして、各党の総裁をお願いして促進の……

第5回国会 海外同胞引揚に関する特別委員会 第4号(1949/04/23、24期、民主自由党)【議会役職】

○中山委員長 これより会議を開きます。  日程に入ります前に、先日柳原委員よりお話のありましたタロワ島の問題につきまして、当局より発言を求められておりますので、これより速記を中止して、説明を聽取いたします。
【次の発言】 速記を始めてください。  それでは海外同胞引揚促進並びに引揚援護に関する決議案起草小委員長より小委員会の報告を求められておりますから、これを許可いたします。
【次の発言】 そのときに一々御発表になつたように思つております。
【次の発言】 それではこういうことにいたしたらいかがでございましようか。その御意見を尊重いたしまして、理事会に諮りまして、一度向うに当るなりどうなりして、……

第5回国会 海外同胞引揚に関する特別委員会 第5号(1949/04/30、24期、民主自由党)【議会役職】

○中山委員長 これより会議を開きます。  まず委員派遣についてお諮りいたします。前回の委員会において引揚地実地調査を行う件を決定いたしましたが、人選もきまりましたので、衆議院規則第五十五條により委員派遣承認申請書を議長に提出いたしたいと存じますので、申請書の内容を読み上げます。  派遣の目的は、引揚地実地調査、派遣委員の氏名は、函苗田方面玉置信一君、足立篤郎君の二名、舞鶴方面は堤ツルヨ君、冨永格五郎君、池見茂隆君、坂口主税君、立花敏男君、それに私が加わりまして、六名となります。派遣日時は委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。

第5回国会 海外同胞引揚に関する特別委員会 第6号(1949/05/17、24期、民主自由党)【議会役職】

○中山委員長 これより会議を開きます。  去る十三日議院運営委員会におきまして、國会運営委員会並びに四十五名以上の委員会を除く各委員会理事の人数をそれぞれ二名増加し、これを民自党及び新政治協議会に各一名あて割当てることに決しましたので、本委員会におきましても理事の追加選任をいたしたいと思いますが、委員長より指名することに御異議ありませんか。
【次の発言】 御異議なしと認めます。それでは玉置信一君、吉川久衛君を理事に指名をいたします。御了承願います。  次に五月二日より五月六日まで五日間、引揚地実地調査のため函館、舞鶴に委員を派遣いたし詳細に現地を視察いたして参りましたので、ただいまよりその報告……

第5回国会 海外同胞引揚に関する特別委員会 第7号(1949/05/22、24期、民主自由党)【議会役職】

○中山委員長 これより会議を開きます。この際お諮りいたします。新聞等によりますと、引揚再開も目前に迫つて参りましたので、本委員会の重大なる使命と、会期の切迫とを考えまして、國会第四十七條の二により、閉会中も継続して審査いたして行きたいと思いますが、閉会中の審査を行いますには、そり旨議長に申し出で、院議によつて許可していただかなければなりませんので、閉会中の審査要求を議長に申し出たいのでございますが、さようとりはからいましても御異議ございませんか。
【次の発言】 御異議なしと認め、さようとりはからいます。
【次の発言】 次に引揚げが開始されますれば、引揚けの状況を観察に引揚地に委員派遣を行いたい……

第5回国会 海外同胞引揚に関する特別委員会 第9号(1949/05/30、24期、民主自由党)【議会役職】

○中山委員長 これより会議を開きます。  本日は引揚に関する問題につきまして議事を進めて参ります。  私から先に質問いたしたいのでございますが、小笠原諸島の人たち、小さく言つて父島、母島でございますが、先日私のもとに陳情に参られまして、英米系の人が百二、三十人向うへ帰る、しかしそれだけでは島を運営するにも困るし、また自分たちが戰爭当時にこちらに疎開して來て、その後非常に困つた生活をしている、だから元へ帰らなければ生活の安定が得られないので、何とかして向うへ帰れるような処置をとつてくれ、こういう御陳情でございましたが、それに対してどういう処置を外務省としてはおとりいただけるのでございましようか。

第5回国会 海外同胞引揚に関する特別委員会 第10号(1949/06/25、24期、民主自由党)【議会役職】

○中山委員長 これより会議を開きます。  本日は皆様休会中にもかかわりませず、御遠方からわざわざ御参集いただきましたことは、まことに委員長といたしましては感謝感激のきわみでございます。連合國の御好意によりまして引揚げが再開されることになりましたので、引揚者出迎いと收容状況の調査のために、委員を派遣すること、これが一つでございます。  なお委員を派遣することにつきましては、第五回國会の終りにすでに決定いたしましたが、人選、派遣の期間、派遣地等につきましてはいまだ決定いたしておりませんので、これをきめたいと存じますが、これは委員長一任でいかがでございましようか。

第5回国会 海外同胞引揚に関する特別委員会 第11号(1949/10/10、24期、民主自由党)【議会役職】

○中山委員長 これより会議を開きます。  本日は閉会中にもかかわりませず、ここに御参会くださいましたことは、委員長といたしまして、まことに感謝のきわみでございます。これも引揚げがこうして盛んに行われておりますので、皆樣も喜んで御参集くださつたことと思いまして、重ねてお礼を申し上げる次第であります。  議題に入ります前に、本委員会理事といたしまして、海外同胞引揚げに絶大なる御盡力を賜わりました若松虎雄先生が、去る九月二十四日に死去されましたので、本委員会といたしまして、つつしんで哀悼の意を表する次第でございます。これにつきまして、本委員会といたしまして、何らかの形で御家族へ御慰問申し上げることを……

第5回国会 議院運営委員会 第28号(1949/04/30、24期、民主自由党)

○中山マサ君 私は昨日、皆さんが新聞で御案内でございましようが、宮城前におきまして九州の端、あるいは北海道の端から出て参りました残留海外同胞の家族の人たちによつて催されました愛の大会に行つて参りました。またこの間は直方の方の千人余りの家族の人たちにも話して参りましたが、私があの人たちに傳えましたことは、ほかの人たちが行つて見ていらつしやいましたセカンド・ハンド式の知識しかないのでございます。今度私どもの委員会におきましてはフアースト・ハンドの知識を得るために、ぜひ現場にやつていただきたい。昨年は御案内のように二十一日にすでに通告が参つておりますが、今年はいまだ参つておりません。いろいろな状況か……

第5回国会 議院運営委員会 第41号(1949/05/22、24期、民主自由党)【議会役職】

○中山引場特別委員長 これは理事会で決定したのです。


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第6回国会(1949/10/25〜1949/12/03)

第6回国会 海外同胞引揚に関する特別委員会 第1号(1949/10/27、24期、民主自由党)【議会役職】

○中山委員長 一言ごあいさつ申し上げます。  前国会におきましても、皆様方の御支援と御鞭撻により、また寛大なゐ御認容によりまして、徹力ながら委員長の職責を盡して参りました。今回またまた私ほ委員長に御再選くださいましたことは、身に余る光栄と、ただただ感激のほかはございません。引揚げ再開後すでに四ヶ月余を経過いたしました今日、まだまだ当委員会のなすべきことは多くあると思います。私も本委員会の重大なる使命を考え、皆様方の絶大なる御支援と御指導によりまして、委員長の重責を完全に勤めて参りたいと考えておりますが、私の及ばないところは多々あると存じますので、なにとぞ御援助のほどを切にお願い申し上げてごあい……

