このページでは石原慎太郎衆議院議員の40期(1993/07/18〜)における国会発言(質問、答弁等)をまとめています。国会活動の統計や役職、質問主意書の数や内容は40期国会活動統計で確認できます。
○石原慎太郎君 昭和四十一年の暮れから翌年にかけて、私は、ある新聞社の特派員として、当時既にデルタ地域にまで共産勢力が進出していたベトナム戦争の取材に赴きました。 あのベトナムで私が強く感じたことは、首都サイゴンの知識階級のみずからの国で行われている戦争への驚くほどの無関心、冷笑的な態度でありました。それゆえに、私は、あの国がやがて間違いなく共産化されることを確信していました。同時に、私には、あの教養高いベトナムのインテリと日本の知識人たちがその政治姿勢において互いに非常に似ているという気がしてなりませんでした。ということは、祖国日本もまた、いつかの将来、あるいは自由主義体制が侵食され崩壊す……
○石原(慎)委員 きょうは、実は北富士の演習場と総理の侵略戦争問題についてちょっとお尋ねしようと思いましたら、どうも内閣のスタッフが非常に神経質でしてね、日がな夜がなうちへ電話をしてきて、何を聞くんだ、何を聞くんだと。これは、あなたが新しい内閣でやろうと思われている議会運営の本意に随分反するんじゃないかと思って、私は、ごく常識的なことしか尋ねないから、総理の歴史観なるものを構築している常識でお答え願いたいということを申しました。 昨日の橋本政調会長の例の侵略戦争問題についての質問にも、率直な気持ちをあらわしたとお答えになっておりますが、それはそうなんで、結構なんですけれども、前後して、さした……
○石原(慎)委員 最初に、総理に永野発言についてお伺いしたいと思いますが、永野前法務大臣は、あれは首ですか、それともやめたんですか。罷免ですか、それとも辞任ですか。
【次の発言】 それでは、永野さんの辞意のどこをどういうふうに是とされて彼の辞任を、辞意を入れられたんですか。
【次の発言】 私は、次の世紀はもうじきやってきますけれども、まさにアジアの時代になると思いますし、そういう一つの予見で日本も加担し、協力し、アジアの国々と前向きの姿勢でこれから大いにつき合っていこうというのは大変結構ですが、それを逆流させる可能性があった発言というのはどういうものなんでしょう。あの発言のどの部分なんでしょう……
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