このページでは安平鹿一衆議院議員の27期(1955/02/27〜)における国会発言(質問、答弁等)をまとめています。国会活動の統計や役職、質問主意書の数や内容は27期国会活動統計で確認できます。
○安平鹿一君 去る九月十日、本院議員従四位勲二等越智茂君の長逝の報に接しまして、私どもは、驚愕悲痛、実におくところを知らなかったのでございます。私は、諸君の御同意を得まして、議員一同を代表し、ここにつつしんで哀悼の辞を申し述べたいと存じます。(拍手) 越智君は、明治三十九年愛媛県越智郡に生まれ、今治実践商業学校を卒業、刻苦精励の後、昭和九年よく二十八才の若さをもって小西村村会議員に当選され、ここに輝かしき政治的生涯の第一歩を踏み出されたのであります。その後十余年にわたってその職にあり、二十二年四月には小西村村長に、同五月には愛媛県議会議員となり、地方自治の発展と民生安定のために、ししとして、……
○安平鹿一君 ただいま議長から御報告がありました通り、本院議員正三位勲一等砂田重政先生は、旧臘二十七日早暁、心臓障害のため急逝いたされました。まことに痛惜のきわみであります。私は、ここに、諸君の御同意を得、議員一同を代表いたしまして、つつしんで哀悼の言葉を申し述べたいと存じます。 砂田先生は、明治十七年愛媛県の今治市に生まれ、長ずるに及び、笈を負うて上京し、苦学力行、同三十七年中央大学校科を御卒業になり、同時に、判検事登用試験に合格して司法官試補となられました。しかし、官界は自由にして闊達な先生の驥足を伸ばすには適せず、二年有余で野に下り、神戸市に住んで弁護士を開業いたしまして、法曹界にあっ……
○安平委員 議事進行。この住宅問題は、今度の国会で一番国民の関心事だと思うのです。一番大きな問題として取り上げられている。だから、委員長が予算委員長とどういう交渉をなされたか知らぬけれども、この大事な問題を、三十分に限って引き受けてくるということ自体、委員長の手腕が疑われる。だから、今度早い機会に呼んでもらったら、公平に運営するために、社会党の小松君を第一に発言させるということを条件に……。
○安平委員 私は専門家ではございませんが、御承知のように今愛媛県におきましては勤務評定問題を中心にいたしまして非常な混乱を起しております。従いまして私は県民である立場と同時に父兄の立場からも、これを松永文部大臣にただしておきたい、こういうふうに考えて、あえて質問をいたすわけであります。もちろんこの問題は重大な問題でございますので、おそらく同僚各委員からしばしば質問されたので、あるいは重複する点があるかもしれませんが、その点はお許しを願いたいと思います。 まず第一に私が大臣にお尋ね申し上げたいことは、勤務評定問題が今急に積極的な問題になっておる、しかも新聞紙上でも多くの識者、関係者、父兄、これ……
※このページのデータは国会会議録検索システム、衆議院ウェブサイトで公開されている情報を元に作成しています。