第6回国会 海外同胞引揚に関する特別委員会 第2号(1949/11/11、24期、民主自由党)【議会役職】

○中山委員長 これより会議を開きます。  本日は、引揚援護問題を中心に議事を進めて行き、あわせて今後の本委員会の運営上の参考意見を承りたいと存じております。これを最初に取上ぐべきでございますけれども、本日は非常に速記が不足をいたしておりまして、やつと手に入れましたような次第で、御意見はあとまわしにさしていただきますので、どうぞその間にお考えおきを願いたいと思います。  まず引揚状況の説明を聴取いたします。宮崎説明員。
【次の発言】 それは恐れ入りますけれども、あとでしていただかないと、さつき申し上げたと思いますが、速記の関係がありますから、あとの問題にしていただきたい。

第6回国会 海外同胞引揚に関する特別委員会 第3号(1949/11/22、24期、民主自由党)【議会役職】

○中山委員長 これより会議を開きます。  前会に引続き、関係当局に対し質疑を続行いたしますが、その前に委員長より昭和二十四年度予算引揚げ関係の費途につきまして、当局より説明を求めます。
【次の発言】 大蔵省並びに外務省関係の方が出席しておられませんが、昭和二十四年度の予算につきまして御質問がございましたら、どなたでも……
【次の発言】 この際御諮りいたします。この問題は重要なことでありますので砂間委員の動議につきましては、理事会を開きまして協議いたしたいと存じますが御異議ございませんか。
【次の発言】 御異議なしと認めます。理事会開会は公報にてお知らせすることにいたしまして、本日はこの程度で散……

第6回国会 海外同胞引揚に関する特別委員会 第4号(1949/11/26、24期、民主自由党)【議会役職】

○中山委員長 これより会議を開きます。  この際お諮りいたします。去る一六日理事横田甚太郎君が委員を、二十四日理事佐々木盛雄君が委員を、また二十五日理事小西英雄君が理事をそれぞれ辞任いたしましたので、ただいまより理事の補欠選挙を行いたいと存じます。  これは先例により委員長において指名いたすに御異議ございませんでしようか。
【次の発言】 異議なしと認めまして、    青柳 一郎君   山本 猛夫君    砂間 一良君 をそれぞれ理事に御指名申し上げます。  本日の理事会につきましては、放送にてお知らせいたしますから、本日の委員会はこれにて散会致します。     午前九時五十七分散会

第6回国会 海外同胞引揚に関する特別委員会 第5号(1949/11/29、24期、民主自由党)【議会役職】

○中山委員長 これより会議を開きます。  砂間一良君外三十五名提案の決議案が本委員会に付託されておりますが、海外在留者の引揚者数並びに在否の確実なる把握につきましては、全国民ひとしく待ちわびておるところでございまして、本委員会として全員の名をもつて各派共同提案として決議文を本会議に上程いたしたいと思います。今委員長のもとに草案がありますので、これを読み上げますので、各委員の御賛意を得たいと思います。    在外同胞引揚促進に関する決議   既往四箇年にわたつて、在外同胞の引揚実施につき、連合国の好意を衷心より感謝する。   ポツダム宣言受諾以来、われわれが誠実にその実行に努めたことは、本年五月……

第6回国会 外務委員会 第2号(1949/11/09、24期、民主自由党)

○中山委員 二、三日前のお晝のラジオの放送であつたかと私は記憶しておりますが、これはさつきの佐々木委員は單独講和と軍事協定という御言葉をお使いでありましたが、私がラジオで聞きましたのは軍事同盟という言葉をラジオのニュースが使つておりまして私大阪に帰つておつてこれを聞いたのでありますが、私がいろいろと人と接触いたしました間に、これが非常に問題になつておりまして、もし單独講和というものが軍事同盟を意味するものであるならば、まことに国民全体が不安にかり立てられて行くということを人々が申しておりましたが、そういう危險性を持つてでも單独講和をなさる御意思であるかどうか、その点を私は伺いたいと思います。

第6回国会 外務委員会 第4号(1949/11/19、24期、民主自由党)

○中山委員 私は大野政府委員にお尋ねしたいと思いますが、この秋でございましたか、スエーデンのストックホルムにおきまして第二回の万国会議を開催いたしまして、出席国が二十箇国、出席人員三百名をもつて構成しておりますが、世界連邦主義の動向についてお尋ねをいたしたいと思います。この間から国連に入る入らないについて、いろいろ憲法との矛盾があるというような点を御心配していらつしやるが、この問題について外務省ではどういうふうなお考えをお持ちになつていらつしやいますか。またこれに対してどの程度の御研究をなさつていらつしやいますか、お尋ねしたいと思います。

第6回国会 外務委員会 第5号(1949/11/21、24期、民主自由党)

○中山委員 私は昨日の新聞であつたかで見ましたら、スナイダー長官の来訪に関して、平和條約ができればアメリカの陸軍の割当の小麦というものが全然入らなくなる。そしてヨーロツパにおけるマーシヤル・プランに対するアジア・スナイダー・プランというものはない。そうすれば平和條約ができました際に、人口がどんどんふえて行つております日本におきまして、食糧の見通しは外務省としてどういうふうに、どこから取入れるか、お考えになつていらつしやるか。その問題をお尋ねしたいと思います。

第6回国会 法務委員会 第9号(1949/11/21、24期、民主自由党)

○中山マサ君 委員外の質問をお許しくださいまして、まことにありがとうございました。  この夏でございましたか、大阪の新聞に大分書き立てておつたのでございますが、裁判官の困つておる問題というような見出しでございました。心神喪失者、心神耗弱者の犯罪が不成立に終りまして、釈放されたあとで、また同じような犯罪を犯して、再々お上の手を煩わしておるのに、非常に裁判官もお困りになつておるという新聞が大きな見出しのもとに出ておりましたが、いろいろ研究してみましたら、外国におきましては、こういう人たちをいれるところの拘置所のようなものがつくつてあるということを私は調べ出したのでございますが、わが国におきましても……


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第7回国会(1949/12/04〜1950/05/02)

第7回国会 海外同胞引揚に関する特別委員会 第1号(1949/12/04、24期、自由党)【議会役職】

○中山委員長 一言御挨拶申し上げます。皆様方の御推薦によりまして、再び委員長の職を勤めさせていただきます。引揚問題に一つの時期を画せんとしつつあります今日、当委員会の任務は重かつ大なるものがございます。海外に残つていうつしやいます同胞の数は、まだりかなりあるようでございます。家に残つてお帰りを待ちわびている方々の心情を考えますと、まことにお気の毒にたえません。私共は民生の安定の一助にもなりますために、懸命にこれらの人々の引揚げを促進して参りたいと思います。どうぞ皆様方のひたすらなる御援助と御声援のほどをお願い申し上げ、就任の御挨拶といたしります。

