堂森芳夫 衆議院議員
33期国会発言一覧

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堂森芳夫[衆]活動記録 : トップ選挙結果本会議発言委員会統計発言一覧質問主意書

このページでは堂森芳夫衆議院議員の33期(1972/12/10〜)における国会発言(質問、答弁等)をまとめています。国会活動の統計や役職、質問主意書の数や内容は33期国会活動統計で確認できます。

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本会議発言一覧(衆議院33期)

堂森芳夫[衆]本会議発言(全期間)
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第72回国会(1973/12/01〜1974/06/03)

第72回国会 衆議院本会議 第28号(1974/05/07、33期、日本社会党)

○堂森芳夫君 このたび、永年在職議員として院議をもちまして表彰していただきました。まことに身に余る光栄と存ずるところであります。  今日のこの栄誉は、ひとえに同僚の各位並びに選挙区の皆さまの御指導、御鞭撻のおかげでありまして、心から感謝申し上げるものであります。(拍手)  特に、私の出身県であります福井県でも、明治以来、多数の先輩各位が国政に参加されましたが、このたび、私が初めて永年在職の議員としての栄誉をになうことができましたことは、感激ひとしおなるものを感ずるものであります。  私は、今後も、わが国の議会制民主主義発展のため、微力ではありますが、全力を尽くしたい所存でありますので、従来同様……


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第76回国会(1975/09/11〜1975/12/25)

第76回国会 衆議院本会議 第20号(1975/12/19、33期、日本社会党)

○堂森芳夫君 私は、日本社会党を代表いたしまして、ただいま議題となっておりまする三木内閣不信任案に対しまして、全面的に賛成の意を表明するものであります。(拍手)  昨年十二月、三木内閣が成立して以来、一年そこそこにしかならないのでありますが、本院に内閣不信任案が提案されるということを考えてみますと、このこと自体、まことに異常な政治的事柄だと言わざるを得ないと思うのであります。  三木首相の首相としての特異体質は、公約を軽視し、じゅうりんし続けてまいりました歴代自民党内閣の首班と比べましても、なおかつ比較にならないほど極端に公約を軽視し、実際の政治行動は、公約したこととはまさに正反対の態度をとり……

堂森芳夫[衆]本会議発言(全期間)
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委員会発言一覧(衆議院33期)

堂森芳夫[衆]委員会統計発言一覧(全期間)
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第71回国会(1972/12/22〜1973/09/27)

第71回国会 科学技術振興対策特別委員会 第14号(1973/06/06、33期、日本社会党)

○堂森委員 参考人の方々に私名ざしをいたしますので、きわめて初歩的な質問でございますがお答えを願いたい、こう思うのです。  菱田参考人がお書きになった大気汚染とかそんな文書を私読んだことがありますので、まず菱田さんに、それから宇井参考人に一緒に御答弁願えるならばありがたい、こう思うのです。  と申しますことは、私の県にもあるいは全国にも、火力発電所の問題が地域住民運動の大きな課題になっておる、こういうことであります。そして、私の県でも起きている問題は、会社はもちろん県当局が一緒になって、昭和五十年、五十一年、五十二年ごろになると五十万キロワットぐらいまでの重油をたく火力発電所の排煙脱硫の技術は……

第71回国会 科学技術振興対策特別委員会 第24号(1973/07/19、33期、日本社会党)

○堂森委員 科学技術庁長官並びに原子力局長がおられますので、私の地元の若狭の美浜原子力発電所の第一号炉の故障等につきまして、おそらくこの委員会でいろいろ御質疑もあったと思いますが、重ねて私はお尋ねをしておきたいと思うのであります。  せんだっても成田局長にお尋ねをしたのでありますが、私の地元の新聞に、美浜原子力発電所の第一号炉は不適格品である、落第品である、そういうものを福井県に軽水炉の一号炉として持ってきた、こういう大きい見出しで書かれておるのでありまして、地元の人たちは、何だ政府は、不適格品、不合格品のようなものをお粗末にも持ってきてつくったのであるか、われわれ非常に不安である、こういうよ……

第71回国会 外務委員会 第2号(1973/02/23、33期、日本社会党)

○堂森委員 大平外務大臣にまず私は、ベトナムの主として復興援助の問題についての政府の見解等を中心とした質問をしたい、こう思うのであります。  きょうの朝日新聞にも書いておりますが、キッシンジャー氏がアメリカへ帰りまして記者会見をしておるのです。その席で記者の質問に答えて、二十六日から開かれるパリにおけるインドシナの平和を保障する国際会議に日本が出席しない問題について質問したところ、キッシンジャー氏は、日本はアジアの大国として――そういうことばはないのですが、大国としてと思うのですが、出席されるのがいいと思うが、実は関係国の中で合意が得られなかったので、それで出席しないことになったんだ、これは新……

第71回国会 外務委員会 第3号(1973/02/28、33期、日本社会党)

