吉田茂 衆議院議員
24期国会発言一覧

吉田茂[衆]在籍期 : 23期-|24期|-25期-26期-27期-28期-29期
吉田茂[衆]活動記録 : トップ選挙結果本会議発言委員会統計発言一覧質問主意書

このページでは吉田茂衆議院議員の24期(1949/01/23〜)における国会発言(質問、答弁等)をまとめています。国会活動の統計や役職、質問主意書の数や内容は24期国会活動統計で確認できます。

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本会議発言一覧(衆議院24期)

吉田茂[衆]本会議発言(全期間)
23期-|24期|-25期-26期-27期-28期-29期
第5回国会(1949/02/11〜1949/05/31)

第5回国会 衆議院本会議 第11号(1949/04/04、24期、民主自由党)【政府役職:内閣総理大臣・外務大臣】

○國務大臣(吉田茂君) ここに現内閣の施政の方針に関して一言する機会を得ましたことは、私のまことに欣快とするところであります。  思うに、國民は今回の総選挙におきまして、終戰以來の苦しき経験にかんがみ、安定せる政局のもとに、わが國の再建を健全なる保守政党に託さんとして、われわれ保守政党を圧倒的に支持したものと考えるのであります。(拍手)ここに政府は着々所信を断行いたしまして、もつて國家の復興再建を成就し、外は連合國の好意と援助にこたえ、内は國民の輿望と負託にこたえんとするものであります。(拍手)  十年間にわたる無謀なる戰爭による、名状し難い破壊と混乱の跡始末をなし、わが國の復興再建をはかるた……

第5回国会 衆議院本会議 第12号(1949/04/05、24期、民主自由党)【政府役職:内閣総理大臣・外務大臣】

○國務大臣(吉田茂君) 淺沼君にお答えをいたします。民主党の一部と連立いたしたことについて攻撃でありますが。私は常に政見、政策を同じくする者とともに政局に立ちたいということは、終始言つておることであります。すなわち私の民主政治確立の理想は、二大政党が相対立して民主政治の基礎をなしたい、この考えから、いやしくもわれわれと志を同じゆうしている政党政派は、ひとり民主党の諸君のみすらず、その他の政党の諸君においても、同じく政局に立つて天下のまつりごとをなしたい、こう考えるものであります。なぜわれわれはこう言うかといえば、今日日本の現状を見ますと、インフレーシヨンをとどめ、また今日における幾多の情景を改……

第5回国会 衆議院本会議 第13号(1949/04/06、24期、民主自由党)【政府役職:内閣総理大臣・外務大臣】

○國務大臣(吉田茂君) 衆議院が長期の間にわたる本懸案の解決のため発議されたことは、まことに欣快にたえないところであります。(拍手)政府はただちに本決議を実施に移し、合衆國政府と商議を開始し、結果につきましては、本院にさらに報告するとともに、しかるべき國内措置を講ずることといたします。(拍手)
【次の発言】 お答えをいたします。現内閣は公約のたな上げもいたしません。しばしば申す通りに、緩急をはかり、漸次これを実現する考えであります。またこのたび提出いたしました予算は、これは現内閣の責任において提出いたしましたことは、施政方針において申した通りであります。從つてまたこの國民生活に及ぼす影響等につ……

第5回国会 衆議院本会議 第14号(1949/04/07、24期、民主自由党)【政府役職:内閣総理大臣・外務大臣】

○國務大臣(吉田茂君) 浦口君にお答えするに先だつて、昨日の竹山君の御質問に対してお答えをいたします。  御質問の要旨は、施政方針の演説中において國民負担の軽減をやると言つたが、いかなる確信があるかということと承知いたします。これは私の施政演説の中に申した通り、税制審議会において十分日本の税制制度を研究いたし、再檢討いたして、その結論に基いて政府は勘案する。それからまた歳出においても、歳出の実施面において十分さらに節約を加えてその余剰をはかることをいたす。また國有財産その他の処分によつて幾らかの余裕を得たい。こうすることによつて、私は國民負担の軽減ができると確信いたすのであります。  また浦口……

第5回国会 衆議院本会議 第22号(1949/04/26、24期、民主自由党)【政府役職:内閣総理大臣・外務大臣】

○國務大臣(吉田茂君) 政府は四月六日の國会の決議に基き、米國政府と交渉いたしました結果、四月十四日、米國政府との間に阿波丸請求権の処理のための協定が成立いたしたのでございます。  その内容は、まず前文において、米國政府は阿波丸撃沈についてその責任を認め敵対行動が終結した後損害賠償の問題を考慮する用意のあることを保証したこと、その後日米両國政府はこの問題を満足に解決するため努力しつつあつたが、今回マッカーサー元帥のあつせんによつて協定を締結する運びとなつた旨が述べられております。  本文におきましては、第一、日本の占領が開始されて以來進展した公正な事態を考慮し、また米国政府から受けた援助を多と……

第5回国会 衆議院本会議 第31号(1949/05/17、24期、民主自由党)【政府役職:内閣総理大臣・外務大臣】

○國務大臣(吉田茂君) 総理大臣兼外務大臣として明快なる御答弁をいたします。(拍手)  一体この阿波丸事件に対する協定への法的根拠はいかん。これは今御指摘の通り、日本は今日法的に外國との條約、協定を結ぶことはできないことになつておりますが、しかしながら、もし最高司令官がよろしいと許す範囲において日本國は協定を結ぶ権限があると私は解するのであります。(拍手)  また、特定の債務、その債務を含んだ協定は議会の協賛を経べきものというお話でありましたが、しかしながら、これは事前において、すでにこの國会の協賛を経て、決議案として現われたものを、協定の中にそのまま繰入れたものであります。ゆえに私は、協賛を……

第5回国会 衆議院本会議 第37号(1949/05/23、24期、民主自由党)【政府役職:内閣総理大臣・外務大臣】

○國務大臣(吉田茂君) 並木君にお答えをいたします。私がウオーナー君に話した内容なりとして新聞に出た記事についての御質問でありますが、私は從來、新聞の記事については一切責任を負わないのであります。從つてまた、これには御答弁いたしがたいのであります。  また、ことに講話條約以後の駐兵というような問題は、はなはだ微妙な問題でありまして、ことに抽象問題であつて、かくのごとき問題について私がこの國会の席上において申すということは、はなはだ不穏当と考えまするから、答弁はいたしません。  また、ドツジ公使の送別の場合において私が申したことについてお尋ねでありましたが、これまたドツジ君に対する私との間の話で……


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第6回国会(1949/10/25〜1949/12/03)

第6回国会 衆議院本会議 第4号(1949/10/31、24期、民主自由党)【政府役職:内閣総理大臣・外務大臣】

○国務大臣(吉田茂君) 井上君にお答えをいたします。  薪炭特別会計法の効力を政府が独断で停止したというようなご意見でありますが、この点については農林大臣から詳細お答えをいたします。  また、この薪炭会計は昭和十五年以来の問題であつて、その間片山内閣のときには黒字であつたということでありますが、私の承知いたしておるところは、そうでないのであります。詳細のことは主幹大臣からお答えをいたします。  薪炭会計の経理については、われわれは積年の宿弊と考え、これを断固として処分いたさなければならぬ、こう考えて、この問題の解決に、前に着手いたしておるのであります。この内閣におきましては、あるいはこの臨時国……

第6回国会 衆議院本会議 第6号(1949/11/08、24期、民主自由党)【政府役職:内閣総理大臣・外務大臣】

○国務大臣(吉田茂君) 本日ここに施政方針に関し私は所見を述ぶることを欣快といたします。  今日国民が最も熱望いたしておりますことは、平和條約締結の一日も早からんことであります。(拍手)最近外電はしきりに米英両国が條約準備中の旨を伝えております。これは米英の、わが国民の終戰以来自省耐乏、條約及び占領政策を誠実に遵守した等の努力に対する好意ある理解の結果と私は考えるのであります。(拍手)  独立を回復して国際団体に復帰の日のようやく近からんことを考えますときに、まことに諸君とともに御同慶の至りであります。(拍手)ますますその実現を確実ならしむためにも、わが国が国際社会の一員としてはずかしかざる民……

第6回国会 衆議院本会議 第7号(1949/11/10、24期、民主自由党)【政府役職:内閣総理大臣・外務大臣】

○国務大臣(吉田茂君) お答えをいたします。ただいま鈴木君から、政府はできもせぬ約束をしておいて、ドツジの名に隠れて、その公約を果さない、こういうお話でありましたが、できもしないというのは鈴木君のお考えで、われわれはできるのである。(拍手)できて漸次これを予算面に盛つておりますから、補正予算をごらんになつて、さらに御検討を願いたいと思います。(拍手)また政府の予算はその当時私がはつきりここで申した通り、政府の予算は政府の責任において提出いたしたのであります、ドツジ君の名に隠れて、勧告に隠れて責任を回避したことはかつてないのであります。(拍手)  また自立経済、自立経済と、しきりにここにおつしや……