第7回国会 海外同胞引揚に関する特別委員会 第2号(1949/12/19、24期、民主自由党)【議会役職】

○中山委員長 これより会議を開きます。  去る十二月十三日に、理事砂間一良君が委員を辞任されておりますので、理事の補欠選挙を行いたいと存じますか、委員長において指名いたすに御異議ございませんか。
【次の発言】 それでは委員長より、竹村奈良一君を理事に指名いたします。  この際暫時休憩いたします。     午後一時三十八分休憩
【次の発言】 休憩前に引続き会議を開きます。第六国会におきまして保留になつておりました在外資産に関する件を議題とし、会議を進めます。理財局外債課長太田説明員より説明を求めます。
【次の発言】 私ちよつと関連してお尋ねしたいのでございますが、終戰の当時におきまして、上海にお……

第7回国会 海外同胞引揚に関する特別委員会 第3号(1949/12/22、24期、民主自由党)【議会役職】

○中山委員長 玉置委員より動議が出ましたが、それに御賛成の方ございますか。
【次の発言】 皆様にお諮りいたします。
【次の発言】 私もここで委員長としてでなく、一委員として発言させていただきますが、ああいう決議案を出しましたのは、第六国会であつたと記憶しております。第五国会におきましても、あの決議案を上程いたしました。だから各国会に一度ずつ上程することは、かまわないのじやないかという気持が、今いたしておりますのですが………。
【次の発言】 これまでそういう例を私は存じませんのですが、第五国会でも、私自身提案いたしまして、その後何ら政府側からは、しかようなものは本会議で承つておりませんので、これ……

第7回国会 海外同胞引揚に関する特別委員会 第4号(1950/02/01、24期、民主自由党)【議会役職】

○中山委員長 これより会議を開きます。  新聞で御承知のごとく、冬季第二回の船の配給の要求がございまして、二千五百名の同胞が八日にナホトカより帰つて参りますので、委員会といたしまして、代表を現地舞鶴にまで派遣いたしたいと存じますが、いかがでございましようか。
【次の発言】 それでは派遣委員、日時等につきましては、委員長に御一任願えますでしようか。
【次の発言】 ではさようにいたしまして、本日の議院運営委員会に承認を求めるようにいたします。  次会は三日午後一時より参議院第三号委員室におきまして、参衆両院合同打合会を開きまして、華中地区よりの引揚者持返り金の返済の件及び大連事件を議題といたします……

第7回国会 海外同胞引揚に関する特別委員会 第5号(1950/02/04、24期、民主自由党)【議会役職】

○中山委員長 これより会議を開きます。  昨年より持越しになつておりました小川委員提案の長野県在外同胞帰還促進家族連盟委員長の放送に対する拒否事件につきましてお諮りをいたします。本問題に関し、その経緯につきまして小川委員より、まず御説明を願います。小川委員。
【次の発言】 皆様お聽きの通りでございますが、本問題につきましては、一応当事者を呼びまして聴取するのが妥当と思います。幸い本日長野県の在外同胞帰還促進家族連盟の委員長の島立廣次氏が見えておりますので、本委員会の参考人として呼ぶに御異議ございませんか。
【次の発言】 参考人として一応お話を聞かしていただくという動議が出ましたが……

第7回国会 海外同胞引揚に関する特別委員会 第6号(1950/02/07、24期、民主自由党)【議会役職】

○中山委員長 これより会議を開きます。  大連労働組合難民救済資金借上金に関する件、華中地区引揚者持帰金返済に関する件を議題といたします。一応この問題に関しまして、御説明をお願いいたします。
【次の発言】 さきに申入れておりました問題について、御返事をお願いいたします。
【次の発言】 それは税関で預かつておるのではなく、本人が現在持つておるのです。
【次の発言】 ほかにございませんか。
【次の発言】 承知いたしました。
【次の発言】 さよういたします。
【次の発言】 ほかに御質問ございませんでしたならば、時間も過ぎておりますので、これで散会をいたします。     午後零時八分散会

第7回国会 海外同胞引揚に関する特別委員会 第7号(1950/02/16、24期、民主自由党)【議会役職】

○中山委員長 これより会議を開きます。同胞引揚に関  先般委員会の決定に従いまして、受田委員、天野委員、私と三人で舞鶴に行つて参りました。僭越ではございますが、その状況を私から御報告させていただきます。  去る二月八日より、天野、受田両委員とともに、本年二度目のシベリア引揚船高砂丸に引揚者を出迎え、抑留者の状況を重点的に調査いたして参りましたので、その結果を簡単に御報告いたします。  高砂丸は二月八日午後八時ごろ舞鶴港に帰港、引揚者は同夜船中に一泊、九日早朝検疫を済ませ、午前十時患者三十九名を皮切りに、日の丸組、左派の順で故国に上陸を開始いたしました。左右対立が少しあつたのみで、いろいろと懸念……

第7回国会 海外同胞引揚に関する特別委員会 第8号(1950/02/23、24期、民主自由党)【議会役職】

○中山委員長 これより会議を開きます。  長野県における在外同胞帰還促進家族連盟委員長の帰還促進運動に関する放送拒否事件に関し、NHKの教養部長宮川氏より、NHKとしての見解を承わりたいと存じます。宮川参考人。
【次の発言】 御質問がございますればどうぞ。
【次の発言】 簡單にお願いいたします。
【次の発言】 議事進行だけにしてください。
【次の発言】 放送局といたしましては、対日理事会の発表の前であつたからこれを拒否した、そうしてその後におきましては、そうする必要もないかもしれないということを、先ほど御発言になりましたから、その問題はたな上げになると思います。

第7回国会 海外同胞引揚に関する特別委員会 第9号(1950/03/02、24期、自由党)【議会役職】

○中山委員長 郵政の問題について、ほかに御質問がございませんでしたら、郵政大臣にお帰りを願いたいと思いますが、いかがでありますか。――それではありがとうございました。
【次の発言】 次は引揚者援護の件を議題といたします。竹村委員。
【次の発言】 これは在外同胞帰還促進全国協議会の申し入れでございまして、引揚げも最後の段階に近づいて来ており、それについて活動の資金がないためにまことに困つておるというお申れでございましたので、理事会にお諮りをいたしたような次第でございます。ただいま私しばらくこの席をあけておりましたのは、議長室に全国の方々が建白書を持つて見えておりまして、衆議院、参議院ともに鞭撻を……

第7回国会 海外同胞引揚に関する特別委員会 第10号(1950/03/07、24期、自由党)【議会役職】

○中山委員長 これより会議を開きます。  本委員会のおもなる使命の引揚げ促進につきまして、残留者の今後の引揚げ継続、及び死亡者の状況を把握する意味をもちまして、本日、去る二月八日、ナホトカより帰還せられました中より、六名を参考人として来ていただきまして、現地の状況を聽取いたすことにいたしました。今や留守家族はもちろんのこと、国民ひとしくその杞憂は高まり、重大な段階に到達しております。この上とも重ねて連合軍の責任において、この問題の解決を強く要望するものでございますが、本委員会は本日と明日の二日にわたつて、樺太地区よりシベリア地区に移送された者、あるいはシベリア各地区收容所の引揚者を呼び、国会独……