○堂森委員 外務大臣にまずお尋ねいたしますが、一昨年、一九七一年の十一月十七日というのはどんな日か御記憶でございましょうか。何か意地の悪いようなことですがお尋ねしておきたいと思います。
【次の発言】 そのとおりであります。一昨年の十一月十七日というのは沖繩返還協定が異常な姿で採決された日である、こう思うのであります。私も委員の一人でありましたが、あの委員会の経過、強行採決の状況はいまでも私よく覚えておるのであります。私も委員の一人であります。私はまだ一言半句も質問しないうちに、かなりの人が発言をしていない非常に早い時期に強行採決が行なわれたのであります。そしてあのような採決が行なわれたところに……

第71回国会 外務委員会 第6号(1973/03/27、33期、日本社会党)

○堂森委員 国連憲章改正の批准を求める条約につきまして二、三の点をお尋ねしたい、こう思うのです。  関連しまして、先般ワルトハイム国連事務総長が二月でございますか、日本を訪問されました。そのときに総理、外務大臣と会談をされまして、国連の財政的な危機というものに対してわが国に応分の寄付を願いたい、こういう申し入れがあったといわれておるのであります。これに対して総理は、できる限りの協力を惜しまないというふうな話し合いをしたとか、あるいはまた大平外務大臣は日本が安保常任理事国に格上げといいますか、ステータスの問題としてもっと重要な国連のメンバーになるように協力をしてもらいたいという申し入れをしたとい……

第71回国会 外務委員会 第9号(1973/04/04、33期、日本社会党)

○堂森委員 外務大臣にお尋ねをいたしますが、先般来国会の各委員会等で、田中総理が国会が閉じられた時期に訪米をするとかあるいは訪ソをするとか、その他ヨーロッパとかあるいは東南アジアに行くとかいろいろなことが――全部確実という答弁があったとは思いませんけれども、まあアメリカを訪問するとかソ連を訪問するような意味での答弁があったと私は思うのであります。いまからどこどこへ行くとかそういうことはきまっていないかもしれませんが、一国の総理が近いうちに外国を訪問するというのは、そう簡単なことではないのでありますから、外務大臣として、どういう計画が内閣にあるのか、時間がありませんので、簡単にお答えを願いたい。

第71回国会 外務委員会 第15号(1973/04/25、33期、日本社会党)

○堂森委員 私に与えられました時間を利用しまして、数点について現下の外交問題等について外務大臣にお尋ねをいたしたい、こう思うのであります。  数点にわたってその問題点は異なりますが、しかし、いずれもわが国が独立国家として進められておる外交政策が、はたしてほんとうに独立国家としてのあるべき外交の姿であるかどうかということについて、重要な関連性がある問題でございますので、外務大臣にお尋ねをしよう、私はこう思うのであります。  第一の問題は、先般天皇、皇后の訪米のうわさがいろいろございました。ところが、大平外務大臣の公式な発表等もありまして、今秋中は訪米をされることがないということがきめられた。そし……

第71回国会 外務委員会 第16号(1973/05/09、33期、日本社会党)

○堂森委員 私は、時間の制限が非常にございますので、二つの点につきまして外務大臣に重ねて、連休前の委員会でお尋ねしたことに対して、きわめて不満足な答弁でございましたので、具体的に御答弁を簡単明瞭に、いつものようなあまり回りくどい答弁でないように私は要求します。  一つは、この前連休前の委員会で、SR71というアメリカの高性能の偵察機が北ベトナムの上空を偵察しておるということがアメリカの新聞等にも報道されておる。これは私の考えでは明らかに国際法違反であり、また沖繩の基地にこの偵察機がおるという関係からいっても、パリ平和協定が潤滑に守られていって、そしてアジアに平和が早く来るようにするということが……

第71回国会 外務委員会 第17号(1973/05/11、33期、日本社会党)

○堂森委員 ただいま同僚の岡田議員からいろいろ参考人の皆さんに御質問がございましたが、私二十分しかございませんので重複しないようにして二、三の点を伺ってみたい、こう思うのであります。  先刻来吉村参考人をはじめ五人の参考人から貴重な御意見を拝聴しました。まず第一に、時間がありませんから端的に、簡単に御質問申し上げるのですが、一つは、わが国は百三十六号まである採択された条約の勧告がいまだに二十九である。今度の二つの批准が当然行なわれるわけでありますが、三十一になる。これはさっき佐藤参考人もおっしゃいましたように、戦前からの日本の国の経済的な本質がソーシャルダンピングである、これが国際的ないろいろ……

第71回国会 外務委員会 第20号(1973/06/06、33期、日本社会党)