第6回国会 衆議院本会議 第8号(1949/11/11、24期、民主自由党)【政府役職:内閣総理大臣・外務大臣】

○国務大臣(吉田茂君) お答えをいたします。  政府は思想弾圧をいたした事実はないのであります。教師とか、あるいは国家公務員が、その地位においてある制約を受けるということは、私は当然と考えるものであるが、これが憲法違反なりやいなやについては、あなたと政府とは意見を異にいたしております。  警察制度については、治安秩序が維持せられるように、警察制度をますます改善いたしたいと存じます。なお国家警察長官の人選については、今なお同じ人がその地位にあるのであります。また新聞等において、その任免等についていろいろうわさがあつたとしても、一々政府がこれに対して答弁する責任を感じないのであります。(拍手)  ……

第6回国会 衆議院本会議 第12号(1949/11/18、24期、民主自由党)【政府役職:内閣総理大臣・外務大臣】

○国務大臣(吉田茂君) お答えをいたします。小麦協定には、まだ日本政府は入つておりません。まだ農地法、実質賃金、貿易等いろいろお尋ねがありましたが、これは主管大臣からお答えいたします。(拍手)
【次の発言】 お答えをいたします。教育費は現内閣において最も重要視する政策の一つでありまして、本年補正予算においては十五億と上ましても、二十五年度の本予算において相当額の予算を組んでおります。予算の詳細のことは文部大臣からお答えがあるであろうと思います。
【次の発言】 官紀の粛正については、現内閣としても従来十分注意いたしましたが、今後もなお注意いたします。  なお官公吏の犯罪につきましては、法の命ずる……


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第7回国会(1949/12/04〜1950/05/02)

第7回国会 衆議院本会議 第11号(1950/01/23、24期、民主自由党)【政府役職:内閣総理大臣・外務大臣】

○国務大臣(吉田茂君) 第七国会開会際しまして、ここに施政の方針をぶるは、わたしの欣快といたすところであります。  終戦以来箇年有余、同情ある外援と国民の努力によりまして食糧事情は緩和せられ、生産は逐次回復し、貿易また増進いたしまして、財政の均衡を得るとともに、インフレは終し、今や国家復興によみがえらんとする国民の意気とみに旺盛なるの概あるは、まことに御同慶至りであります。(拍手)経済の安定は自然政情の安定を促し、民主主義は国民の間にますます根底を固め、健全なる発達をいたしておることは、諸君御承知の通りであります。過激思想に対して、国民は正確なる判断のもとにこれを支持せざる事実は、累次の各種選……

第7回国会 衆議院本会議 第12号(1950/01/25、24期、民主自由党)【政府役職:内閣総理大臣・外務大臣】

○国務大臣(吉田茂君) 三宅君にお答えをいたします。  私が国際関係、講和に対して楽観論に過ぐるという御批評でありますが、私としては、この議会において楽観論をとなえ得るということは、国家のためにまことに慶事であり、賀すべきことであると私は考えるのであります。(拍手)ただいま三宅君は、社会党を代表して平和国家論を強調せられたのでありますが、私はこれを聞くことを最も欣快に考えるのであります。どうか社会党におかれては平和国家の主義において終始せられんことを切望してやまないのであります。  またダンピングに関しての議論でありますが、私は、十二月中にフロア・プライスを撤廃するときにあたつて、特にダイビン……

第7回国会 衆議院本会議 第13号(1950/01/26、24期、民主自由党)【政府役職:内閣総理大臣・外務大臣】

○国務大臣(吉田茂君) 三木君にお答えをいたします。  私の施政演説を勉強してごらんくだすつたならば、私の答弁を待たずに、あなたはわかつただろうと思います。私の申したことは、全面講和は希望する、但し講和は相手のあることでありまして、一人相撲ではないのであります。連合国との間の談判によることである、すなわち客観情勢によるのであると、こう申したのであります。また、あなたの御質問の中に、全面講和か單独講和かと揣摩臆測して云々ということをおつしやつたのでありますが、これはあなたこそ揣摩臆測されるのであつて、私はかつて、全面講和、單独講和いずれがいいかという命題は出したことがないのであります。(拍手)ま……

第7回国会 衆議院本会議 第14号(1950/01/27、24期、民主自由党)【政府役職:内閣総理大臣・外務大臣】

○国務大臣(吉田茂君) 竹山君にお答えいたします。  農政審議会の目的は、人口の半ば以上を占むる農民の利益保護増進については、国政の上において重大な事項と考えますから、農政審議会をつくりまして、学識経験を持つそれぞれの有識者に委員会委員になつていただいて、その意見を愼重に尊重したい。その愼重なる審議を得て、その意見を政府としては政策の面に織り込んで行きたい、こういう趣旨塩設けたのであります。その構成、運營等につきましては、主管大臣からお答えをいたします。  また農産の自立、供出、統制についての御意見がありましたが、農産自立について政府はいかたる方策を持つておるかということは予算面において御承知……

第7回国会 衆議院本会議 第15号(1950/01/28、24期、民主自由党)【政府役職:内閣総理大臣・外務大臣】

○国務大臣(吉田茂君) 佐竹君にお答えをいたします。私が施政の演説の中において、自衛権を突然唱え出したのは、全面講和ができないという見通しからであろう――これは佐竹君の推測であります。私が自衛権の問題に論及しましたのは、戰争放棄によつて、あたかも日本の安全保障が危険になつたというようなふうに感ずる向きがあつて、しきりに安全保障ということが出ますから、武力によらざる自衛権は国家として存在するものであるということを申したたけであります。(拍手)
【次の発言】 世耕君にお答えをいたします。  台湾の帰属についての御意見は、まさにその通りであろうと思いますが、しかしながら、今日日本といたしては、ただち……

第7回国会 衆議院本会議 第16号(1950/02/07、24期、民主自由党)【政府役職:内閣総理大臣・外務大臣】

○國務大臣(吉田茂君) 北村徳太郎君にお答えをいたします。  北村君の御演説の中に、講和問題に関して、ソ連依存でもなければ英米依存でもないのである、これらの野党の質問に対して政府はまじめに答弁しない、民主的と言えないという非難でありますが、英米依存とかソ連依存とかいうことは、現に問題になつておらないのであります。講和問題については、何ら具体的に政府としては取上げておるのではありません。これに対して民主的にお答えをする材料を持たないから、お答えをいたさなかつただけであります。  また第二の質問としては、全面講和であるかどうか。これまた前面講和の何ものであるかということは具体的にきまつておらないの……

第7回国会 衆議院本会議 第18号(1950/02/11、24期、自由党)【政府役職:内閣総理大臣・外務大臣】

○国務大臣(吉田茂君) 川上君にお答えをいたします。  近ごろ、アメリカ政府の勧誘によつて、アメリカのホノルルその他において、しばしの代表機関を設けますが、これは外交機関ではないのであります。單なる事務を処理する、在留民その他の国籍党等を取扱う、いわば事務的村役場のごときものを置くことになつておるのであります。便宜のためであります。外交機関ではないのである。  また、軍事基地々々々々と言われるが、これは條約を見れば、よくわかるのである。占領下の日本において、連合軍司令部がいかなる軍事施設を持つておるか、これは連合軍の権限であります。(拍手)  また、いろいろお話があつて、全面講和をするためにと……

第7回国会 衆議院本会議 第47号(1950/05/02、24期、自由党)【政府役職:内閣総理大臣・外務大臣】

○国務大臣(吉田茂君) 引揚促進に対するただいまの決議に対しまして、政府といたしまして一言所見を述べます。(拍手)  終戦直後においてソビエトその他中国に引渡された同胞の概数に、政府の持つております陸軍その他の調査によつて、大体の数字は政府が承知いたしておるところであります。その後において、どれくらいな人がどうなつたか、詳細のことは([わからぬだろう」と呼ぶ者あり)わからぬのがあたりまえであります。何となれば、ソビエトとの間に日本としては何らの機関も持つておらないのでありますから、実情がわからないのはあたりまえであります。その実情を知らんと欲して、しばしばソビエト政府その他に対して、連合軍司指……


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第8回国会(1950/07/12〜1950/07/31)

第8回国会 衆議院本会議 第3号(1950/07/14、24期、自由党)【政府役職:内閣総理大臣・外務大臣】

○国務大臣(吉田茂君) 第八回国会開会にあたりまして、ここに施政の方針を述べることは、私の喜びとするところであります。まずここ当面の問題について所見を述べることといたします。  地方税改正法案の意図するところは、さきに成立した国税関係の諸改正法律とともに、国税、地方税を通ずる国民租税負担の均衡及び軽減をはかり、あわせて地方財源の強化拡充を通じて、わが国民主化の根幹たる地方自治及び財政の確立に裨益せんとするものであります。前国会において地方税法案が不成立になりました結果は、地方公共団体の財政運営の上にはなはだしく支障を来し、よつて政府は各般の応急措置により当面の問題を救済いたしたのでありますが、……