第7回国会 海外同胞引揚に関する特別委員会 第11号(1950/03/17、24期、自由党)【議会役職】

○中山委員長 これより会議を開きます。  本日の議題は、公報にてお知らせ申し上げましたように、在外公館等借入金整理準備審査会法の一部を改正する法律案起草の件でございますが、各委員も御承知のごとく、趣旨の徹底を欠き、届出者の数も予想に反して少く、期日も三月十九日にて切れますので、その期限をさらに二箇月間延長いたしまして、一人でも多くの届出者があるように徹底させしめるために、法律を改正いたすものでございます、一応外務省側の説明を求めます。管理局長。
【次の発言】 再会いたします。  お手元にお配りいたしましたことく、在外公館等借入金整理準備審査会法の一部を、第五條第一項「九十日以内」とあるを「百五……

第7回国会 海外同胞引揚に関する特別委員会 第12号(1950/03/31、24期、自由党)【議会役職】

○中山委員長 これより会議を開きます。中共地区におきますところのわれわれの同胞は、現在数については確実に把握しておりませんが、これらの方々の引揚げ促進に関しましては、これが実現のため、あらゆる方面に折衝して参つたのでありますけれども、今まで何らの手がかりがつけ得なかつたのでございます。本委員会といたしましては、委員会の使命の重大性を顧みるとき、責任を感じておる次第でございまするが、これが対策につきまして、もはや急速に実現をはからねばならない現状に参つておりますので、本日ここに、過日山澄、高砂の両舷で帰国されました中から、七名のお方に来ていただきまして、中共地区のわが同胞の実態を明らかにするとと……

第7回国会 海外同胞引揚に関する特別委員会 第13号(1950/04/11、24期、自由党)【議会役職】

○中山委員長 これより会議を開きます。  先般総司令部から発表がありました通り、配船要求がありまし七、ナホトカより明優、信濃両船にて約四千の同胞が帰国して参りますので、舞鶴に委員を派遣いたしまして、現地の状況及び残留者数等について調査をいたしたいと思いますが、御異議ございませんか。
【次の発言】 それではさよう決定いたします。  なお十八日、二十三日に帰つて参りますので、一班と二班にわけまして、その委員の指名、月日等につきましては、委員長に御一任願いたいと思いますが、御異議ございませんか。
【次の発言】 それでは委員長において所定の手続をとります。  本日はこれにて散会をいたします。     ……

第7回国会 海外同胞引揚に関する特別委員会 第14号(1950/04/28、24期、自由党)【議会役職】

○中山委員長 これより会議を開きます。  援護局長より今次引揚げ状況につき御報告を求めます。
【次の発言】 三百名ということは、私は言つておりません。ただ当時偽名して帰つて来ているという評判がございました。たとえば大峰という人が偽名して帰つて来ているということを聞きましたので、呼び出して聞いてみましたら、偽名していない、本名で帰つて来ているということでございました。私は三百名偽名であつたということを言うたわけではありませんから、私の立場をはつきりしておきたいと思います。  あと、報告に関する御質問はございませんか。――それでは他の質問に入りたいと思います。

第7回国会 外務委員会 第2号(1950/02/01、24期、民主自由党)

○中山委員 私今朝対日理事会を傍聽して参つたのでございますが、新聞紙上で御案内の通りに、この前引揚げの問題を取上げようとされましたときに、ソ連側の代表はみな退場されました。そうして今日は全然御出席がないのでございます。その点につきまして英連邦代表でいらつしやいますホジソン氏は、ソ連が道徳的にも法律的にもぜひここに出席をしなければならないということは、ポツダム宣言の規約によつても明らかである。それにここに出席なさらないので、この引揚げの問題を解決が非常にむずかしいであろうということを御発言になりました。対日理事会におきましてこの問題が処理され、マッカーサー元帥にそこに提案されたことが持つて行かれ……

第7回国会 外務委員会 第4号(1950/02/15、24期、民主自由党)

○中山委員 関連して――私は第百二回対日理事会に出席いたしましたが、そのときこの数の問題が出ました。英連邦のホジソン大使が申されましたのは、今この七十万という基礎数をソ連側からとやかく言われる理由はさらにない。なぜならば対日理事会の始まつた当初において、この数字を決定するときに、ソ連代表がそこに出席しておつて、この問題に対しては何らの反駁を加えなかつた。ソ連側もこれを承認した数字であるがゆえに、今日第百二回の対日理事会において、ソ連側がこの問題をとやかく言うところの力はないのだということをはつきりと、私は通訳なしで、自分で英語がわかります関係上、これを相接に聞いたのでございますから、これは間違……

第7回国会 外務委員会 第5号(1950/02/22、24期、民主自由党)

○中山委員 私は樺太から終戰当時日本に渡ろうとして、密航船という名前のもとにソビエトに連れて行かれた人たちの話をこの間聞きましたが、この人たちは密航というかどで投獄されまして、刑を終つて出て参りましたところが、東向きの切符をもらい、若干のお金をもらつてそのまま出された。そうして食糧に対する配給の書類も何も満刑者にはないので、こじきをして、歩いてやつとナホトカにたどり着いて、もぐり込んで帰つて来たという人でございます。このナホトカの輸送関係の管理部長とかいう人に会つて、そうして満刑者がソ連側の官憲に連れられてナホトカに送り届けられたことがあるかという質問を発しましたところが、ただ一人自分がいる間……

第7回国会 外務委員会 第7号(1950/03/08、24期、自由党)

○中山委員 シヤウプ勧告案の中には、天災地変あるいは大なる損害を受けた場合には、その損害が解消するまでは、減税の方法をとることができるというような條項があるのでございますが、引揚者たち、ことに海外に長い年月おられた人で、全財産を失つて帰つて来た人たちには、このシヤウプ勧告案に基いて、何とか減税の方法はお考えになつていらつしやいませんでしようか、ある会計士が最低十七万円なければ、裸一貫で帰つて来た者が立ち上れないという計算を、私のところに出して来ているのでございますが、せめて十七万円に税金が減らされて行く方法をお考えいただいていないものでございましようか。このシヤウプ勧告案のこの点についての御研……

第7回国会 外務委員会 第11号(1950/03/22、24期、自由党)

○中山委員 衆参両議院の引揚同胞救護議員連盟からの申入れで、こういうことが私のところに出て参りまして、それがもはや日にちがないので急遽やつてくれという、こういう申し入れがございましたので、海外における同胞たちが今まで積み上げたその全財産を、そういう場面に当つて帰つて来たという、その気の毒という点から、みな超党派的に御賛成をした問題でありました。ところが管理局長倭島政府委員から、予算の裏づけかないので、これは事務的に困るという申出かありました。ちようどそのときに私が委員長会議に呼ばれて参りましたあとで、玉置委員と冨永委員とが党の幹事長に話をされまして、それは何とかなるだろうからやつたらどうだ、何……

第7回国会 外務委員会 第15号(1950/04/10、24期、自由党)

○中山委員 ちよつと伺いますが、けさのラジオのニュースの時間に、かつてのグルー大使か、日本を復興させるためには、造船を制限せずに盛んにさせて、対日援助費を削減するのがよいのだというような申入れをしたと聞きましたが、このグルー大使は、どういう地位をアメリカで持つておられるか、またその申入れが有力なものであるか、あいるは單なる民間人としての申入れであるかを伺いたいと思います。