○堂森委員 外務大臣に、時間も三十分しかありませんので、二、三の点について質問を申し上げたいと思います。  第一点は、ただいま石井議員からお尋ねがありました日中航空協定のことでありますが、重ねて私はお尋ねをしておきたいと思うのです。川崎メモというものについても、石井議員が触れられました。向こうとしては、日中航空協定その他各種の実務協定の進行が非常におくれておる、それに対して向こうの周総理はきわめて不満の意を表した、こう川崎メモは報道しておるわけであります。さっきもできるだけ早く、こう外務大臣はおっしゃいました。それじゃわからぬと思うのです。たいへん言いにくいですが、航空協定を向こうは急ごうと言……

第71回国会 外務委員会 第21号(1973/06/13、33期、日本社会党)

○堂森委員 大平外務大臣に二、三の点を私に許された範囲の時間でお尋ねをしたいと思います。具体的にまた御答弁を願いたいと思います。  先般の委員会でお尋ねしようと思っておったのですが、時間がございませんのでお尋ねすることができませんでした。第一の点は、ASPACというのはアジア太平洋地域における反共の機構であって、こんなものには賛成できないという立場をわれわれは主張してきました。最近の国際情勢によりましていわば自然消滅のようなかっこうになってきた、こう言って私は過言ではなかろう、こう思うのでありますが、新聞報道等を見てみますと、外務省はASPACにかわる何らかの新しい国際機関を創設しようとしてお……

第71回国会 外務委員会 第25号(1973/06/27、33期、日本社会党)

○堂森委員 石野議員の質問に関連しまして、基本的な問題について二、三承っておきたい、こう思うのであります。  先刻石野議員が東電の福島原発の事故について質問がありました。先般石野議員も私も一緒に敦賀の美浜原電の故障についての調査に参りました。そして約半日間かかって関電のいま専務でございますか、伊藤さんという人がおられます。これは敦賀美浜原電の建設当初のころからの所長で、電気屋さんでありまして、専門家でございます。この方がわれわれの質問にあたりまして詳細な答弁があったわけです。われわれが聞いておりまして、どうしても納得できるような答弁がなされぬわけですね。一つはウエスチングハウスから買ってきた軽……

第71回国会 外務委員会 第26号(1973/06/29、33期、日本社会党)

○堂森委員 時間が二十分しかありませんので、一、二の点を総理にお尋ねしたいと思います。  本月の二十三日に、韓国の朴大統領が、四分の一世紀の間主張し続けてきた、韓国の政府は金日成を首班とした北朝鮮すなわち朝鮮人民民主主義共和国の人たちとは同席はしない、こういう長い間の主張を捨てまして、国連のオブザーバーとして同時に招聘されるならば同席してよろしい、あるいは韓国と朝鮮人民民主主義共和国の両国が一緒に国連へ加盟してもよろしい等の非常に新しい提言の発表をいたしました。わが国の外務大臣の大平さんも、十時の韓国のラジオ、テレビ放送に呼応するように十一時半には、これは新聞報道ですが、記者会見をやっていろい……

第71回国会 外務委員会 第30号(1973/07/13、33期、日本社会党)

○堂森委員 与えられました時間、数点につきまして外務大臣にお尋ねをいたしたいと思うのでございます。  きのうときょうの各報道機関は、近く行なわれる日米首脳会談、さらに西欧諸国、ソ連等の総理の訪問、もちろんその旅行には大部分外務大臣も同行されるようでありますが、新聞報道によりますと、昨十二日、首相官邸におきまして総理並びに外務大臣その他政府の首脳の会談が行なわれまして、まずアメリカ訪問における首脳会談の内容等について第一回目の詰めでありますか、あるいは大詰めの詰めかもわかりませんが、いろいろと協議をされた。そして新聞の報道を見ておりますと、世界の中における今後の日米間の経済、政治の両面にわたって……

第71回国会 外務委員会 第31号(1973/07/20、33期、日本社会党)

○堂森委員 ただいまココア協定の「暫定的適用の明示」という第六十六条に従いまして、政府がとった態度について外務大臣から釈明的な意思の開陳がございました。なるほど条約によればこのような措置をとることはもちろん可能でありましょう。しかし国会の承認を求めなければ条約の発効がないことは当然でありますので、したがって、そういう事態をもっと早く――もちろんこの協定は反対すべき何の理由もないのでありますから、参議院においてすでに先議で満場一致で通過した協定ではございますが、ただいま釈明があったようなことにならないようにこれからするとおっしゃいますけれども、なぜそういうふうな姿で行なわれたようになったのかとい……

第71回国会 外務委員会 第33号(1973/08/29、33期、日本社会党)

○堂森委員 外相にまずお尋ねいたしますが、ソウルの在韓日本大使館に対しまして外務省の訓令に基づいて韓国政府に対し金大中氏の供述内容、具体的な内容等について、至急返答を申し入れたと報告されているのであります。また新聞等その他の報道によりまして、二十七日に返答があった、そしてわが大使館は、捜査当局との詳細な打ち合わせ等もあって、そうした所要の手続を終わって二十九日にはこれを発表する、こういうような報道がなされておるのでありますが、その返答の内容等につきまして、事務当局でよろしゅうございますが、一応まず答弁を承りたい、こう思います。
【次の発言】 参事官、もう少しあなたから答弁をもらいたいと思います……