第8回国会 衆議院本会議 第4号(1950/07/15、24期、自由党)【政府役職:内閣総理大臣・外務大臣】

○国務大臣(吉田茂君) お答えいたします。  早期講和の確信いかんというお尋ねでありますが、これは今日在外公館等を持つておらない日本政府としては、單に新聞に伝わるところの事実をもつてお答えするよりしかたがないのでありますが、コロンボ会議以来、英連邦の外務大臣は、しばしば対日講和の條件その他について、ロンドンその他において会合したということであります。また、これに基いてアメリカの国務省その他においては、しばしば対日講和條件について協議が行われた。またこの問題をめぐつてアチソン長官等がロンドンに行かれたというような事実を総合いたして、私は、講和は早期にできるものであろう、最近の動きが一層この確信を……

第8回国会 衆議院本会議 第5号(1950/07/17、24期、自由党)【政府役職:内閣総理大臣・外務大臣】

○国務大臣(吉田茂君) お答えをいたします。  朝鮮事変の見通しについて重ねて御質問でありますが、これは一昨日も申した通り、不完全なる資料をもつて隣国の南北紛争の予言をいたすということは、当局者としては差控えたいと考えます。但し、日本に及ぼす影響については、政府としてはこれに善処する用意のあることをここに言明いたします。  その他の御質問に対しては主管大臣からお答えいたします。(拍手)
【次の発言】 お答えをいたします。  国連への協力について、具体的にその内容を示せという御希望でありますが、今日、日本の立場といたして積極的にまた具体的に、こうこうかくかくの点について協力するということを言い表……

第8回国会 衆議院本会議 第10号(1950/07/29、24期、自由党)【政府役職:内閣総理大臣・外務大臣】

○国務大臣(吉田茂君) お答えをいたします。  このたびの警察予備隊の設置の必要になつたことは、ただいまお話の通りであります。ことに昨年以来、治安については政府としてはなはだ懸念にたえない事態がしばしば起つたのであります。これは諸君もすでに御承知であろうと思いますが、平の事件とか、あるいは広島等における共産党の指示による事件等は、はなはだ治安の上から申して懸念にたえないところであります。またそれに対して、現在の警察組織がはたして十分治安の維持の目的を達し得るかどうかということは、われわれ政府としては非常に懸念になりまして、爾来警察をどう再組織するかということは、われわが絶えず心配をし、深甚なる……


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第9回国会(1950/11/21〜1950/12/09)

第9回国会 衆議院本会議 第3号(1950/11/24、24期、自由党)【政府役職:内閣総理大臣・外務大臣】

○国務大臣(吉田茂君) 本日ここに提出の……(発言する者多く、議場騒然、聽取不能)所見を述ぶる機会を得ましたことを欣快と存じます。  最近、外電は対日講和の近きを報じ、米国を中心として関係諸国間に予備交渉が進められつつある趣でありまますが……(発言する者多し)これは長い間講和を待ち望んで来たわれわれ日本国民にとつて、まことに喜びにたえないところであります。(拍手)一日もすみやかに、一国とでも多く講和をいたしたいと切望いたしておるわが国民としては、平和国家、民主国家としての日本の再建に……(発言する者多し)さらに一段の努力を傾注すべきときであると信ずるのであります。  なおこの機会に、政府は、ス……

第9回国会 衆議院本会議 第4号(1950/11/25、24期、自由党)【政府役職:内閣総理大臣・外務大臣】

○国務大臣(吉田茂君) お答えをいたします。  国会の召集が遅れたということは怠慢ではないかというお話でありまするが、政府といたして今日国会を召集することを要望するに至つた理由を述べます。第七国会の後、また臨時議会において、当時は朝鮮事件が勃発したときであります。朝鮮事件の態様あるいはその結果がどうなるか見すえのつかないときであつたのであります。またこの朝鮮事変なるものの内外に対する影響は非常に大でありまするから、その結果を見定めた上で政府としては施策を立て、また国会においても議論をいたすべきものであると思うのであります。またこの朝鮮動乱の結果日本の産業、社会生活等に及ぼす影響は重大であるので……

第9回国会 衆議院本会議 第5号(1950/11/26、24期、自由党)【政府役職:内閣総理大臣・外務大臣】

○国務大臣(吉田茂君) お答えいたします。  朝鮮の動乱につきましては、国連司令部の声明にあります通り、その終局に近づきつつあると私は確信いたします。  世界戰争の見通しについては、私がしばしば申す通り、このたび戰争が起つた場合には、これは人類の絶滅と申すか、あるいは世界文明の絶滅になるのであつて、かくのごとき責任をとる国はないと考えますから、私は、世界第三次戰争は、ただちに、少くとも容易に起るものではないと確信いたします。  電力再編成については昨日詳細申し述べた通りでありまするから、今日再び重ねて説明をいたしませんが、この再編成に関するポツダム政令なるものはマツカーサー元帥の書簡に基くもの……


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第10回国会(1950/12/10〜1951/06/05)

第10回国会 衆議院本会議 第5号(1951/01/26、24期、自由党)【政府役職:内閣総理大臣・外務大臣】

○国務大臣(吉田茂君) ここに私は、第十回国会の開会に際し、施政の方針を述ぶることを欣快といたします。  最近わが国の復興再建の機運とみに横溢し、昨年末には辺隅の地に至るまでまれに見るところの光景を呈したことは、まことに御同慶の至りであります。目を国外に転ずれば、朝鮮動乱は中共軍の参加とともに一層の紛糾を生じ、これを中心として冷たい戰争の様相を世界至るところに現わし来つております。この間に、わが国における共産主義者の跳梁はようやく影を治め、治安上何ら憂うべきものなきことは御承知の通りであります。(拍手)いな、わが国を民主主義の基盤として、極東共産主義制圧の一勢力たるの期待をかけられつつある国際……

第10回国会 衆議院本会議 第6号(1951/01/27、24期、自由党)【政府役職:内閣総理大臣・外務大臣】

○国務大臣(吉田茂君) お答えをいたします。  第一の御質問は、講和に対する心構えいかんという御質問でありますが、この心構えについては、すでに三木君御自身から私のために弁明していただいたように考えます。(拍手)私は、かつて一度も、講和は私にまかせておけというようなことを申したことはございません。のみならず、いわゆる謙虚な気持において、国民の輿論に耳を傾けて、国民の輿論のおもむくところに従つて善処する、これはしばしば私が申したことであります。(拍手)これがすなわち私の講和に対する心構えであります。  次に、共産主義と民主主義との間の対立戰における国外の状況は、三木君のお話によると、今にも日本の安……

第10回国会 衆議院本会議 第7号(1951/01/29、24期、自由党)【政府役職:内閣総理大臣・外務大臣】

○国務大臣(吉田茂君) 愛国精神を高揚喚起する方途いかんというお尋ねでありますが、日本国民は従来愛国心に富むと常に言われておる国民であつて、われわれも、日本国民に愛国心が欠如したという事実は毛頭認めませんのみならず、この愛国的精神に乘じて、これを惡用し運用して、あるいは侵略戰争になり、あるいは軍国主義の政治をしくに至つたという過去の事実を考えてみまして、この愛国的精神を、愛国精神を濫用する、惡用することの行き過ぎを戒むべきものであると考えるのであります。またその行き過ぎの結果、逆に愛国心を否定し、これを国家のためにはなはだ有害なものであるかのごとき言説を、昨今においては往々聞くのであります。こ……

第10回国会 衆議院本会議 第12号(1951/02/13、24期、自由党)【政府役職:内閣総理大臣・外務大臣】

○国務大臣(吉田茂君) 今回のダレス大使一行の日本訪問に際し、私及び政府係官が大使その他と話し合つたことの内容につきまして、お話いたします。  今回の話合いは、講和條約の交渉または下相談というものではなく、講和及びこれに関連する諸般の問題について互いに隔意なく意見を交換いたした次第であります。今回の話合いを通じて私が特に深く感銘いたしましたことは、わが国に対する米国の好意の銘すべきものがあることであります。これは敗戦の旧敵国として日本を見ていないというだけのことではありません。米国は敵国としての旧怨を忘れるばかりでなく、進んで日米両国が民主自由主義諸国の一環として共同防衛の責任をわかち、将来の……

第10回国会 衆議院本会議 第13号(1951/02/14、24期、自由党)【政府役職:内閣総理大臣・外務大臣】

○国務大臣(吉田茂君) お答えをいたします。  私のダレス特使に対する話合いと申しますか、相談については、すべて秘密であつて、秘密外交をなお継続するかというような意味合いと考えます。が、一体外交は秘密であるのが本体であつて、秘密でない外交はおかしな話なのであります。(拍手、発言する者あり)聞きたまえ。(発言する者多く、聽取不能)舞台もあり、楽屋裏もある……(発言する者多く、議場騒然、聽取不能)舞台裏の話まですべきではない。これは、ぐずぐずおつしやる方が間違つておると思うのであります。すなわち、舞台裏の話は話、またその話の結果表面に出た芝居がどうあるかは、この芝唐の結果によつて御判断になるべきで……