第7回国会 議院運営委員会 第17号(1950/02/01、24期、自由党)【議会役職】

○中山海外同胞引揚特別委員長 昨年も七月に御派遣いただきまして、たいへん有益なる資料を入手することができ、またいろいろお帰りになつた方々をお慰めもし、国民にもその実情をつぶさに申し上げまして、希望を與えることができたのでございます。冬期におきましてはいまだかつて帰つて来たことのないのに、本年は破格なる恩典を與えられまして、私どもも喜んでおります。特に日の丸の旗を掲げて帰つて来る人が非常に多くなつた。この心持等も聞きとうございますし、ぜひひとつ三名御派遣くださいまして、帰つて来た人に、私ども国民の気持をも伝え、また向うの心持も聞かせてもらいたい。こういう気持からぜひひとつ御派遣を願いたいと思つて……

第7回国会 議院運営委員会 第45号(1950/04/15、24期、自由党)【議会役職】

○中山海外同胞引揚委員長 皆様御承知かもしれませんが、この前衆議院に留守家族の全国の代表の方々が見えまして、引揚者が減るに従つて国会もまことに冷淡になつたと言われまして、私深くこれを遺憾としております。ぜひお迎えに行きたいと思つておる次第であります。長い間苦んだ人たちが帰つて来るのが少数になつたとか、日にちが延びておるからということで、あるいはお金が少いからということで拒否されたのでは、私引揚委員長としてやれないのではないか、辞表でも出さなければならないという気持になつて参つております。どうぞ人数は幾分お減らししていただいてよろしいですから、一班と二班と御派遣を願いたいと思います。婦人の立場、……


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第8回国会(1950/07/12〜1950/07/31)

第8回国会 海外同胞引揚に関する特別委員会 第1号(1950/07/14、24期、自由党)

○中山委員 年長者のゆえをもちまして、僣越ながらこれより会議を開きます。委員長が選任されるまで委員長の職務を行います。  ただいまより委員長の互選を行いますが、その方法についてお諮りいたします。
【次の発言】 ただいま庄司一郎君の動議に御異議ありませんか。
【次の発言】 御異議なしと認めます。若林義孝君が委員長に当選いたされました。よつて本席を委員長若林義孝君にお譲りいたします。

第8回国会 海外同胞引揚に関する特別委員会 第2号(1950/07/20、24期、自由党)

○中山委員 私はきようは、厚生大臣がお帰りになりましたから……。
【次の発言】 私は厚生の問題に入る前に、一言私も言わせていただきたいと思います。というのは、共産党がああいうことをおつしやるということは、今日ここへ代表の方がおいでになつたことを否定しておいでになることになる。ですから私はそういうことは認めないということに賛成をする一人であります。私も去年一年間、この問題で闘つて来まして、いろいろな人に会いましたが、大阪府だけでも千や二千の留守家族があることは、この間大会をやつてみてわかつておるのですから、こういうむちやをおつしやると実に困ると思うのです。  それで今度は厚生の問題ですが、きよう……

第8回国会 外務委員会 第2号(1950/07/21、24期、自由党)

○中山委員 引揚げの問題につきまして、私どもが主張する三十万と、タス通信の主張する点について判定を求めるために、第七国会の最後の日に、私どもは国連に提訴をいたしましたが、その提訴してから今日までいかなる動きがこの問題について国連からあつたか、お尋ねしたいと思います。  またこのたび引揚げて来ない人たちの家族の代表が東京に参りましたが、その人たちの中から、中共地区から、旅費があれば帰れるが、旅費がないので困つておるから、旅費を何とかして送つてもらえないかという手紙をもらつた人が大分ございます。もしこれが事実――手紙ですから事実に相違ございませんが、この点につきまして、中共地区のことで私どもとは連……


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第10回国会(1950/12/10〜1951/06/05)

第10回国会 海外同胞引揚に関する特別委員会 第2号(1951/01/27、24期、自由党)

○中山委員 昨年五月二日、国会の最後の日、総司令部の方の御了承を得まして、国会におきまして、未引揚者の問題に関して、これを国連へ提訴するという決議案を上程になりましたことは、皆様も御記憶のことと思います。その後秋に国連が再開されたならば、その決議によりまして、私どもの言うところの三十七万が是か、あるいはタス通信が発表しておりますところの、もはや少数の病人と少数の戰犯以外には帰すべきものは帰したということが是か、この二つの問題の白黒をつけてもらうために、コミツシヨンが来ることを要請をいたしました。それがいかに取扱われるかということを非常な興味を持ちまして私は待つておりました。ところが、はからずも……

第10回国会 海外同胞引揚に関する特別委員会 第3号(1951/01/30、24期、自由党)

○中山委員 ちよつとお尋ねいたしますが、兵庫県の留守家族の中の一人がこういうことを尋ねてくれと申しておるのです。弟が中共地区におる、去年の八月に手紙が来た、もし旅費を送つてもらえば帰られるが、これはどうしたものであろうかというような相談を受けたのでございますが、引揚げのためにとつてございます予算のお金を外貨にかえていただいて、そういう旅費に向けていただくという方法ができるものでございましようか、できないものでございましようか、御説明願いたいと思います。
【次の発言】 それではこの次のときでもよろしゆうございます。

第10回国会 海外同胞引揚に関する特別委員会 第5号(1951/02/16、24期、自由党)

○中山委員 前からの約束がありましたので、かつてでありますが、先にやらしていただきます。  民主主義擁護同盟事務局長の和田参考人にお尋ねをいたします。この資料の一番下を見ますと「首相え抗議」というところに「尚右三団体代表は、十月七日デマ使節非公式オブザーバー」云々のことについて反対したということがございますが、あなたのお考えになつております民主主義とはどういうものかということをまず先に聞かしていただきたいと思います。
【次の発言】 それでは申し上げますが、私の考えております今の日本の国内における民主主義というものは、国会というものがありまして、そこで昨年五月二日、この国会の決議によりまして、こ……

第10回国会 海外同胞引揚に関する特別委員会 第6号(1951/03/08、24期、自由党)

○中山委員 私はその点について関連して申し上げたいと思いますが、向うには実際人が行つていないのですから、徳田要請があつたかなかつたかということは、院議によつて決定しましたけれども、ずいぶん長い間ややこしいことになつておりました。私このたび国連に参りまして、これがよもや私どもの目にとまるとは考えないでお出しになつた要請が、偶然私どもの目にとまつたということによりまして判断いたしますと、徳田要請もきつとあつておつたろうと私は結論を結んで、向うから帰つて来たのであります。そしてまたこの今の三団体の発言というものにつきましては、対日理事会におきましてもいつもソ連代表がそこに出席されて、この問題を取上げ……

第10回国会 海外同胞引揚に関する特別委員会 第10号(1951/05/28、24期、自由党)

○中山委員 このごろやかましくいわれておりますアナタハン島の問題でございますけれども、そこにいまだに存在しているという確認を得た人の妹が私のところにやかましく言つて来ておりますが、それが外国船で迎えに行くと、そこにいるといわれている二十人ばかりの人が山奥に入つてしまう。できることならば、日本の船で迎えに行つたならば、あるいはその人たちが投降をしないというようなつもりで近寄ることはないか。これはぜひ何とかしてくれということをやかましく私のところに言つて参るのでございますが、これに関して当局ではどういうふうな御運動をしていただいておりますか、伺いたいと思います。

