このページでは鈴木茂三郎衆議院議員の27期(1955/02/27〜)における国会発言(質問、答弁等)をまとめています。国会活動の統計や役職、質問主意書の数や内容は27期国会活動統計で確認できます。
○鈴木茂三郎君 鳩山総理の所信に対しまして、日本社会党を代表して若干の質疑を行います。(拍手) この臨時国会は、革新と保守の二大政党の形態、形だけではありますが、形ができて、国民の民主政治に対する期待が大きくなっております今日、私どもの責任はきわめて重いと考えまして、私は、第二次から第三次への鳩山内閣の政権の授受と関連して、鳩山総理の議会政治と民主政治に対する信念をただし、次に、日本の自主独立を達成するための立場から、日ソ、日中の国交回復に関する総理の外交方針をたださんとするものであります。(拍手) 第一の、議会政治と民主政治に関する総理の信念について、私は五つの問題をお尋ねしたい。 第……
○鈴木茂三郎君 ただいま議長から御報告になりました故衆議院議員正三位勲一等緒方竹虎君に対し院議をもって弔詞を贈呈し、その弔詞はこれを議長に御一任するの動議を提出いたします。(拍手) 緒方君は、去る二十八日午後十一時四十五分、心臓衰弱のために急逝されたのであります。私はここに、諸君の御同意を得て、議員一同を代表し、つつしんで哀悼の辞を申し述べます。(拍手) 緒方君は、明治二十一年一月三十日山形市に生まれ、長じて福岡県立中学修猷館を終え、早稲田大学政経学部に学び、明治四十四年六月卒業されました。学業を終るや新聞界に入り、大阪朝日新聞社に入社され、大正九年には欧米各国に留学、三年間政治経済等の研……
○鈴木茂三郎君 ただいま内閣総理大臣鳩山一郎君より、内閣総辞職に当り、ごあいさつがありました。ここに、私は、日本社会党を代表して、鳩山君の労に対し一言ごあいさつを申し述べたいと存じます。(拍手) 鳩山君は、吉田内閣総辞職のあとを受けて、昭和二十九年十二月、国会の指名によって内閣総理大臣の重任を帯び、以来引き続き三たび首相となり、満二カ年間にわたって国政を担当せられました。わが党と政治的立場を異にしてはおりましたが、この期間、複雑な困難なる内外の情勢に対処し、昨年は保守合同を実現して自由民主党を結成し、わが国政党史上画期的な二大政党時代を作られました。また、本年は、長途モスクワにおもむき、国民……
○鈴木茂三郎君 私は、日本社会党を代表し、石橋内閣の外交、財政並びに政治に関する基本方針について総理の所信をただし、国民の前にこれを明らかにいたしたいと思うものでございます。(拍手) 質疑に入るに先だちまして、総理大臣石橋湛山君が御病気のためにここに相まみえることのできないことをはなはだ遺憾と存じます。これは病床にあられる石橋総理も私とその感を同じくされておることと信じます。(拍手)一日も早く御病気が回復されてすみやかに登院されることを心から念願いたしまして、衷心より御見舞の言葉を申し上げるものでございます。(拍手) 私の質疑は、外交上の問題について日ソ交渉が妥結し、国連の加入が行われ、か……
○鈴木茂三郎君 私は、日本社会党を代表して、岸総理の施政方針に対して、第一には国際外交上、第二には財政経済上、第三には国会解散の問題について質疑を行わんとするものであります。(拍手) 第一の国際外交上の問題についてお尋ねいたします。 アメリカのアイゼンハワー大統領は、その年頭教書で示しているように、ソ連に対する軍事上の優位性を取り戻そうとして、大陸間弾道弾、中距離弾道弾等のミサイルの生産に乗り出し、また、北大西洋同盟加盟の諸国、江東アジア方面またはアジアの極東に対しても中距離弾道弾を配置しようとしているのであります。こうして起った米ソのミサイル軍備競争から生じた国際緊張は、今や、世界の平和……
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