第10回国会 衆議院本会議 第20号(1951/03/13、24期、自由党)【政府役職:内閣総理大臣・外務大臣】

○国務大臣(吉田茂君) 衆議院議長幣原喜重郎君の逝去に対しまして、ここに政府を代表して敬弔のまことをささげたいと存じます。  君が二年有余、衆議院議長とし事て民主政治確立のために盡瘁せられ、逝去直前までその職務を全うせられましたことは、われわれの深く感銘するところであります。さきに内閣総理大臣として国政を担当せられましたが、当時わが国は終戰後のこんとんたる状況にあり、経済的疲弊またその極に達しておりましたが、君は烈たたる気魄をもつて、わが国再建の礎を築かれたのであります。(拍手)しかもなお君が外交における功績は、世人何人も賞讃を惜しまざるところであります。(拍手)君が、かつて心なき人々の超えに……

第10回国会 衆議院本会議 第30号(1951/04/16、24期、自由党)【政府役職:内閣総理大臣・外務大臣】

○国務大臣(吉田茂君) 本決議に対しましては、政府はまことに同感であるのみならず、本院が本決議により国民の意思、感情を内外に表明せられたことを、まことに喜ぶものであります。  終戰以来五箇年有余、その間数回内閣更迭がありましたが、党派のいかんにかかわらず、内閣首班に対し常に公平かつ丁重に応接せられ、温情をもつて国政の指導に当られたることを、私は感謝せざるを得ないのであります。  ここに特に全国民を代表して感謝を表示いたしたいことは、わが皇室に対し、元帥が特別の注意を常に拂われたことであります。(拍手)元帥は、日露戰争中、父君マッカーサー将軍とともに日本訪問以来、わが国に対し非常の関心を寄せられ……

第10回国会 衆議院本会議 第32号(1951/05/09、24期、自由党)【政府役職:内閣総理大臣・外務大臣】

○国務大臣(吉田茂君) 先般来られたダレス特使の日本訪問に関しては、すでにダレス特使の声明または工業倶楽部における演説、あるいは直接面会された諸君におかれても、十分その使命は御承知と思いますが、一応私から御報告いたしたいと思います。  米国政府は、連合国最高司令官解任発表の日、政府に対し、マツカーサー元帥の退任は日本または極東に対するアメリカの一貫せる政策に何らの変更を意味するものでない、さらに日本側指導者とすでに討議した基礎に基いて、できるだけすみやかに講和條約を締結する努力を推進せんとするアメリカの決意にごうも影響を與えるものでないという旨のメツセージが米国政府から私に伝えられたのでありま……

第10回国会 衆議院本会議 第33号(1951/05/10、24期、自由党)【政府役職:内閣総理大臣・外務大臣】

○国務大臣(吉田茂君) お答えをいたします。  第一の御質問は、講和の時期いかんという御質問でありますが、講和の時期については、これは相手方のある講和でありまするから、ただちに六月までとか七月までとかいう見通しは、何人といえどもできないはずであります。ダレス氏が、なるべく早くいたしたい、これはわれわれも同様であります。また六月とか七月までに、でありましたか、夏までにできなければ失望するということを言われたが、これは、ただにダレス氏のみならず、われわれも失望いたすのであります。しからば、いつまでにできるか。これは道路工事と違いますからして、講和條約がいついつかまでにできるということは、だれも神様……


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第11回国会(1951/08/16〜1951/08/18)

第11回国会 衆議院本会議 第1号(1951/08/16、24期、自由党)【政府役職:内閣総理大臣・外務大臣】

○国務大臣(吉田茂君) 本日、ここに講和問題につき報告することを欣快といたします。  昨秋九月十四日、米国政府が対日講和推進を公式に声明して以来、ここに約一年であります。米国政府の好意と、ダレス特使の努力の結果、遂に九月四日サンフランシスコで対日平和会議の平和條約署名調印式がとり行われることになつたのであります。  対日講和につき、終始指導的な地位に立つた米国政府は、昨秋の声明後、対日平和の基礎原則を関係諸政府に通達して意見を求めたのであります。それは十一月下旬に公表されて、いわゆる対日平和七原則として世に知られておるものであります。これは膺懲的な、監視的な、また敗者に対する平和條約の観念に基……

第11回国会 衆議院本会議 第2号(1951/08/17、24期、自由党)【政府役職:内閣総理大臣・外務大臣】

○国務大臣(吉田茂君) お答えをいたします。  全権としてサンフランシスコの講和会議に臨席いたす心構えについての御忠告は、つつしんで承ります。御希望になるべく沿うようにいたしたいと考えます。  領土問題に関して御質問でありまするが、この領土放棄については、すでに降伏條約において明記せられておるところであります。すなわち、日本の領土なるものは、四つの大きな島と、これに付属する小さい島とに限られておるのであります。すなわち、その以外の領土については放棄いたしたのであります。これは嚴として存する事実であります。ゆえに、琉球等の西南諸島及び小笠原等についての信託統治の問題は、これはすでに日本の領土権を……


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第12回国会(1951/10/10〜1951/11/30)

第12回国会 衆議院本会議 第3号(1951/10/12、24期、自由党)【政府役職:内閣総理大臣・外務大臣】

○国務大臣(吉田茂君) 先般サンフランシスコにおいて、平和條約が三共産主義国以外の参加国との間に調印を終りましたことは、御同慶にたえません。(拍手)  その前文において、日本は国際連合に加入し、国際連合憲章の原則を遵守し、人権を尊重し、公正な国際商慣習を尊重する意思を表明し、連合国はこれを歓迎することを明白にいたしております。日本国民の自発的宣言を記録し、喜んでこれを迎うるの形をとつたことは、連合国において日本国民の意思を尊重し、これに信頼を置く証左でありまして、この條約のよつて立つ精神を明らかにしたものであります。  條約の第一章は、戦争状態を終了し、日本の領域に対する日本国民の完全なる主権……

第12回国会 衆議院本会議 第4号(1951/10/15、24期、自由党)【政府役職:内閣総理大臣・外務大臣】

○国務大臣(吉田茂君) お答えをいたします。  わが外交の基本線はどこにあるかという第一の御質問であります。今日すでに発表になりました講和條約、安全保障條約等についてごらんの通り、日本としては将来国際連合の線に沿うて外交をやつて行くということを、はつきりここに申したいと思うのであります。今日世界が、よく人が申すところでありますが、共産主義と自由国家組織と相対立している、その間の関係がだんだん微妙になりつつある、あるいは苛烈になりつつあるということをよく申します。どの程度までこれが宣伝であり、これがうわさであり、根底のあるものかは、私はここにはつきり申しませんが、しかしながら、気持として対立国々……

第12回国会 衆議院本会議 第5号(1951/10/16、24期、自由党)【政府役職:内閣総理大臣・外務大臣】

○国務大臣(吉田茂君) お答えいたします。  鈴木君のお話を伺つておるというと、占領中において日本はすでに外交権を回復しておるようなお話であるが、これは少々おかしいと思います。またお話のように、全面講和に大いに努力せられた――国内において演説をし、もしくは新聞に発表する程度は、これは交渉というべきものではないのであります。(拍手)またダレス氏が日本に参られて、全面講和は無條約にひとしいものである、全面講和をするがためにこの対日講和條約を延ばすわけにいかないということは、しばしば言われたところであります。これに対して鈴木君はいかなる反駁をなされたか承知いたしたいと思うのであります。  また領土に……


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第13回国会(1951/12/10〜1952/07/31)

第13回国会 衆議院本会議 第6号(1952/01/23、24期、自由党)【政府役職:内閣総理大臣・外務大臣】

○国務大臣(吉田茂君) 私は、ここに第十三回国会開会に際し施政の方針を演説することを欣快といたすものであります。  平和條約は近く列国の批准を了して効力を発し新日本として国際の間に新しく発足せんとするに至りましたことは、まことに御同慶に存ずる次第であります。そのここに至れるは、過去六箇年有余にわたり、八千万同胞が一致協力、国力の回復に渾身の努力をいたし、列国がわが民族の優秀性と愛国の至誠を認識せる結果にほかならぬと存ずるものであります。(拍手)  わが国現下の情勢は、まず食糧の確保を基礎といたしまして、内外の諸環境と相まち、日々安定を加え、労資の関係も漸次健全なる方向に向いつつあるのであります……

第13回国会 衆議院本会議 第7号(1952/01/25、24期、自由党)【政府役職:内閣総理大臣・外務大臣】

○国務大臣(吉田茂君) お答えをいたします。  過日のサンフランシスコ講和会議が名誉のない講和会議ということでございますが、名誉のない講和会議に全権委員として御賛同をいただいたということは、はなはだお気の毒に存じます。何がゆえに名誉のない講和会議であるかというその理由はすなわち領土の割譲を規定いたしたことであるようでありますが、領土の割譲、すなわち日本が四つの島及びその附属した島に領土を限られるということは、これはポツダム宣言の無條件受諾の結果であります。サンフランシスコにおける講和会議の結果ではないのであります。(拍手)むしろ日本としては、すでに受諾いたした條約上の義務を完全に履行することが……