第10回国会 海外同胞引揚に関する特別委員会 第12号(1951/07/26、24期、自由党)

○中山委員 今の問題に関連いたしまして、私どもが昨年の十月から国連へやつていただきまして、要請して国連の中に引揚委員会というものができ、やつと三人の人が指名になりましたが、この問題につきまして、八月にはこの三人の委員の人たちが日本に来られるということでありますが、外務省及び政府はこの三人に、この問題の専門家でありますから、今の点を要請いたしまして、ぜひとも国連が指名したこの三人委員会が――しかも国連の人道委員会は、その原悟で申しますならばユーア・ヒユーマン・ライツというものを出しております。いわゆる人権宣言なるものをこの委員会は本としてりつぱに世界に出しておるのでありますが、この人権宣言の中に……

第10回国会 外務委員会 第4号(1951/02/14、24期、自由党)

○中山委員 関連して……。近ごろの青少年層で、いろいろ間違つたことをやりまして、法廷に引出されなければならないようなことになつたときに、なぜにこういうことになつたかと質問された場合には、いわゆる昔は天皇を中心という一つの線によつて教育されて来た自分たちが、この敗戦によつてその線を失つてしまつた。だからよりどころがないから、こういうことになつたのだというような、これは多分申訳的な言いぐさであろうとは思うのでございますけれども、こういうことを言う青年男女が非常に多いということを私は見ておりますが、この際終戦後合まで教えられておりました修身というような科目が全然廃されているというところに、私は新しい……

第10回国会 外務委員会 第7号(1951/02/28、24期、自由党)

○中山委員 関連して、これも新聞の報道でございますけれども、フイリピンからある視察団とでも申しますか。それが日本へ来て、第一の報道は、この賠償金について、どこまで取立てることができるかということを調査に来るという一つの報道がありましたが、第二の報道では、それは調査ではない、日本のいろいろな機械がアメリカ物よりも向うに使用上便利な点があるので、それを買いつけるために見に来るのだというような一つの報道がございましたが、外務省としてはどちらが真相であるとお考えになるのでございますか。
【次の発言】 先ほど政務次官のお話の中に、この八十億ドルを默認するならば、というお言葉がございましたが、その默認とい……

第10回国会 外務委員会 第9号(1951/03/14、24期、自由党)

○中山委員 関連して……。今の問題から考えますと、現在の国連の組織におきまして朝鮮の問題を見ましても、そこに加盟しておる国すらその責任を果していない点から考えていただいたらどういうことになるでございましようか、その点を伺いたいと思います。現実を考えてみると、絶対の義務がないということになるじやないかと思います。

第10回国会 外務委員会 第19号(1951/06/21、24期、自由党)

○中山委員 関連して――。この間鞍山から来ました手紙の中に、技術者でありますが、自分が知つている範囲内の技術はみんな向うの人に教えてしまつた。今することは何もない。向うでは帰るのはいつでも帰つてよろしい。しかし帰ることを受入れる国が十分なる運営をしていないのだということを言われているので、これは米国がじやまをしているのか、それとも日本自体がじやまをしているのか、その点が知りたい。何とかして帰れるように英国大使館に頼んでくれ、その一つの事実といたしましては、同僚であつたドイツ人が奉天まで出まして、そしてそこの英国領事館に頼んで、飛行機に便乗させてもらつてドイツに帰つたという実例があつた。自分は船……


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第11回国会(1951/08/16〜1951/08/18)

第11回国会 海外同胞引揚に関する特別委員会 第1号(1951/08/17、24期、自由党)

○中山委員 これより会議を開きます。私が年長者のゆえをもちまして、委員長が互選されるまで委員長の職務を行います。  ただいまから委員長の互選を行いますが、その方法についてお諮りいたします。
【次の発言】 庄司一郎君の動議に御異議ありませんか。
【次の発言】 御異議なしと認めます。よつて若林義孝君が委員長に当選いたしました。  委員長若林義孝君に本席をお譲りいたします。


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第12回国会(1951/10/10〜1951/11/30)

第12回国会 海外同胞引揚に関する特別委員会 第1号(1951/10/17、24期、自由党)

○中山委員 理事の互選は、その数を七名とし、投票を用いずに委員長において指名されんことを望みます。

第12回国会 海外同胞引揚に関する特別委員会 第2号(1951/10/27、24期、自由党)

○中山委員 私はこの第一に対しまして、庄司委員が申されましたように三千円説をとつて参つております。それには理由があるのでございます。私が国連より帰りまして、各県のお呼びによりまして歩いておりましたときに、行先々々で聞かされたことが、私がこういうことを申す根底になつておるのでございます。仙台であつたと記憶いたしておりますが、ある一婦人が申されましたが、罪人、犯人が捕えられると、その人を一箇月国が監獄に入れて、それを養つて行くには月にどんなことがあつても三千円かかります。そうすれば、みずからが犯罪を犯して、そうしてお国のごやつかいになつてすら三千円もかかるのならば、私どもの主人がお国の命令によつて……

第12回国会 海外同胞引揚に関する特別委員会 第3号(1951/11/02、24期、自由党)

○中山委員 そういたしますと今の千円を千五百円ということも、いつまで延期になるのでございましようか。このお金の額を、この法律がかわるまでは千円で置こうとおつしやるのですか。
【次の発言】 遺家族に対しては、その当時一時金としてお渡しになつていらつしやるのでございますが、まだ中共には少くとも七万おるというようなことを私どもは主張して参つておりますし、まあ外務省では二十三万なくなつたという御発表もいたしておりますけれども、それもどこまでほんとうだか私は実は信じられないのであります。二十三万という発表に対して実際私は驚きましたし、そしてまたこれまでも、戦後死んでおるという公報が入つてお葬式まで済んだ……

第12回国会 海外同胞引揚に関する特別委員会 第4号(1951/11/28、24期、自由党)

○中山委員 この予算につきましてはいまだ判然としないというお話でございましたが、各省からはやはり申入れをなさる予算というものがございましようから、ことしの大体予算はどれくらいのパーセンテージか、もしはつきり数字がわかりませんならば、どれくらいの予算をとろうと厚生省はお考えになつておりますか。また第二には厚生省の中で、この引揚げの問題についてはどれほどの予算をあらかじめ予定していらつしやるか。今までのように船を迎えにやるにつきましても、やはり待機させるという点もございましようし、どれくらいの心づもりをしていらつしやるか。判然としたことでなくてもよろしいのであります。ラウンド・ナンバーでけつこうで……

第12回国会 外務委員会 第7号(1951/11/13、24期、自由党)

○中山委員 先ほどの呼び寄せの問題でございますが、これは少し本筋を逸脱するかもしれないと思いますが、私は濠州の軍曹の人から手紙をもらいました。そしてこの人は、呉のある一女性と日本に進駐中内縁の結婚をした人でございますが、もし日本にすべての権限が移つて参りましたときに、アメリカの人たちが日本人を呼び寄せるような方法でもつて、内縁の夫を日本に呼び寄せられるような方法があるものかないものか、私はその方法を質問いたしました手紙をいただいておりますので、ここで少し筋が違うとは思いますけれども、伺つておきたい。むろん今の状態ではできませんでしようけれども、平和條約等すべてのものが一通り治まりましたあかつき……

