北村徳太郎 衆議院議員
24期国会発言一覧

北村徳太郎[衆]在籍期 : 23期-|24期|-25期-27期-28期
北村徳太郎[衆]活動記録 : トップ選挙結果本会議発言委員会統計発言一覧質問主意書

このページでは北村徳太郎衆議院議員の24期(1949/01/23〜)における国会発言(質問、答弁等)をまとめています。国会活動の統計や役職、質問主意書の数や内容は24期国会活動統計で確認できます。

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本会議発言一覧(衆議院24期)

北村徳太郎[衆]本会議発言(全期間)
23期-|24期|-25期-27期-28期
第5回国会(1949/02/11〜1949/05/31)

第5回国会 衆議院本会議 第4号(1949/03/25、24期、民主党)

○北村徳太郎君 民主党は椎熊三郎君を指名いたします。

第5回国会 衆議院本会議 第12号(1949/04/05、24期、民主党(第九控室))

○北村徳太郎君 私は民主党を代表いたしまして、先般行われました國務大臣の施政方針演説に関し、吉田首相並びにその他の閣僚諸君に、若干の質問を試みたいと思うのであります。  質問をいたします前に、まず先般の総選挙におきまして、吉田氏の民主自由党が衆議院において、絶対過半数を占められた、かような結果になりましたことに対しては私は敬意を表するのであります。  國民が何はともあれ、絶対過半数を民主自由党に與えたことは、その強力な單独内閣の出現を期待しておつたのであることは、投票の結果がこれを実証しておると思うのであります。この國民多数の意思を尊重せられまして、民主自由党の單独内閣を組織せらるるということ……

第5回国会 衆議院本会議 第16号(1949/04/12、24期、民主党(第九控室))

○北村徳太郎君 ただいま議長より悲しむべき御報告がございました。大瀬久市君の急逝でございます。これに対しましては院議をもつて弔詞を送られたいと思うのでありますが、その弔詞の内容は議長に御一任申し上げたいと思います。さような動議を提出いたします。  なおこの場合、私は皆さんの御同意を得まして、謹んで弔辞を申し述べたいと思うのでございます。  大瀬久市君は長崎縣北松浦郡の御出身でありまして、幼少のころから非常に向学心に燃えた方でございました。早く長崎縣師範学校を卒業後、しばらく教育のことに身を投じておられたのでありますが、やみがたい向学心のゆえに、文字通りのまことに涙ぐましい苦学力行をされまして文……

第5回国会 衆議院本会議 第26号(1949/05/10、24期、民主党(第九控室))

○北村徳太郎君 私は、ただいま上程せられました廣島平和記念都市建設並びに長崎國際文化都市建設の両法案に対しまして賛成の意を表するものでございます。  廣島、長崎が、世界史上かつてない原子兵器によつて、まことに惨澹たる破壊を受けたということは、いまさらあらためて申し上げるまでもないのでありまして、のことに関しましては、両法案それぞれの提案者から詳細の御説明がございましたから、省略したいと思うのでございます。  ただ長崎市は、西洋文化の門戸として、一五四九年以來、すなわちイスパニアの貴公子であるフランシスコ・ザビエルが日本へ來朝いたしましてから、本年はちようど四百年になるのでございますが、この四百……


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第6回国会(1949/10/25〜1949/12/03)

第6回国会 衆議院本会議 第22号(1949/12/01、24期、民主党(第九控室))

○北村徳太郎君 ユネスコ運動決議案につきましては、提案理由を御説明になりました森戸君、また岡崎君の賛成の御演説によつて、もはや十分に要は盡されておると思うのであります。従つて、私はきわめて簡單に賛成の意見を述べたいと思うのであります。  今や、講和の問題がほとんど全国民の大きな関心を集めております際、私どもは、この一点から考えましても、この際国内の態勢を固めて行かなければならぬ。特に、成熟した精神的なこれに対応すべき態度というものを固めて行くことが、刻下のきわめて必要なる、切実なる問題であると考えるのであります。(拍手)  われわれは、すでに世界に類例のない憲法において戰争を放棄しております。……


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第7回国会(1949/12/04〜1950/05/02)

第7回国会 衆議院本会議 第1号(1949/12/04、24期、民主党(第九控室))

○北村徳太郎君 昨日発表せられました吉田民主自由党総裁談なるものは、吉田茂氏その人の本質を暴露しておるものであります。(拍手)これは本来ならば、内容が現在の政党を批判し、国会政治を批判したものでありますらら、当然内閣総理大臣の名においてて堂堂に出すべきはずのものであります。しかるに、この民主自由党総裁なる名に隠れて元来政党政治は、政党の総裁なるがゆえに内閣総理大臣である。その人格の不可分性にかんがみて、かような卑怯方法をとつたこと自体が、すでに吉田茂氏の本質を暴露したものと申さねばなりません。(拍手)まえ吉田茂氏の率いられておるところの民主自由党そのものの本質をも、ここに暴露しておると申さなけ……

第7回国会 衆議院本会議 第12号(1950/01/25、24期、民主党(第九控室))

○北村徳太郎君 吉田首相の施政方針演説に対しましては、世間にすでに相当の反響があつたのでございますが、これを要約いたしますと、あまりにも手放しの楽観論にのけぞつている、足元の現実を知らな過ぎるという一言に盡きるのであります。しかし、私がこの吉田首相の施政方針演説及びこれまでの首相の政治活動によつて知り得ましたことは、吉田首相に世界的な歴史感覚、現実感覚の欠如しているということ、(拍手)そうしてまた、一貫した自主的な政治的信念と、高邁な理想の片鱗さえもうかがい得ないということであります。これは国民にとつてまことに不幸なる事実と申さなければなりません。私は、以下基本的な二、三の点に関しまして、きわ……