第13回国会 衆議院本会議 第8号(1952/01/26、24期、自由党)【政府役職:内閣総理大臣・外務大臣】

○国務大臣(吉田茂君) お答えをいたします。  私の過日の施政演説において何ら聞くべきものがないというお話でありますが、聞く聞かれないは別といたして、私としては言わんと欲するところを言い盡したつもりであります。(拍手)日本の外交政策のアジアに対する根本理想は何かということに対しても、善隣関係を確立したいということをはつきり申しております。また世界政策の理想についても何ら聞くところなしというようなお話でありますが、これはりつぱに国際連合の趣意に従つて、方針に従つて日本国は世界の平和に貢献したいということを、はつきり申しております。  また中国市場を失つた日本として、これをどうするかということであ……

吉田茂[衆]本会議発言(全期間)
23期-|24期|-25期-26期-27期-28期-29期

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委員会発言一覧(衆議院24期)

吉田茂[衆]委員会統計発言一覧(全期間)
23期-|24期|-25期-26期-27期-28期-29期
第5回国会(1949/02/11〜1949/05/31)

第5回国会 外務委員会 第7号(1949/04/20、24期、民主自由党)【政府役職】

○吉田國務大臣 お答えをする前に一言申しておきますが、モツト博士の永世中立に関する新聞の報道は、誤報であるそうであります。それから今のお話の局外永世中立ですが、これは私の言つた意見は、ベルギーのごときは局外永世中立ということを、條約の保障によつて保障されておつたのであるが、しかしながらそのベルギーが一番先に戰禍を食つたというような事実もあるから、この局外永世中立という問題は、そう簡單に論議ができない、いいとか悪いとかいうことは論議ができないという意味で、疑問があると申したのであります。もしそういうことができて、日本が戰爭外に置かれることができるならば、それは非常に仕合せなことと思いますが、しか……

第5回国会 予算委員会 第6号(1949/04/07、24期、民主自由党)【政府役職】

○吉田國務大臣 お答えいたします。お話の通り今のような國土が狭くなつて、そうして人口がますますふえ、しかも海外から引揚げて來る。この結果人口問題が一層大切な問題になつて参りましたが、この問題の解決のためには、あまりたくさんの方法はないので、ことに外に行くとか、内において工業化するといいますか、あるいは國土、耕地を開発するとか、あるいは新しい工業を起すとか、輸出産業を起すとかいう方法以外に名案はないだろうと思います。ただ外交関係については、外に行くことについては多少話もございます。またこれは結局海外に出て行くよりほかしかたがないのでありますが、これは講和條約締結後において、あるいは講和條約締結前……

第5回国会 予算委員会 第10号(1949/04/13、24期、民主自由党)【政府役職】

○吉田國務大臣 お答えをいたします。やや仮想に基いてお答えするようなことになりますが、これは私の心持として申し述べるのです。かりに憲法第六十九條以外に解散の道がないといたしましても、民主政治の行き方から申しまして、現内閣なりわれわれが國民の信頼を失つたというときには、憲法の條章いかんにかかわらず、政治道徳から申して潔く引退すべきものではなかろうかと考えます。その結果長期政局に当るということも少々怪しくなるのでありますが、しかし長期われわれが政局に当るよりも、民主政治を確立するということの方が大事であろうと思いますから、もしわれわれの施政にして、失政が多くて、國民の了解を得ないようなことがあつた……

第5回国会 予算委員会 第12号(1949/04/16、24期、民主自由党)【政府役職】

○吉田國務大臣 これは私の施政演説その他においてしばしば申しました通り、必要に感じてあるいはでき得る限り國会を召集いたしましてこの予算を補正する、臨時國会を召集して漸次補正して参りたい、こういう考えでおります。
【次の発言】 食糧問題については、國民あげて関心を持つところであることは、もちろんのことであります。この食糧を自給自足することが理想であるのでありますが、しかしお示しの通り、限られた領土において八千万以上の人口を養うことは非常に困難なことであつて、結局は貿易によるとか、あるいは海外から安い食糧を輸入するということよりほか、しかたがないかと思います。そこで現在の食糧事情は、御承知のごとく……

第5回国会 労働委員会 第17号(1949/05/11、24期、民主自由党)【政府役職】

○吉田國務大臣 お答えをいたします。御趣意はまことにごもつともと思います。しかしながら今司令部とどういう交渉をしておるかというようなことは申し上げにくいけれども、御承知の通り労働会議にはすでにオブザーバーとして招請を受けておるようなわけで、労働会議方面から、日本が国際会議その他に参加を希望するような機運ができ、それがやがて講和会議の促進というようなことになれば非常に満足だと思います。また労働会議としても、すでに日本の委員をオブザーバーとして招請するくらいでありますから、万國國際会議等に日本を加えたいという希望は十分あるものと思います。また世界の労働問題を、日本の側が参加することによつて一層善化……


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第6回国会(1949/10/25〜1949/12/03)

第6回国会 外務委員会 第5号(1949/11/21、24期、民主自由党)【政府役職】

○吉田国務大臣 私から一般的に今日まで体験したというか、承知していることだけ、まず第一に申し述べて、御参考に供します。  第一次吉田内閣総辞職の前後においては、その年の秋には講和会議もしくは條約という問題が引起し得るだろう、こういう予測をしてわれわれはやめたのでありますが、その後御承知のような国際環境といいますか、米ソの関係等も悪化したがためでしよう。日本の講和問題などは取上げられもせずに参つて来たことは御承知の通りであります。ところがだんだんその後、アメリカの内部の状態、あるいは欧米等の日本に対する気持、感情について私の承知するところでは、ヨーロツパの一部では今なお日本に対して決していい感情……

第6回国会 予算委員会 第4号(1949/11/18、24期、民主自由党)【政府役職】

○吉田國務大臣 私がちよつといなかつたので何ですか、この間――一昨日でありましたか、私が主席できなかつたことについてのお尋ねだろうと思います。これはある外国人に会つておりました。だれに会つたか、どうしたかということは、私は職務上申し上げることはできませんが、しかし外国人に会つておつたことは事実であります。

第6回国会 予算委員会 第5号(1949/11/19、24期、民主自由党)【政府役職】

○吉田国務大臣 お答えをいたします。むろん内閣閣僚を主として一般の計画を進めるのでありますが、その前にどういうふうにして行けば目的を達するか、しかも各方面の意見をいれて、そして的確な計画を立てるか、まだ具体的に閣僚に相談はいたあしておりませんから、まず私一個の腹案としてお聞きを願いたいと思います。  強のところは安定本部あたりが中心になつて関係省をまとめて行くというのがいいのではないか。そして安定本部においては、たとえば治水の専門家とか、あるいは水力電気の専門家とか、あるいは土木の専門家というような学歴においても経験においても有能な、あまりたくさんでない専門家を顧問なりあるいは諮問機関として、……

第6回国会 予算委員会 第8号(1949/11/23、24期、民主自由党)【政府役職】

○吉田國務大臣 お答えをいたします。この問題は内閣としてはしばしば説明を議会においてもいたしておると信ずるのでありますが、要するに産業が興つて、そして輸出が増進されて、自然に雇用の増大がはかられる、根本的には、この点にあると思うので、政府としても、産業の安定なり、また経済の安定なり、輸出の奨励なりということは、十分はかつて来ておるのみならず、直接の失業問題についても、相当費用を予算の中に組み入れてあるので、決して軽視しておるのではないのであります。また輸出も近ごろ、為替レートをかえないというような安心もできて、漸次増大しつつあることは御承知の通りであります。

第6回国会 予算委員会 第9号(1949/11/24、24期、民主自由党)【政府役職】

○吉田国務大臣 これはかねてから私の申しているように、志を同じゆうした政党ということで、講和問題だけについて志を同じゆうするが、その他の問題においては志を同じゆうしないというのも少し私の希望と違つておりますし、もう一つは仮設の問題でありますから、その場合々々を想定してああだこうだと申すのも、はなはだ申しにくいと思いますから、この程度をもつて御満足願いたいと思います。
【次の発言】 これは正式にどうこうという四角ばつた話ではありませんが、民主党を一本にして、そしてこの政界の安定をはかりたいものであるという話は受けました。しかしこれも雑談の間の話であつて、非常にかど立つた正式の申込みとは考えており……

第6回国会 予算委員会 第11号(1949/11/26、24期、民主自由党)【政府役職】

○吉田国務大臣 この点も従来大分説明いたしたつもりでおりますが、条約である以上は、条約の締盟国だけがその条約によつて件を生じ、義務を負うのであつて、第三者たる締盟国でない組は、その条約によつて権利を主張することはできないということは常識であります。またこの間もよく申したのでありますが、日本国は無条件降伏をしたのである。そしてポツダム宣言その他は米国政府としては、無条件降伏をした日本がヤルタ協定あるいはポツダム宣言といいますか、それらに基いて権利を主張することは認められない、こう思つております。繰返して申しますが、日本としては権利として主張することはできないと思います。しかしながら日本国国民の希……