第12回国会 外務委員会 第10号(1951/11/27、24期、自由党)

○中山委員 これは新聞の記事でございますから、どこまで真実性があるか、私一度引揚委員会で調査してもらいたいと思つておるのでございますが、新聞に出ましたことに、樺太から命がけで脱出して来た人が、まだ樺太には三十万おると言つておる。それから中共方面から脱出して来た人も、まだ中共には二十万おるということを申しておりますが、むろん手放しに信ずることができるかどうか存じませんけれども、脱出して来た人がそういうふうに言うのだから、まだ相当数おると信じなければならぬと思います。もう一つの問題といたしましては、この間ある未帰還者の家族の方から私の方にたよりがありましたが、この間その人のところで、ある人が殺人の……


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第13回国会(1951/12/10〜1952/07/31)

第13回国会 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第2号(1952/01/31、24期、自由党)

○中山委員 今言われたのは、一万八千でございますか、その婦女子が中共におる。私は、この間帰つて来ました鳥居博士と同行して帰つて参りました静岡県の婦人、これは中共人の奥さんとなつて、九年間向うにおつた人でございますが、この人の話を聞きましたところが、一万八千どころか、まだ多数の邦人が向うにおる。しかし国へ帰りたいというような意思表示をすると、中共政府は逃亡罪という名義でもつて処罰するので、帰りたいという意思表示すらできない。こういうなまの現実を私はこのお正月に帰つております間に、大阪で聞かされたのでございますが、そういうふうな問題に対して、どういうふうに努力してこれを呼びもどそうと当局者はなすつ……

第13回国会 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第4号(1952/02/13、24期、自由党)

○中山委員 それでは参考人にお伺いしますが、私はあなた方と御一緒にお帰りになつたある一人の人に聞いたのでございますが、今相馬さんも、たくさん帰りたい方があるというお話ですが、静岡県にいらつしやる御婦人から、帰りたいといえば逃亡罪を構成するということを伺いましたが、それはほんとうでしようか。
【次の発言】 それではあなた方はお帰りになるときに、どういう手続でお帰りになりましたか。あなた方はどういう手続をとつてお帰りになることができて、ほかの人たちは帰りたいのになぜ帰られないのか、いきさつをお伺いしたい。
【次の発言】 帰りたくても帰れないというのは、ただ旅費の問題だけですか。軍隊に入つているいわ……

第13回国会 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第11号(1952/03/26、24期、自由党)

○中山委員 私の方に陳情が参つております件でございますが、今遺族に対していろいろ考慮が拂われております際に、戰時中軍を運ぶために使われた船員が、途中で船とともに運命をともにいたしまして、今日まで帰つて来ない、そうしてその人々の遺骨が何ら帰らないことはあたりまえであるけれども、何らの報道もない。これもまたやはりお国のために奉仕した者であるのに、なぜにこの遺家族はこのたびの援護の対象の中にないのかという陳情が私のところに参つておりますが、これに対して援護庁の御意見を聞かせていただきたいと思います。

第13回国会 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第12号(1952/04/22、24期、自由党)

○中山委員 ただいまの御報告を聞いておりまして、まず第一に私の心に浮びますことは、同じ国民でありながらも、戰後の状況によりまして、今はわが国から行政的に引き離されておりながら、かくも丁寧に私どもの同胞の遺骨を守つてくれているこの島民に対して、私ども本土の者の感謝の意思表示をしたいということで、これをまずしたいと考える次第でございます。これは委員長に御一任申し上げてもけつこうでございますから、今沖繩を治めている政府のお方に、引揚委員会としてでもよし、あるいは国会としてでもよろしゆうございますから、何らかの様式によりまして、私どもが深甚の感謝をささげるということを御発表願いたいと思うのが第一でござ……

第13回国会 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第15号(1952/05/27、24期、自由党)

○中山委員 私は先ほど池見委員から御質問の出ましたことに関連してお尋ねしたいと思うのでありますが、池見委員がおつしやいました通りに、高良とみ子女史がソ連に参られまして、そうして墓場へ行つてお花をたむけたという記事を見まして、これが事実であるとすれば、またその墓場にはずつと番号が付してあつたという記事もあつたと私は記憶いたしておりますが、もしこれが事実といたしますれば、タス通信によりまして発表されましたわれわれの同胞に関するあの報告なるものが、根底からくつがえされたと私は考えるのであります。私がいつもタス通信を信用することができない最大の原因は、わが同胞の死亡した者の数が一人もなかつたということ……

第13回国会 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第16号(1952/06/05、24期、自由党)

○中山委員 関連して……。ちよつと伺いますけれども、国内に帰つて来たものとしてある以上は、未復員者給与法の適用ができないというお話でしたが、それは巣鴨におる人たちに限つてのお話ですか。それとも海外におります戰犯も、やはりそれに連れ立つてそういう扱いになつておるのでございますか。
【次の発言】 その問題はまことに私は無法だと思うのです。こういう立法の府において、そういう無法な暴言が吐かれるということは、私は聞き捨てならないと思います。なぜならば、たとい巣鴨におるとはいえ、これはまだ日本の方に渡されていない人たちですから、私はこれはやはり帰らないものと認めたいし、ことにまた海外に抑留されておる者も……

第13回国会 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第17号(1952/06/20、24期、自由党)

○中山委員 関連して……。そういう人たちは行方不明者として知られておつたのでありましようか。外務省として、どういう区分けの中にその人たちは入れてあつたのでしようか。
【次の発言】 潜在しておつたのを探し出したのは、結局出先機関ということに了承してよろしゆうございますか。
【次の発言】 別にそれは山の中にこもつておつたというものではなく、土民の間で何か生業でも営んでおつた人たちでしようか。

第13回国会 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第18号(1952/06/25、24期、自由党)

○中山委員 私は婦人議員としていろいろお話を伺つておりまして、考えさせられるところも多いのでありますけれども、私どもの昔の衆議院の同僚、今は参議院にいらつしやるある婦人の方も、南方から夫とともに来た人のために家庭が破壊されて、こちらに子供がありながら、遂に離婚という状態になりまして、国内におきましても、雑誌や新聞で非常に問題になつたのでございます。しかしそれは個人の問題として私は考えたいと思つております。お互いに国家がそういうところまで立ち入る問題じやないと思いますが、しかし今国内におきましては、いわゆる戰争の落し子というような問題、進駐軍の人と日本の女との間にできた子供の処理などが、非常に婦……

第13回国会 外務委員会 第2号(1952/01/30、24期、自由党)

○中山委員 今回、朝鮮の捕虜収容所に現われました私どもの同胞は、終戦後中共におりまして、転々としておる間に、義勇軍として朝鮮戦線に出て来、国連軍の方に捕われたのでありまして、宮崎県の人でありますが、ただいまゼネヴアにおきましても、私どもが参りましてお願いいたしました三人委員会が活躍をし、日本からも三人の人が要請されて向うに行つておるような現在でありますから、私はこの二つの問題をにらみ合せまして、せつかくここに現われて来た同胞が、捕虜交換のときに、あるいはまた元へ送り返されるのではないかというようなおそれを持つのでございますが、たとい一人でも、こういう事態になりましたならば――これが中共から正式……

