このページでは石原慎太郎衆議院議員の33期(1972/12/10〜)における国会発言(質問、答弁等)をまとめています。国会活動の統計や役職、質問主意書の数や内容は33期国会活動統計で確認できます。
○石原委員 先般の委員会で石井理事が日本の燃料資源問題について質問されました。私、同じ問題につきまして、きょうはおもに軍事戦略的な見地からお伺いしたいと思います。
最初に妙な質問をいたしますが、大臣、最近世界の外交界でクマが泳ぎを覚えたということがしきりにいわれますけれども、その意味を御存じでいらっしゃいますか。
【次の発言】 もう大臣よく御存じだと思いますけれども、これはソビエトの海軍力が現在各軍事力においてアメリカとパリティーになる以前にすでにアメリカを凌駕して、文字どおり世界一の軍事力を持つに至った。そしてそれが世界じゅうの戦略、政略というものに非常に大きな影響を与えているということだ……
○石原委員 原子力事業が発展し、原子力発電の需要がふえるに沿いまして、今回の協定で濃縮ウランの需要の増加に伴った変更が行なわれるのは当然のことだと思いますが、今回の協定が従来のものと違った点といえば、アメリカ側からの供給保証が契約のベースに変わった、第二が移転される濃縮ウランの量がふえた、第三は保障措置がIAEAに移行したという点だと思いますが、これらの変更の要素の中に幾つかの問題があると思います。 なかんずく、最初の、供給保証が契約のベースに変わった、第七条でありますが、これは、アメリカ側にもやはりアメリカ側の需要の増加に沿った事情があって、それが反映されているという気がいたします。つまり……
○石原委員 気がついた点について、順不同にお聞きしたいと思いますが、先ほど大杉さんがおっしゃっていましたけれども、原子力の平和利用に関する日本とアメリカ、あるいはアメリカと世界全体の関係を歴史的に振り返ってみますと、大杉さんがおっしゃったことが非常に妥当なような気がするのです。ただ、あなたがおっしゃった現協定に対する解釈はちょっと私異論がありますが、いずれにしても、一九五五年にアイゼンハワーの提唱で始まったジュネーブの会議は、実はいま論議されているNPTを実質的に第一期にやったような、いろいろな拘束力を持ち、アメリカのそういう世界政略のあらわれであったわけで、日本の原子力の平和利用計画というも……
○石原委員 国会の答弁も新聞も明けても暮れても金大中、金大中でございまして、これまた日本独特のヒステリックなセンセーショナリズムの現象だと思いますが、幸か不幸か、今回の金大中事件という不幸で悲劇的な事件の中で国家の主権の問題であるとか外交の尊厳の問題が焦点が当てられましたが、実は冷静に考えてみますと、焦点の当たらない、新聞が書きたがらない小さな問題の中に、今回以上に外交の尊厳、国家の主権の問題が込められているという気がいたします。私はたぶん新聞が書きませんでしょう、そして私たちにとって金大中事件以上に重大な意味合いを持つと思われる問題について御質問いたします。 四月十二日の朝日の北京発電報で……
○石原委員 昨今日本の外交に非常にいろいろな問題が続いてございました。これに対して外務省の対処の不備が云々されておりますし、また、それについていろいろな憶測、批判もございます。私は、非常に誤解と毀誉褻貶の多い青嵐会の一員でございますが、これを単に党内の政治的な抗争の次元でとらえたりすることは、非常に慎重を欠き、事の本質を見のがすおそれがあると思います。そしてまた、一連の日本の外交の不備としか言いようのない問題も、一人の次官の更迭では片がつかないと存じます。 そこで外務大臣に、今後の日本の外交の基本的な、本質的な問題についてまずお聞きしたいと思いますが、日本に限らず、各国の内政あるいはそういっ……
○石原委員 外務大臣にお伺いいたしますが、今回のこの協定は非常に政治性が強い。獲得された両者の路線がいわば外交路線ともいわれております。しかし、そうならば一そうこの協定を結ぶにあたってわが国が中国に対してとる外交的、政治的原則は、さきのハワイ会談の日米共同声明にもいわれましたように、中国やソビエトのような閉ざされたクローズドソサエティーとわれわれ自由主義国家圏の質的な相違、つまり開かれた社会と閉ざされた社会の質的な相違というものを認識し、その認識にのっとって閉ざされた社会を開いた社会にしていくという姿勢だと思います。また言いかえれば、彼らに自由主義社会の第三者が客観的に見ても公平な原則というも……
○石原委員 大統領夫人の殺害事件について、日本に道義的な責任がないとか、それから外務大臣の北の脅威云々について、多分に誤解の多い言辞が外務省に多いような気がいたします。特に道義的な責任がないということばは、後に公式には取り消されましたが、非常に余韻が消えにくいことはであったと思います。ちょうど言ってみれば、万引きが常習の子供を持った母親が、近くのスーパーマーケットでまた事件が起こったので、自分の子供じゃないかと思ってかけつけてみたら、自分の子供でなかったということで、ほっとし過ぎてああいう発言になったのではないかと思いますけれども、実はつかまった子供が、実子ではなくても、実は自分の親戚であった……
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