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第7回国会(1949/12/04〜1950/05/02)

第7回国会 外務委員会 第5号(1950/02/22、24期、民主自由党)【政府役職】

○吉田国務大臣 佐々木君との間の取合いでは、やおちようのような感があつて、はなはだどうも私として答えにくいが、現実やおちようでないことを、まず第一あなたとの間に協定しておきたいと思います。  それから今のお話のうちに、中ソ協定というのは、陰謀であるとか、謀略であるとかいうようなことは、これは役員会では言つておりません。謀略であるかどうか、中ソ條約なるものがどうしてできたか、その経過とか性質等について、われわれは今日新聞以外に何も承知しておらないのでありますから、これは謀略なりと断ずることは、私においてできないのみならず、また連合国の間の二箇国の話合いでありますから、これを何も知らない日本の当局……

第7回国会 予算委員会 第4号(1950/01/31、24期、民主自由党)【政府役職】

○吉田国務大臣 お答えをいたします。従来の国会において現われた議論を総合してみますと、まず反対党の諸君からは日本の状態が不安である、安定を欠いておるということをしきりに唱道せられておるが、私どもから申せば、これは必ずしも国民の意思を代表しておるものとは考えられないのみならず、講和條約の締結を前にしてはなはだ遺憾に思うのは、しばしば申すようでありますが、列国、少くとも連合国は、日本の国が安定し、復興して、そして連合国としてはともに世界の平和なり繁栄なりの増進を、討議し得るだけの資格のある力を回復しつつある。あるいは日本の従来の超国家主義とか非民主主義などの気持は克服されて、ともに世界の平和を語る……

第7回国会 予算委員会 第7号(1950/02/03、24期、民主自由党)【政府役職】

○吉田国務大臣 お答えいたしますが、日華貿易は、これはお話の通り日本として重要な一つの対象であることはもちろんでありますが、何分今の政情の安定しないときに、一方において貿易を促進するということは事実むずかしいことでありはしないかと思います。実際の事情は知りませんが……。しかし同時にこういうことは承知しております。ずいぶん密貿易が盛んだということは、これは事実であろうと思います。密貿易でありますからして、盛んなりと私が言うだけの何はありませんけれども、事実相当以上の物が、中国から入つて来ているようにも承知しております。それからたとえば開平炭のごときは、掘つて日本に輸出したいという希望を持つて蓄積……

第7回国会 予算委員会 第9号(1950/02/06、24期、民主自由党)【政府役職】

○吉田國務大臣 お答えをいたします。しばしば同じようなことを繰返すようでありますが、私は全面講和とか、單独講和とかいうことの議論のあることが、はなはだおかしいと思うのであります。国民としてはなるべく早く平和関係に入つて、そして交通もできれば、商売もできる。たといそれが一国であつても平和関係に入ることは、国民としては望ましいことである。しかしながら全面講和によつてすべての国と平和関係に入らなければいかぬ、言をかえてみれば、それであればいつまでも戰争関係を持続した方がいい、日本としては対外関係においては、いつまでも戰争状態を持続する方がいい、全面講和は、反面から考えて解釈すれば、そういうふうにもな……

第7回国会 予算委員会 第12号(1950/02/09、24期、民主自由党)【政府役職】

○吉田国務大臣 お答えいたしますが、具体的にこうという構想まではないのであります。しかし大体の方向としては、中央の行政を簡素化いたしましても、直接に地方人に接触しておる直接官庁が、やはり相かわらず旧態依然たるものがあつて行政が複雑である。あるいは届とか許可とかにしても、数箇所の役所に行かなくてはならぬということになつて来れば、人民の直接の迷惑というものも察すべきでありますから、中央が簡素化されるのみならず、地方も簡素化されて、行政組織が簡素になつて、そうして人民が何か許可を受けるとかなんとかいう場合に、ごく簡略に、従来と違つて事務が運ぶというようにしなければ、中央だけが簡素化しても同じことであ……

第7回国会 予算委員会 第14号(1950/02/14、24期、民主自由党)【政府役職】

○吉田国務大臣 いろいろ御議論がありますが、総理大臣としての公務は、先ほど委員長からお話のありました通か多端でありますから、私はここに何時何十分までおれるからという時間の打合せをして、その通り退席いたしたのであつて、軽視したとは私自身は考えておらないのであります。
【次の発言】 お答えをいたします。降伏條約によれば日本国は軍司令官の指揮のもとに入ると書いてあるので、日本がいかに防衛せられるか、日本の治安がいかに守られるか、あるいは民主化を進めるためにこういうことが必要であるとかいうことは進駐軍の判断によるべきことであり、進駐軍がある施設をなす、これに対して政府が協力する以外にしかたがないの場で……

第7回国会 予算委員会 第16号(1950/02/16、24期、民主自由党)【政府役職】

○吉田国務大臣 中ソ條約のことは新聞で承知いたしましたが、その性質、経過等については一切承知いたしておりませんから、日本政府の当局者として、これに対して批評する立場にないということをよく御承知を願いたい。それからまた国民がお話のようなこれに対して一種の関心を持つておるでありましようが、これに対してわれわれが国論を統一するということのなには、どういうふうな手段をお考えになるか知りませんけれども、政府として、連合国の間においてある條約ができた、これに対して批評がましいことを唱えるということは、この国際情勢のはなはだ微妙なときに差控えたいと思います。

第7回国会 予算委員会 第24号(1950/03/08、24期、自由党)【政府役職】

○吉田国務大臣 お答えをいたします。行政の簡素化、また局課の廃合その他による合の整理をますますいたしたいということは、私の施政の演説の中にも述べておきました。戰前戰後を通じて、あるいは剰員と言わなくとも、復員とダブつてよけいに公務員の数がふえたということもありますし、また事情が変化したとかあるいは国土が狭くなつたというようなところから、整理をすべき局課がずいぶんたくさんあるはずであります。台湾を持ち、朝鮮その他に手の及んだ日本が、四つの島に限られた狭小な領土になつただけでも、相当整理の余地があるはずでありますし、さらにまた行政を簡素化することによつて、国民がまたその恩沢をこうむるので、今日みた……

第7回国会 予算委員会 第25号(1950/03/09、24期、自由党)【政府役職】

○吉田国務大臣 昨日留保いたしました答弁をいたします。憲法上、労働権の尊重すべきことはもとよりでありますが、同じく憲法に公共の福祉を害せざる範囲内においてこれを尊重する、これが政府の見解であります。また單産ストに関する増田長官と司令部の労働課長との間に、言い表わし方について食い違いがあつた。これはGHQ労働課長に確かめたところ、官房長官の所見と全然食い違つておるところはないということを確かめましたから、御報告いたします。
【次の発言】 政府としては、憲法を守つて憲法の趣意にかなうように措置いたすつもりでおります。
【次の発言】 お答えいたします。人口問題は政府としてもはなはだ重要な国策の一つと……


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第8回国会(1950/07/12〜1950/07/31)

第8回国会 外務委員会 第2号(1950/07/21、24期、自由党)【政府役職】

○吉田国務大臣 お答えいたしますが、私の見通しは、今植原君からしてたいがいお話くだすつたので、さらにつけ加えることはあまりないように思いますが、私がここで、常に申しておることではありますがつけ加えたいと思うのは、結局今日の状態におきましては、今日の日本の地位としては、外交問題について、あるいは海外の客観情勢等について、何らの調査機関を持つておらないのでありますから、結局植原君等が御承知になつておることだけをわれわれは承知しておるだけの話であつて、従つて見通しなるものも結論は同じくなりますが、ただあまり見通しといつて先走つてもどうであろうか。ことに事は隣国の朝鮮に関係することであり、また朝鮮から……

第8回国会 地方行政委員会 第9号(1950/07/21、24期、自由党)【政府役職】

○吉田国務大臣 審議権の尊重ということは、政府もむろん考えておるところであるし、また国会としても審議権は十分擁護せらるべきであります。ただここで問題になりますことは、やはり降伏條約において日本がある制約を受けるということはいたしかたありませんが、しかし事実においては審議権はなるべく尊重する。これが進駐軍の目的に反するとかいうようなことのない限りは、さらに議会における審議権のみならず、行政においても進駐軍の方針としては、日本政府に委讓するという方針で、万やむを得ない何かの特別な理由がある以外は、なるべく自主権なり自治権を尊重する傾きになつておることは事実であります。


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第9回国会(1950/11/21〜1950/12/09)

第9回国会 外務委員会 第4号(1950/12/06、24期、自由党)【政府役職】

○吉田国務大臣 国連協力に対する政府の所信を、というお話でありますが、これは絶えず私が議会において報告いたしておる通りに、政府として、また国民として、できるだけの協力を払う。御質問の趣意は、もつと積極的にやらないかという御趣意だろうと思いますが、できればそうしたいと思います。思いますが、今日の今において政府及び国の立場として、積極的もいろいろ意味合いがありますが、国連の希望に応じてその要求通り、あるいは希望通りの線に沿うて、輸送その他に協力するという以上に、たとえば義勇軍を組織するとかなんとかいうようなことは今日考えておりませんが、政府の力の及ぶ限り、国連に協力して、そうして国連の力を強めるよ……