第13回国会 外務委員会 第6号(1952/02/27、24期、自由党)

○中山委員 日米安全保障條約によりまして、アメリカの軍隊が日本の安全を保障するために駐留することは、むろんわかつているのであります。しかし今のところ、司令部の屋上には国連の旗が翻つております。この国連軍というものは、結局朝鮮に向つての行動としてあるわけでありますが、日本が独立した場合に、この国連の旗がなおも継続して日本に翻るのでございましようか、これはどこへ行くべき運命を持つておりますか、私はこの点を伺つておきたいと思います。と申しますのは、私の一つの心配でございますが、うまく朝鮮の休職が運ばれて、そこに平和が確立されれば、もう心配はないのでありますけれども、万一――これは仮定と言つてけられれ……

第13回国会 外務委員会 第28号(1952/05/30、24期、自由党)

○中山委員 ちよつとお伺いします。その中国関係の戰犯八十八名とございますが、ソ連の方の言い分を聞いておりますと、中国関係の戰犯はソ連にあつた者を向うへ逆送したということを私は記憶しておりますが、その人たちもまたその八十八名の中に入つておるのでありましようか。
【次の発言】 それではソ連から逆送されたという人たちの数は、いまだはつきりしておらないでしようか。

第13回国会 外務委員会 第37号(1952/06/25、24期、自由党)

○中山委員 政務次官にお伺いしたいことは、この間からここでも問題になつておりました対日理事会に来ておられますソ連代表部のことでありますが、新聞で見ておりますと、このたびキスレンコ氏が香港経由で中共に寄り、本国に帰つた、その旅券の要請が出ておるということが書いてございましたが、この動きというものは、今ソ連がやつておりますところの外交官の大異動の一つの場面と申しますか、あるいはまた外務省から申入れをなさいましたソ連大使館の日本駐在の理由が解消したということに対するところの一つの答えでございますか、それを承りたい。
【次の発言】 この間国連に、加盟国のことにつきまして、ソ連の代表が、十二箇国でござい……

第13回国会 外務委員会 第38号(1952/07/02、24期、自由党)

○中山委員 関連して。移民の問題が今出ましたが、これは違つた形の移民のことを私お尋ねしたいと思います。それはこの間政務次官も御臨席でございましたが、インドネシアから帰つて見えました人たちの代表三人のお言葉を聞きますと、インドネシアの独立を助ける軍隊として、二百五十人の日本人がやむを得ざる事情によつて応援をした。今度いろいろの人がその中から死んで、百五十人ほどそこへ残つておるのであるが、この人たちは、自分たちが戰犯になつていはしないかということが一つの恐れ、第二には、先方で向うの婦人と同棲をいたしまして、子供もできたというので、その愛情のために日本へ帰つて来たくない。今の話ではむろんインドネシア……

第13回国会 外務委員会 第39号(1952/07/30、24期、自由党)

○中山委員 最近最も国民を惑わし奇怪にたえない問題は、比較的短時日の間、ソ連、中共を旅行いたしまして帰つて見えました高良、帆足、宮腰王氏の最近の言動でございます。私ども地方に帰つて会しても、いろいろとこの方々のおつしやつておりますことが流布されまして、一方においては、赤い人たちに勝利の声を上げさせるようであり、一方におきましては、留守家族の心を千々に砕いておりますところの問題に私どもは直面するわけでございます。この方々は、その中の一人は落選もしていらつしやいますが、かつては国会議員であつたこともある人でありまして、七年の長きにわたりまして、この問題について国会も国民とともに悩み抜いて交渉をし、……

第13回国会 地方行政委員会 第27号(1952/04/16、24期、自由党)

○中山委員 関連して。日本は右とか左とか、もどるとかもどらぬとかいう話でございますが、これは一般的に、世界的の文明国の一般概念はどうなつておるのでありましようか。それを伺つておきたいと思います。今日は日本だけの日本ではないのですから、どこへ行つても通ずるという概念を日本人が持つている方向に向つてこういう問題も研究しておいた方が正しいのじやないか。今後いろいろな国へ行つたら、そのところによつていろいろと考えをかえなければならないということは混乱しますから、その基本的の規則はどういうものか一ぺん伺いたいと思います。


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第14回国会(1952/08/26〜1952/08/28)

第14回国会 外務委員会 第1号(1952/08/28、24期、自由党)

○中山委員 大田演習場の問題でありますが、当演習場は山口県美禰郡大山町、伊佐町、大嶺町、赤郷村、共和村、別府村、岩水村の三町四箇村にまたがる海拔四百メートルの高原性台地で、わが国最大のカルスト地帯として名のあるところでありまして、わが国はもちろん各国の地質学界の研究の対象地であります。また秋吉台の地下に存する特別天然記念物秋芳洞は延長十二キロ、世界第一といわれる米国のケンタツキ州マンモスケーヴ国立公園にある洞窟に次ぐものであるといわれております。ほかに地獄台、大正洞、景洞、中尾洞等多くの天然記念物が散在し、これが地上において実弾射撃を実施するとすれば、日本がやつていたときは空弾でやつていたそう……


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各種会議発言一覧(衆議院24期)

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第13回国会(1951/12/10〜1952/07/31)

第13回国会 厚生委員会海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会連合審査会 第1号(1952/03/31、24期、自由党)

○中山委員 私はこの前引揚げの方で御質問申し上げた船員の遺族に関する質問でありますが、そのときには、海員の保険によつてこれは処理されるものであるから、それでこれに入れてないのは当然だという御答弁でございました。しかし私が陳情を受けましたところによりますと、国家総動員法によつて、この人たちは使われておつたものであるがゆえに、当然軍属と同じに扱つてもらわなければならないのであるということを、力説しておるようでございます。大阪におきまして、その遺族が会合を持ちまして、軍人軍属は八百万人に上る、であるがゆえに、政党が直面しておるところの総選挙に利用価値がある。しかし海員の遺族は三万人しかないから、選挙……

第13回国会 大蔵委員会厚生委員会海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会連合審査会 第1号(1952/06/27、24期、自由党)

○中山委員 ただいまお話を聞いておりますと、戦犯に対する、あるいは死刑された者に対する給与の面を考えて行くということは、対外的には悪いのではないかという御意見が提案者の方、あるいは法制局の方からお話が出ましたが、台湾人あるいは朝鮮人等いろいろな方々に何もしてあげないということが、私は対外的に感情が悪いのではなかろうかということを考えるのであります。一視同仁ということであれば、この間朝鮮の人でございますか、もう自分たちは四月二十八日以降日本人ではないのだから、即時釈放をせよという裁判を提起したということも聞いておりますが、これが釈放されないで、刑が執行されるまでそこに拘禁されておるものであれば、……



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※このページのデータは国会会議録検索システム衆議院ウェブサイトで公開されている情報を元に作成しています。

データ更新日:2023/02/05

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