第7回国会 衆議院本会議 第15号(1950/01/28、24期、民主党(第九控室))

○北村徳太郎君 講和に関する問題は民族の運命を決する問題でありますから……。
【次の発言】(続) 従つて、事は重大である。これほど重大な問題を取扱う場合に、この議場の光景は何事であるか、諸君は講和問題を何と考えておるか、民自党の諸君にお尋ねしたい。  ただいま星島君は、講和問題に関して、これを党利党略に用いてはならぬという言葉がございまして、これは当然であります。私は、そういう言葉をみだりに使いたくありませんけれども、由来きわめて
【次の発言】(続) これを忠実に聞く態度があるならば、かようなことはなかつたであろう。  私は、第一問題になります点は、講和に関して……。

第7回国会 衆議院本会議 第36号(1950/04/11、24期、民主党(第九控室))

○北村徳太郎君 ただいま上程になりました旧軍港市転換法案に対して、民主党を代表して賛成の意を表するものであります。(拍手)  すでに同僚職員たる自由党の岡君並びに日本社会党の前田君より詳細なる賛成の御意見がございまして、私はこれに多くを加える必要はないと思うのでありまするが、この問題になつております四つの旧軍港都市は、元来軍の威力によつて、軍目的のために、一般の自然発生的な都市形成の歴史とは違つた、非常に不自然な形において成長して参りましたものでございまして、従つて軍が必要と見れば、軍の威力で人を集め、その設備を増大し、厖大なる力を用いて今日まで軍が経営したのでございます。従いまして、先ほど共……


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第10回国会(1950/12/10〜1951/06/05)

第10回国会 衆議院本会議 第29号(1951/03/31、24期、国民民主党)

○北村徳太郎君 ただいま上程せられました秘密外交排撃に関する決議案につきまして、私は国民民主党を代表いたしまして、その提案の趣旨を弁明いたしたいと思います。  まず決議の案文を朗読いたします。   秘密外交排撃に関する決議案   民主主義政治は輿論の政治である。輿論を尊重するためには政治は公開の下に行われることを原則とすべきである。   しかるに吉田外務大臣は、外交は秘密を本体とするとあえて公言し、秘密外交をもつて講和会議に臨まんとしている。   衆議院は、民主主義に反し、講和会議を誤らしめる危險があり、日本再建の前途に暗影を投じつつある吉田秘密外交を排撃する。   右決議する。  由来、国会……


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第11回国会(1951/08/16〜1951/08/18)

第11回国会 衆議院本会議 第2号(1951/08/17、24期、国民民主党)

○北村徳太郎君 九月初めの平和條約調印式に吉田首相がみずから出席されますことは、その職責上当然ではございますが、まことは御苦労千万でございまして、その労苦に対して、私どもは心からこれを多とするものでございます。(拍手)  今回の講和会議は、三十年前のヴエルサイユ会議とは異なりまして、わが史上かつてない、わが国が敗戰国として連合国の間に引出されるのでありそうして、たださえ超過人口に悩む日本が、今回領土の四割五分を失う條約に調印するのでありますから、かつて西園寺全権、牧野全権等がパリ会議に列席されたときとはまつたく異なつた心境でこれに臨まれることは当然であります。それだけに国民は、吉田首相らがこの……


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第13回国会(1951/12/10〜1952/07/31)

第13回国会 衆議院本会議 第61号(1952/06/26、24期、改進党)

○北村徳太郎君 私は、共産党を除く野党全部を代表いたしまして、ただいま上程されました吉田内閣不信任決議案の趣旨を弁明せんとするものであります。決議案は、  衆議院は、吉田内閣を信任せず。  右決議する。 というのであります。(拍手)  吉田内閣の不信任に関しましては、多くの言葉を費す必要はないほどに、それは今や動かしがたい輿論であります。特に最近、吉田内閣の退陣要求は、世をあげての国民的常識であると申してよろしい段階に来ておるのであります。(拍手)わが国外交界の長老の人たる吉田茂翁は、まれに見る独裁者であり、またわが国会史上比類なき国会軽視者であることは、その政治並びに国会行動において顕著な事……

北村徳太郎[衆]本会議発言(全期間)
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委員会発言一覧(衆議院24期)

北村徳太郎[衆]委員会統計発言一覧(全期間)
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第7回国会(1949/12/04〜1950/05/02)

第7回国会 建設委員会 第14号(1950/03/17、24期、民主党(第九控室))

○北村徳太郎君 ただいま問題になりました事件は、佐世保市内で、現に進駐軍の住宅に供せられておる土地に関することでございます。御承知の通り、佐世保市は戰災をこうむりまして、ほとんど主要な部分か燒けたのでありますが、この土地の所有者は、戰災にあいまして住宅を失つた人ばかりなのであります。これが進駐軍の用に供するということで、ほとんど強制的にその土地が使われまして、現有進駐軍の住宅が建つておるのであります。ところが御承知のようなただいまの金詰まりの現状でありまして、戰災によつて住宅を失つた人たちが、自分の残された土地についてこれを売ろうといたしましても、現に進駐軍に使われておるから売ることができない……


北村徳太郎[衆]委員会統計発言一覧(全期間)
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各種会議発言一覧(衆議院24期)

 期間中、各種会議での発言なし。

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※このページのデータは国会会議録検索システム衆議院ウェブサイトで公開されている情報を元に作成しています。

データ更新日:2023/02/05

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