第71回国会 外務委員会 第35号(1973/09/12、33期、日本社会党)

○堂森委員 まず、外務政務次官にお尋ねをいたしますが、本日の各新聞紙が一斉に報道しておるのでありますが、金大中氏事件を早く解決するために何か元外交官、まあ私の推察するところでは、金山元大使じゃないかと思うのですが、何か政府の非公式特使としてソウルに派遣をして朴大統領と早期解決のための話し合いをさせるのだというような意味の記事が載っておりますが、これは間違いないのですか。
【次の発言】 そうしますと、金山元大使がソウルに行くということは政府も知っておるのでございますか。全然知らぬのでございますか。
【次の発言】 そうすると、金山元大使が朴大統領と非常に懇意であるというようなことで、個人として行っ……

第71回国会 商工委員会 第15号(1973/04/06、33期、日本社会党)

○堂森委員 時間がございませんので、まず無籍織機の問題について大臣にまず一、二の点について御答弁を願いたい、こう思います。  昭和三十一年であったかと思いますが、繊維の旧法ができました。たしか当時通産大臣は高碕達之助さんだったと思うのです。そして当時の絹人絹の不況に対して過剰織機を買い上げるという施策を政府が巨額の国費を投じてやりました。もちろん残存業者も負担をしたことがございます。当時は無籍織機という問題はなかったと思うのです。問題とならなかった。そしてその後繊維の新法、これはたしか昭和三十九年であったと思うのです。新法がつくられまして、これが施行されました。それからその次が四十二年でござい……


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第72回国会(1973/12/01〜1974/06/03)

第72回国会 外務委員会 第3号(1973/12/18、33期、日本社会党)

○堂森委員 質問に先立ちまして委員長にお願いするのでありますが、資料要求であります。  一つは、中東派遣国連軍に関する、安保理事会で先般決議をされておりますが、その決議の内容についての資料。第二番目は、国連軍参加国指揮系統はどうなっておるのかという点であります。第三は、現在の国連軍の実施状状についての資料、この三つの点について資料を提出してもらえますように、配付してもらえますように委員長にお取り計らいを願いたい、こう思います。
【次の発言】 私は、日韓閣僚会議、きのうでありますか、前駐日韓国大使李氏と外務大臣が会見されまして、その席でも日韓閣僚会議は年内にこれを行なうということについての方針は……

第72回国会 外務委員会 第4号(1974/02/14、33期、日本社会党)

○堂森委員 ただいま三木副総理並びに小坂前特使から簡単でございますが御報告がございましたことに関連して、質問を申し上げたいと思うのであります。  最初に、委員長に要望しておきたいのでありますが、われわれは外務委員として昨年の暮れ以来、変転きわまりないいろんな国際情勢、あるいは石油をめぐる事情、いろんな事件が相次いで起こってまいりました。われわれは外務委員会を年末といえども、年始といえどもやってくれと、こういうことを強く要望いたしましたけれども、結局きょうまでできなかったのであります。私は外務委員会として非常に残念だと思うのでありまして、やはり外務委員会の存在の権威からいっても、もっと適切に、か……

第72回国会 外務委員会 第10号(1974/03/08、33期、日本社会党)

○堂森委員 外務大臣その他に、日ソ関係について、与えられました時間若干の質疑を行なってみたいと思います。  先般ジミヤーニン訪日団長一行が訪日しております。それから昨年十月、大平大臣も一緒に田中総理のモスクワ訪問が行なわれました。この田中総理一行の訪ソ後、日ソ間の関係は一体どのような方向に進んできておるのか、概括的に、日ソ親善関係の推進のためにどのような具体的な進展があったと大平外務大臣は考えておられるか、まずこの点を最初に伺っておきたい、こう思います。
【次の発言】 ただいま外務大臣の答弁がいろいろございましたが、鳩山内閣の当時国交の回復という交渉は一応できたわけでありますが、いまだに平和条……

第72回国会 外務委員会 第11号(1974/03/15、33期、日本社会党)

○堂森委員 ただいま議題となりました二重課税の回避のための条約二案件に関連しまして、若干の質問を行ないたいと思います。  すでにこの種の租税条約は二十六カ国との間に結ばれておるのでありますが、今回アイルランド及びスペイン両国との条約の批准を国会に求めておるわけであります。この二つが批准されますと二十八の国との間に条約が結ばれる、こういうことであります。これらの一連の多数の条約というものは、大体において相手国からわが国にそのような条約を結ぼうといってきておるのか、あるいはわが国から積極的にそのような条約を結ぼうではないか、こういう意思表示で行なってきたのが多いのか、あるのは両方であるとか、いろい……

第72回国会 外務委員会 第14号(1974/03/27、33期、日本社会党)