第9回国会 議院運営委員会 第2号(1950/11/24、24期、自由党)【政府役職】

○吉田国務大臣 お答えいたします。この問題はお話のような経過があり、さらにお話のような事態において関心を持つておられる重大問題でありますから、私よりも経過をよく知つておる主管大臣、官房長官から詳細お答えいたしたいと思います。
【次の発言】 書面はすべて私の名前で来るので、その書面をことごとく私が知つておるということは事実ないのでありまして、主管大臣の方よりお答えをいたします。
【次の発言】 しろうとたる点においては、私も通産大臣も同じ資格であつて、くろうと、しろうとの区別はございません。さつき参議院において、私が誠意をこめていたした説明について、大分議論があつたようですから、それで私は特に説明……

第9回国会 予算委員会 第2号(1950/11/27、24期、自由党)【政府役職】

○吉田国務大臣 お答えいたします。講和要請につきましてはしばしば議会その他で私の所信を述べておりますか、今日最も日本との間に早期講和を希望しておりますのは英、米であると思うのであります。ことにアメリカにおいてそういう感じがいたします。私も新聞以外に何の情報もないのでありますけれども、現在アメリカにおいては、この間日本に参られたダレス氏が、アメリカの七箇條の案を持つて来たとか新聞には出ておりますが、七箇條の案をもつて各別に話をし、最近においてはマリクと話をいたしておるようであります。これに対して列国からどういう返事が参つたか、これは私の知る限りではありませんけれども、まだ各国の回答は出そろわない……

第9回国会 予算委員会 第5号(1950/11/30、24期、自由党)【政府役職】

○吉田国務大臣 お答えをいたします。むろんけつこうなことと思いますけれども、日本として今日アメリカの援助資金をもらつて、そうして経済、財政をやつて行くというような状態でありますから、あまり大ぴらに、かつ豊富に援助するということはできにくいと思いますが、もし要求があつた場合には喜んで考慮いたしたいと思います。ただその他の国みたいに豊富にはできないだろうと思います。
【次の発言】 これは方針としては民営に移したいと思います。ただにタバコのみならず、なるべく官業は民営に移したい。そして能率的に経済的にやる方がいいと考えております。タバコ民営問題については調査委員会ができて、その答申を待つているような……

第9回国会 予算委員会 第7号(1950/12/02、24期、自由党)【政府役職】

○吉田国務大臣 勧告はむろん尊敬しますが、予算の全般の関係もありますから、勧告をただちに承認するということはできないだろうと思います。
【次の発言】 私のお答えをすることは、先ほどの言をもつて尽きております。すなわち、勧告は尊敬する、しかしながら予算全般のことも考えなければならぬから、予算の全般と照し合せて善処するという以上にお答えはできません。これは主管大臣が来ますから――主管大臣は今司令部に行つておるそうで、その結果もあるでしようから、主管大臣にお聞きを願います。
【次の発言】 もし法律に違反しておることがあれば、むろん訂正いたしますが、しかし私のお答えは今申した以上に出ません。

第9回国会 予算委員会 第9号(1950/12/04、24期、自由党)【政府役職】

○吉田国務大臣 お答えいたします。今度の朝鮮事件の変化については、私も新聞以上に何らの情報を持つておらないのであります。でありますから私の申すことも、はつきりした見通しではなくて、ただ單に希望を加えた感じを申すだけでありますが、この事件の発展いかんによつては、お話の通り非常に大事件になることは明らかであります。なるかならないかが問題でありますが、私の感じとしては、これで第三次世界戰爭が再び起るということになれば、これは非常なる結果――人類の滅絶というか、文明の破壊というか、非常な結果になりますので、第三次戰爭が起ることが言われておつても、それが必ず予期するがごとく――予期するというのはおかしい……


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第10回国会(1950/12/10〜1951/06/05)

第10回国会 外務委員会 第5号(1951/02/20、24期、自由党)【政府役職】

○吉田国務大臣 ただいま太平洋同盟でありますか、いろいろお話がありましたが、政府としては何ら承知しておらないのであります。また政府に対して、具体的にこうしてくれというような提案は何ら出ておりませんから、従つて私といたして、簡單に申せばお答えができないと申すだけであります。しかし現在の国際情勢から申して、攻撃が集団的に来るとすれば、その防衛は集団的に考える以外に方法がないじやないか、たとえばアメリカにしてもイギリスにしても、共産主義の攻撃に対しては、集団的に考えている今日であつて、日本だけが独力でもつて防ぐ方法を立てるといつたところで、事実むずかしいことであるから、集団的攻撃に対しては、また集団……

第10回国会 外務委員会 第16号(1951/05/17、24期、自由党)【政府役職】

○吉田国務大臣 お答えします。日本国土の領土の範囲については、あるいは帰属については、すでにポツダム宣言の中にも一応はきまつておるのであつて、原則としてはきまつております。この原則においていかなる範囲ということになつて来ると、これは今後の交渉になりますが、政府としては千島その他従来歴史的、地理的に日本の領土になつておつたところ、また日本の領土に帰属すべきものと考えられるものについては、すべて資料を連合国司令部に出しております。この点については、日本政府、ことに日本国民の要望については、相当連合国において考慮してくれることと私は信じます。何となれば、ダレス特使もヴエルサイユ條約が一に連合国のドイ……

第10回国会 予算委員会 第4号(1951/02/01、24期、自由党)【政府役職】

○吉田国務大臣 お答えいたします。ダレス氏は、日本に対して講和條件を交渉するためではなく、日本側の意見を聞きたいというだけの話でありまして、講和條約の内容についてあれこれ言つておられるわけではないのであります。それだけお答えをいたします。
【次の発言】 御意見の通りであります。できれば全面講和と思いますけれども、これに同調しない国があれば、いかんともしかたありません。できれば全面講和で行きたいと思います。これは普通の常識でありまして、そうして日本国民としてもここに要望があると思います。
【次の発言】 ただいま申す通り、ダレス氏は各界関係者の意見を聞くという程度でありまして、具体的に軍事基地とい……

第10回国会 予算委員会 第5号(1951/02/02、24期、自由党)【政府役職】

○吉田国務大臣 御質問の範囲が非常に広大無辺であつて、お答えしにくいのでありますが、現在の事態が第三次戰争に入りつつある、あるいは移行する前提である、これはそうでもあるかもしれませんが、そうでないかもしれない。私の考えは必ずしも国際情勢に対して甘いとか辛いとか申すわけではなくて、率直に考えてみて、日本として最も恐るべきことは、神経戰に入り、いろいろなことがあつて、そのたびごとに国民が不安な状態に置かれる、これが一番危険であり、また国民として用心しなければならぬ点であると思うのであります。ようやく国情の安定しつつある今日に、不安をかもすようないろいろな事態というか、流言飛語といいますか、あるいは……

第10回国会 予算委員会 第15号(1951/02/16、24期、自由党)【政府役職】

○吉田国務大臣 自衛力の定義ははなはだむずかしいのでありますけれども、読んで字のごとく、いずれにしても、常識で考えてみましても、日本の安全は日本の手で守る、守る権利があり、また義務がある。それが自衛力である。また日本国民の自尊心からいつてみても、他力によつて守ることを期待するとか、あるいは予期しておるというような、安全保障に対する日本の自衛力を他力本願で考えるようなことがあつては相ならぬのみならず、アメリカの方も、自衛する力があり、意思があり、覚悟のある国に対しては喜んで援助をするといいますか、協力するといつておるので、その趣旨ははなはだ明瞭であるように思います。

第10回国会 予算委員会 第22号(1951/02/26、24期、自由党)【政府役職】

○吉田国務大臣 お答えをいたします。平和を論ずるのあまりに、敗戰主義というか、自衛権までも放棄するようなことがあつてはならぬというお尋ねと思いますが、その通りであると思います。今日は御承知の通り国際情勢が緊迫した結果、さらに日本ばかりでなく、中立論が大分盛んになつて来て、中立論によつて戰争を防止するというか、少くとも介入したくないという議論が出ておりますが、これもやはり平和の名においてせられておるようであります。平和々々というがために、自衛権まで喪失して顧みないというようなことがあるならば、むろんたいへんなことであつて、世界の平和、一国の平和、むろん維持すべきでありますが、その平和を維持すべき……


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第12回国会(1951/10/10〜1951/11/30)