○堂森委員 先般来、植村ミッションがソ連を訪問されまして、ブレジネフ書記長あるいはコスイギン首相あるいはソ連のゴスプランの首脳部等と精力的な会見を終わられまして、きのう帰ってこられました。記者会見をしておられるのでありますが、これに関連しまして、日ソ貿易経済関係等について二、三の点について質問を行ないたいと思います。  先般の委員会でも、時間もなかったのでありますが、大半大臣にいろいろ質問を申し上げたのでありますが、どうも肝要な点になると答弁をされませんので、一体外務大臣がどう考えておられるのか、私としては判断にたいへん苦しんだ点がありますので、私がお尋ねすることについては、大臣はもっとはっき……

第72回国会 外務委員会 第15号(1974/03/28、33期、日本社会党)

○堂森委員 ただいま提案されております日本国と中華人民共和国との間の貿易に関する協定の審議にあたりまして、二、三の点を承っておきたい、こう思います。第一の点は、一昨年の十月北京で発表されました日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明に関連をいたしまして、外務大臣の所見を承っておきたい、こう思うのであります。この共同声明の前文に「日本側は、過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する。」以下云々とあるわけであります。この前文に書かれておりますところの深く反省をしたというこのわが国の態度によって初めて両国の国交が正常化する、こういうことになっ……

第72回国会 外務委員会 第16号(1974/04/04、33期、日本社会党)

○堂森委員 外務大臣に私重ねてお尋ねをしておきたいのでありますが、三月二十七日の本委員会で一時間ぐらいの質問を申し上げました。そのときに、ただいま石井議員からお話がございましたシベリア第二鉄道といわれるソ連側の提案について関連をしてお尋ねをしたのであります。  その際私は、政府の態度はどうなるのでありますか、これは外交的にも軍事的にも重大な問題となる大きな問題であるので、政府はどのような態度で臨まれるのであるかと聞きました。そうすると、あなたは、速記がまだできていませんので、私がメモをしておったのを読むのですが、それについて政府が意見を述べるなどという段階ではございません、こういうような意味の……

第72回国会 外務委員会 第20号(1974/04/24、33期、日本社会党)

○堂森委員 ただいま石井議員がお尋ねになっておった点について、もう少しく質問を続けたいと思うのですが、第三条は、これはハイジャックに対して加盟国は重い刑罰を科さなければいかぬ義務になっておる、こう考えるべきじゃないでしょうか。重い刑を科することができるというふうな弱いもの、そういう表現になっておりますが、そういう義務は、重い刑罰を科さなければいかぬという義務でないですか、いかがですか。
【次の発言】 ところが、いまも伊達参事官が答弁しておられましたが、少ない事例でしたが、国によって刑罰が、国内法で軽重があるというふうなこと。そこで、もし軽い刑罰を科しておる国と重い刑罰を科しておる国が現実にある……

第72回国会 外務委員会 第21号(1974/04/27、33期、日本社会党)

○堂森委員 去る四月の二十日に日中両国の航空協定が調印されまして、そして五時間後には日台航空路線が断絶される、こういうことが発表されたのでありますが、いわば一昨年の日中共同声明は両国の国交正常化の土台、礎石をつくったということができるのでありまして、今回の航空協定の調印は、両国の連帯のあかしを今度は高々と掲げた、こういうことがいえると思うのであります。そして、従来の両国の関係に一つの大きなエポックをここに画したということがいえると思うのであります。われわれは早くから国交正常化を叫んできた。私は、やはりわが党はそういう立場を終始一貫早くからとってきた名誉ある党であるということを自負を持っておるも……

第72回国会 外務委員会 第28号(1974/05/24、33期、日本社会党)

○堂森委員 まず、外務大臣にお尋ねしたいと思いますが、ただいま日本に来ておりますところの米空軍の長官のマクルーカス氏が二十二日に外人記者会見をいたしまして、その席で、日本の自衛隊は将来増強され、海外任務を持つ日の来ることも予想されること、その他のことを言っておるわけですが、マクルーカスという人はアメリカの空軍長官でありますから単なる民間人でないのでありまして、そしてこの空軍長官がわが国に来て外人記者団を集めて公開の席でわが国の自衛隊の増強は当然あり得るということを発言し、海外派兵もあり得るということを発言したということは、これはきわめて重大なことだと思うのであります。  したがって、こういうア……


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第73回国会(1974/07/24〜1974/07/31)

第73回国会 外務委員会 第2号(1974/08/02、33期、日本社会党)

○堂森委員 新外務大臣に二、三の点、許された時間で質問を申し上げたいのでありますが、まず、すでに水野さんあるいは石井さんのお二人からもお尋ねがあった日中関係の問題でありますが、近く日中議連の議員の諸君が多数中国を訪問される、それからまた公明党の竹入委員長が中国政府の招待によって訪問されるというようなことが報道されておるのであります。このようなわが国の政治関係者の重要な人たちが中国を訪問すれば、当然のごとく日中共同宣言によって予想されるべきである日中友好平和条約、実務協定、こういうものについて話題が及ぶことは当然だと思うのであります。私は、この両国関係の平和友好条約等について、さっき同僚議員お二……

第73回国会 外務委員会 第4号(1974/10/14、33期、日本社会党)

○堂森委員 私どもは、日米安全保障条約に基づく地位協定の実施状況並びに沖繩国際海洋博覧会準備状況に関する実情調査のため、当委員会より派遣されまして、九月二十四日より三日間の日程で沖繩県を視察してまいりました。  派遣されました委員は、有田委員長の外、石井一君、深谷隆司君、河上民雄君、松本善明君、渡部一郎君及び私の七名であります。  まず嘉手納米空軍基地司令部を訪問、嘉手納基地の組織及びOTH通信施設の概要の説明を受けた後、沖繩市字泡瀬に所在する泡瀬通信施設を視察、さらに米軍のパイプオイルラインを宜野湾市真志喜付近で視察をいたしてまいりました。  視察後、屋良沖繩県知事をはじめ、関係当局より米軍……

第73回国会 外務委員会 第5号(1974/12/04、33期、日本社会党)

○堂森委員 わが外務委員会は、野党側の強い開会要求にもかかわらず、多くの外交的な諸問題がございましたが今日まで開かれなかったということはきわめて遺憾である、われわれはこういうふうに思うのであります。そこで、きょうは最近の外交上の諸問題について、時間もございませんので、なるべく簡潔に数点お尋ねをいたしたい、私はこう思うのであります。  まず最初に外務大臣に伺いたいのは、九月のアメリカの国会におけるラロック証言が十月になって発表されまして、このラロック証言が発表されて以来、今日までに引き続いてアメリカにおける上院の外交委員会筋であるとかあるいはニューヨーク・タイムズというような有力な新聞が、アメリ……


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第74回国会(1974/12/09〜1974/12/25)

第74回国会 外務委員会 第2号(1974/12/24、33期、日本社会党)

○堂森委員 宮澤さんが大臣になられまして初めての委員会でございますので、時間が三十分ぐらいしかございませんので、ほんの一、二点について質問を申し上げたい、こう思うのであります。  宮澤外務大臣は、大臣に就任されまして初めての記者会見でいろいろなことを発言しておられるのでありますが、その中で、これからのわが国の外交の大きな柱は、自由主義国家群と共産主義国家群、社会主義国家群との間のいろいろな調整の問題等が一つの柱となる。それからもう一つは、先進国と資源を持った開発途上国との間の問題というものがさらにもう一つの大きな柱になる、こういうふうに思う。これについては、いろいろと調整の道はさして困難なこと……


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第75回国会(1974/12/27〜1975/07/04)

第75回国会 外務委員会 第4号(1975/02/19、33期、日本社会党)

○堂森委員 外務大臣に、現下の外交関係の諸問題について、二、三許された時間で質問をしたいと存じますので、答弁を願いたいのであります。  第一番目の問題は、民青学連事件というものに連座をしたというわけで、過去十カ月間拘留されておって、一審でも二審でも有罪が確定して二十年間の投獄をされる、こういう判決で最高裁に上告をされておった早川、太刀川の二人の学生が十七日わが国に帰ってきた、こういうことでありますが、この二人の学生が記者会見をしております。そしてその記者会見で、民青学連事件はでっち上げである、われわれは、韓国の官憲のそうしたでっち上げの工作によってああいう事態になったんだ、こういうことを言って……

第75回国会 外務委員会 第8号(1975/03/07、33期、日本社会党)

○堂森委員 私は、関税及び貿易に関する一般協定の譲許表の変更に関する第二確認書の締結について承認を求めるの件、ただいま上程されておりますこの件につきまして、若干の質問を行いたいと思うのであります。  まず最初に政府に伺いますが、わが国の譲許表に掲げる品目分類を訂正することは、本邦、わが国の税関における関税賦課業務等、税関事務の合理化が促進される、こう言っておるのでありますが、これによりまして、輸入業務に携わるこれら関係者の輸入手続事務等に関し、その複雑さの改善、合理化はどのように是正されるのでありますか。この点についてまず御答弁を願いたい、こう思います。

第75回国会 外務委員会 第13号(1975/04/16、33期、日本社会党)

○堂森委員 外務大臣は今回訪米されまして、日米首脳会談を終えられましてお帰りになったのでありますが、この訪米について二、三の点をお伺いしたいと思うのであります。  まず最初に、今回訪米をされました目的は何であったのか、概略御説明を願いたいと思います。
【次の発言】 それでは外相が訪米されました動機というのは、アメリカのキッシンジャーからそうした招待を受けたということが直接の動機であったのでございますか、もう一度伺っておきたい。
【次の発言】 そこで、それでは今度のアメリカ訪問で首脳会該をおやりになってどういうような意義があったと思っておられますか、この点、また伺っておきたいと思います。