第12回国会 平和条約及び日米安全保障条約特別委員会 第2号(1951/10/17、24期、自由党)【政府役職】

○吉田国務大臣 平和條約と安全保障條約の内容については、すでに本会議における施政の演説で詳しく説明いたしておきましたから、ここで繰返す必要もないと思いますが、政府としては国民の総意を体して交渉に当つて来たつもりでありますし、平和條約については、これが可能のもののうちで最上の、ものであると、また安全保障條約については、現在の国際情勢のもとにおいて、日本の安全と独立を確保する道はこれ以外にはないと確信いたして締結した次第であります。従つて両條約は形式的には別個の條約でありますが、現実政策の観点からしますれば、両條約は相連関したものであり、政府としては、両條約がともに国会の承認を得ますことを切望して……

第12回国会 平和条約及び日米安全保障条約特別委員会 第3号(1951/10/18、24期、自由党)【政府役職】

○吉田国務大臣 お答えをいたします。講和條約ができた以上は、ポツダム宣言にかわるものであり、従つてポツダム宣言は効力を失すると私は考えます。  しからば中ソとの関係は交戰状態にあるのか、これはりくつはどうつくも知りませんけれども、法律的には交戦状態にあると言い得るであろうと思います。すなわち平和関係はまだ成立しておらない。講和條約が効力を発生した後において、ソ連、中国、あるいは講和條約に調印しない国との間には、事実上もしくは法律的に戦争状態が在すると言い得るでありましよう。しからばすぐ戰争になるか、これは私は政治的に考えてみて、ないことと思います。  それからソ連代表部はどうなるか。ソ連代表部……

第12回国会 平和条約及び日米安全保障条約特別委員会 第4号(1951/10/19、24期、自由党)【政府役職】

○吉田国務大臣 お答えいたします。インドの不参加は日本の努力が足りなかつたという御意見でありますが、従来日本は外交停止の状態にあるので、努力いたしたいと思つても方法がないのであります。しかしながら仕合せにしてインドは、終戦以来日本に対して多くの好意を寄せておる国の一つであります。従つてまたこのたびも講和條約調印後間もなく、日本との間の戰争関係は終了せしむるという声明を発しており、また日本との間に平和條約はなるべく早く締結したいという意思も表示しておりますから、インドと日本との間の平和條約は間もなく締結し得るという見込みであります。
【次の発言】 お話のような、外交官としてのステータスがあるとい……

第12回国会 平和条約及び日米安全保障条約特別委員会 第8号(1951/10/24、24期、自由党)【政府役職】

○吉田国務大臣 重大なる法律の解釈でありますから、政府委員からお答えいたさせます。
【次の発言】 サンフランシスコの講和会議の空気を何と見たか、おのおの見る人によつて異なるでありましようが、しかし私は戰慄を感ずるというよりは、むしろ今日共産主義が世界の大勢からだんだん遠ざかつておる一つの現われと見たのであります。しかしながら一方には、朝鮮において現に共産軍と国連軍と戰つておるという事態にある。しかも何らの予告なしに突然共産軍が朝鮮の南部を襲つたというような、晴天の霹靂というような事態が今日なお見られるとするならば、しかも日本は防備のない状態において独立した、そうすれば、この独立を守り、この国の……

第12回国会 平和条約及び日米安全保障条約特別委員会 第9号(1951/10/25、24期、自由党)【政府役職】

○吉田国務大臣 お答えしますが、しばしば申す通り、この行政協定は、今日におきましてはまだ結論に達しておりません。この協定はいかにも重大であるように言われますが、政府の見るところでは、そう重大問題とは考えておりません。しかしそれは見方であります。それでいかなる場合に日本以外に出動するか、これはそのときの状況によるのであつて、これは白米の間の話合いの結果出動すべきである。日本政府も同意すれば、そういう事態も起るのでありましようが、いかなる事態にということを、ここで架空の問題として原則をきめるということは、これはできないことではないかと思います。実際の状況によることであると思います。

第12回国会 予算委員会 第11号(1951/11/01、24期、自由党)【政府役職】

○吉田国務大臣 自由国家群に対する協力について、軍事力の優位というお話でありますが、これは軍事力以外においても協力の面もあるでありましようし、また共産主義と自由国家との間における関係が、單に兵力のみによつてきまるとは考えられないと思うのであります。すなわち、世界の政治もやはり輿論の政治でありますから、各国の輿論の趨向、傾向も考えに入れて行かなければならぬと思います。日本としてはあくまでも民主主義の政治を確立して、世界の平和を守るということに協力して行く。また国民もそういう気持になつて行くということが肝要ではないかと考えます。
【次の発言】 私とダレス氏及びマツカーサー元帥との間に、どういう話合……


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第13回国会(1951/12/10〜1952/07/31)

第13回国会 予算委員会 第5号(1952/01/31、24期、自由党)【政府役職】

○吉田国務大臣 お答えを申します。第三次世界戦争は、そうたやすく容易に起るものではない。もし起せば、世界史上かつて見ざるような非常な惨劇を呈する戦争ということはだれも想像しておるのでありますから、そうたやすく起るものではない。が、しからば政府としてどれだけの資料があるかと言われれば、御承知の通り、今日は在外機関はある一部の国にはありますけれども、これは主として貿易関係であつて、政治関係の情報を集めるというようなことでなく、これは明らかに、明瞭なる訓令として、当分経済一方でやるようにということを申しておりますからして、従つてそういう政治的の資料については、いまだ十分集まつておりません。従つてこう……

第13回国会 予算委員会 第6号(1952/02/01、24期、自由党)【政府役職】

○吉田国務大臣 具体的の返事というのはどういうことですか。
【次の発言】 これはこの間の国会でありましたか、どこかで私も説明いたしたように、私がそういう考えを持つておると言つたところが、ダレス氏が何か書面に書いてくれないかということでありましたから、私のかねて考えているところを書面に述べただけであります。そしてそれに対しては返事を受くべき筋合いのものでもない。私の考えておるところを述べただけであります。
【次の発言】 御承知のごとく、今日は、諸外国に対しての政府としての直接通信は、ある限られた範囲、つまり事務上の範囲以上に出ないのであります。従つて、私の書簡に対してイギリスがこう考えるとか、あ……

第13回国会 予算委員会 第19号(1952/02/19、24期、自由党)【政府役職】

○吉田国務大臣 お答えしますが、警察予備隊は二箇年という期限を切つて設置いたしたのであります。その二箇年は今年の十月をもつて満了しますから、構成の上からいつてみても何とか切りかえなくちやならぬ。そこでこれにかわるものを設置いたさなければならぬのでありますが、その名前を何とするかということについては、まだ確定しておりません。が、しかしそういうものを置かなければならぬということは、日本の安全、独立を保障する上からいつてみても、保護をする上からいつてみて当然なことであると私は思います。
【次の発言】 その通りであります。
【次の発言】  話の途中において――というのは総司令部との間の話において、そう……

第13回国会 予算委員会 第22号(1952/02/23、24期、自由党)【政府役職】

○吉田国務大臣 お答えをいたします。一昨日来の治安状態については、御承知の通り、何らの重大なることもなくして済むことを得ましたのは、これは警察機関が前もつて用意をし、活動をした結果であると思います。今後も同じような事態があれば、ますます厳重に取締る考えであります。
【次の発言】 ただいま申した通り、この事態にかんがみまして、あまり重大にならない、端緒といいますか、こういうときに将来のことを考えて十分な用意をいたすようにとは命じております。しかしながら、しからばただちにこういう組織にするとかいうような、驚いてまでということでないのでありますから、将来に備える機構については、関係各方面において十分……

第13回国会 予算委員会 第25号(1952/05/15、24期、自由党)【政府役職】

○吉田国務大臣 まず率直にお答えしますが、私は外務大臣はすでに免ぜられておるので、多分私がなお兼任外務大臣とお間違いになつていらつしやるのではないかと思います。この点は御注意をします。  次に日本の外交政策でありますが、これはお話の通り、なるべく外国との間にいい関係を、親善関係を結んで、円満に外交を遂行いたしたいと考えます。具体案については、それぞれ具体問題について内閣としては意見を述べ、また外務大臣から時々報告があるというふうに考えます。
【次の発言】 この間の日華条約について、国民の熱意が沸かないということであります。これは見方でありまして、私どもはそうは考えておりません。台湾との関係も、……


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第5回国会(1949/02/11〜1949/05/31)

第5回国会 内閣委員会外務委員会連合審査会 第1号(1949/04/28、24期、民主自由党)【政府役職】

○吉田國務大臣 外務省の今日の仕事は、外交再開の場合及び講和会議の場合等に備えての仕事がおもなる仕事であることは、お話の通りであります。実は省全体として、講和会議の問題を考えており、また將來再開の場合におけめ準備という、この二つの点は、省をあげてやつている話であつて、特に講和準備局というようなものをこしらえることの必要は何ら考えておらないのでありす。
【次の発言】 私の意見としては、そういうふうなはつきりしたことを書かないところに味わいがあるので、書くことは私はよくないと思います。
【次の発言】 あの協定なるものは、決議案の趣意を盛り込んだのでありますから、外務委員会を省いて本会議に持つて行つ……



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※このページのデータは国会会議録検索システム衆議院ウェブサイトで公開されている情報を元に作成しています。

データ更新日:2023/02/05

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