第75回国会 外務委員会 第15号(1975/04/23、33期、日本社会党)

○堂森委員 ただいま提案されております国際電気通信条約について若干の質問を行いたいと思うのであります。  本条約は一九三二年に生まれまして、自来数年ごとに全権委員会議が開かれて、その会議ごとに全面改正の形式をとっておるのでありますが、基本的な規定については憲章化することはできないのかどうか、会議ごとにそうした全面改正をせずにできないものだろうか。今回の会議でもそういうようなことが論議されたと聞いておるのであるが、わが国の態度はどうであったのでありますか、まずこの点について伺っておきたい、こう思います。
【次の発言】 ただいまの答弁でよくわかるのでありますが、将来やはりそのような方向に行く方が合……

第75回国会 外務委員会 第29号(1975/07/31、33期、日本社会党)

○堂森委員 まず、外務大臣に一つの問題についてお尋ねをしたいのであります。  きょうの新聞報道によりますと、自由民主党の宇都宮徳馬氏が金日成北朝鮮主席と会談をされてお帰りになった。そして、新聞報道によりますと、その会談内容を詳細にわたって総理に報告をされた、そして総理も熱心にその報告を耳を傾けて聞かれた。それに関連をして、金日成主席が米朝平和協定といいますか、そういうような協定の促進に非常な熱意を示しておるということも宇都宮氏が話をしておられる。そして、近く総理が日米会談のために訪米をされるわけでありますが、この一連のきょうの新聞報道に関連しまして、北朝鮮の主席がそういう意向を宇都宮氏に伝えて……

第75回国会 外務委員会 第30号(1975/08/22、33期、日本社会党)

○堂森委員 私は、外務大臣に対しまして、先般行われました日米首脳会談に関連しまして、数点について質問を申し上げたいと思うのであります。  さきに三木首相とフォード大統領との日米首脳会談が終わりまして、両国の共同声明と共同新聞発表が明らかにされたのでありますが、今度の首脳会談は、日米両国の間の関係の深い多角的な国際関係の問題について、対等の立場でそれぞれの考え方を率直に披瀝されましてお互いに話し合いをされまして、そしてベトナム以後の世界情勢あるいは特にアジア政策等について、お互いに率直な話し合いをされまして、そして、太平洋二国家としての両方の国の、今後の、特にアジア政策等についての前向きの政策を……


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第76回国会(1975/09/11〜1975/12/25)

第76回国会 外務委員会 第2号(1975/11/12、33期、日本社会党)

○堂森委員 外務大臣は、明日お立ちになりまして、パリの六カ国首脳会議に出席になられる予定でありますが、時間が少のうございますから個条的に、二、三の点についてお尋ねをしておきたいのであります。  三木総理は、かねてからたびたび、南北の格差は開く一方であり、このままにしておいたら世界の平和安定はあり得ない、南北問題についてでき得るならば日本独自の提案をしたいと国会で表明しておられるのであります。外務大臣は、との会議に臨むに当たり、日本独自の案とはどういうものであるとお考えになっておられるのであるか。総理あるいは大蔵大臣も出席されるのでありますが、どういうような政府の意思統一ができておるのか、独自の……

第76回国会 外務委員会 第3号(1975/11/19、33期、日本社会党)

○堂森委員 外務大臣、お帰り早々で御苦労さんでございますが、このたびの六カ国首脳会議に出席されまして、私は、この共同宣言に目を通しまして、その共同宣言の内容を検討してみたのでありますが、その述べられておる範囲は広範囲のものであります。しかしながら、総論的に述べられておるのであって、今後これらの共同宣言に盛られた各項目が実際に実行に移されるということは容易なことではないであろう、こういうふうに想像するのでありますが、もちろん今後に問題が発展していくでありましょうし、この共同宣言が果たして実りあるものになり得るかどうかということも、挙げて今後にかかることでありましょう。  そこで、今回の共同宣言を……

第76回国会 外務委員会 第5号(1975/12/10、33期、日本社会党)

○堂森委員 外務大臣にお尋ねいたしたいと思うのでありますが、ただいま米中首脳会談の模様等についてキッシンジャー国務長官から報告を受けられ、まあ会談をされまして、その内容についてはわずかな時間でありますが、外務大臣から御説明がございました。 私は、ホノルルでフォード大統領がいたしました演説、新太平洋ドクトリンとかいろいろな呼び方があるようでありますが、この思想の基本はやはり力の外交、力というものが世界の、アジアの平和の基本である、こういう思想には変わりがないということは、いま外務大臣も言っておられたように思います。そして、アジアの平和のためには日米の協力が基本である。それは六つくらいの骨子があっ……

第76回国会 外務委員会 第7号(1975/12/17、33期、日本社会党)

○堂森委員 三木総理大臣に、与えられたわずかな時間でありますが、外務大臣の臨時代理でもあられますので、御質問を二、三の点について伺いたいと思います。  三木内閣ができましてすでに一カ年を経過いたしたのでありますが、中東情勢というものが著しい変化を来してまいりました。これはあなたが総理になられる前からの事柄でありますが、さらに続いて石油危機がまいりました。これに伴うところの国際的なインフレと不況、さらに発展途上国の力が増大してまいりまして、あなたが先般出席されましたランブイエの六大国首脳会議の大きな議題もこの南北問題であったのでありますが、さらにことしの四月はアメリカがインドシナから撤退した等々……


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第77回国会(1975/12/27〜1976/05/24)

第77回国会 外務委員会 第2号(1976/03/03、33期、日本社会党)

○堂森委員 私は、ただいまわが国の全国民に大きな関心と憤りと申しますか、大きなセンセーションを起こしておりますロッキード問題に関連しまして、外務大臣その他に、与えられました時間か三、四十分しかございませんが、質問をいたしたいと思うのであります。  まず、去る二月の十六、十七日に第一回目の証人喚問が行われました。去る三月一日、二回目の証人喚問が行われました。依然としてその真相は国民の皆さん――私たちのように国会におってこれを最初から終わりまで傍聴しておった者にもますますその真相がわからなくなるような証言の状況でありました。  そこで外務大臣にお尋ねをしたいのでありますが、このロッキードの賄賂商法……

第77回国会 外務委員会 第4号(1976/04/23、33期、日本社会党)

○堂森委員 三木総理大臣が総理として外務委員会に初めて出席をされたのであります。もっとも昨年の十二月でありますか、外務大臣の臨時代理として出席になったことはあります。この機会でありまして幸いでありますので、核拡散防止条約の審議に際しまして、一、二の点を関連してお尋ねしたいと思うのであります。  すでに米ソ両国がデタント外交を展開してまいりましてかなりの時間を経過しております。そしてSALT交渉を中心としたキッシンジャー外交が展開されてまいりました。しかし、すでに総理は御承知のように、このデタント外交も今日では、フォード大統領はそういうデタントという言葉はもう使わない、三月一日でありましたか、そ……

第77回国会 外務委員会 第7号(1976/05/12、33期、日本社会党)

○堂森委員 外務大臣に二、三の点につきましてお尋ねをしたいと思うのであります。  中国では先月の初めに天安門広場事件が起こりまして、ケ小平副首相が失脚して新しい首相に華国鋒氏が選ばれました。この事件の直後外務大臣は、この事件が日中平和友好条約の交渉を促進させるために当面よい材料ではない、こういう意味の発言をしておられるのであります。ところが、先月の二十七日でございますか、日本側から申し入れて北京駐在の小川大使が先方の外務大臣と会見をしておられるのでありますが、その会見の内容等、特に日中平和友好条約に関連してどのような話し合いがあったのでありますか、まずその点を伺っておきたい。


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第78回国会(1976/09/16〜1976/11/04)

第78回国会 外務委員会 第1号(1976/10/06、33期、日本社会党)

○堂森委員 外務大臣に、時間の制約もありますので、若干の質問を行いたいと思うのであります。  きのうお帰りになったわけでありますが、先般来は国連総会へ御出席、まことに御苦労さまであります。  そこで、非常に精力的に各国の外務大臣とお会いになっておられます。いまも報告がございました。時間がありませんから、私はまず、ソ連のグロムイコ外務大臣とお会いになった、それからもう一つは、隣国の中国の喬冠華外務大臣、この喬冠華外務大臣は、先般亡くなられました周恩来総理にかわった華首相の時代になって、また最近毛沢東主席が亡くなられた中国としては、日本の外務大臣で中国の外務大臣とお会いになったのはあなたが初めてだ……


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各種会議発言一覧(衆議院33期)

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第75回国会(1974/12/27〜1975/07/04)

第75回国会 予算委員会第三分科会 第2号(1975/02/25、33期、日本社会党)

○堂森分科員 田中厚生大臣にお尋ねをいたしますが、かつて元総理大臣の佐藤榮作さんが七年間の総理大臣在職中に、たびたび本会議の席上で言っておられたのは、健康保険制度を抜本的に改正するような計画を持っておるから一時的なこの改正案で了承をしてもらいたい、いずれ必ず健康保険制度の抜本的な改正をやる予定であるのでと、こういう答弁を私は少なくとも三回ぐらいは佐藤内閣の七年間に承っておるのであります。その後田中内閣になっては、そういうふうな意味での答弁はなかったと記憶しておるのであります。いまの三木さんの内閣になってからまだ短期間でありまして、そういう意味での答弁があったということは記憶いたしておりません。……



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※このページのデータは国会会議録検索システム衆議院ウェブサイトで公開されている情報を元に作成しています。

データ更新日:2023/02/05

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