このページでは田辺誠衆議院議員の39期(1990/02/18〜)における国会発言(質問、答弁等)をまとめています。国会活動の統計や役職、質問主意書の数や内容は39期国会活動統計で確認できます。
○田邊誠君 私は、日本社会党・護憲共同を代表し、海部総理大臣の過般の所信表明演説に対し質問をいたします。 総理、長崎県雲仙の火山災害によって数多くの被災者が苦しみ、今、政治の力を求めております。私は、この方々に心からのお見舞いを申し上げたいと思うのでおります。 六月三日の火砕流は、死者・行方不明者四十一名の犠牲者を出しました。その後、災害対策基本法によって警戒区域が設定され、島原市と深江町の住民一万一千人が二カ月にもわたって避難を余儀なくされるという、我が国の災害史上にも例のない異常事態となっております。この激流に生きる人々にとって、一日一日が時間との闘いなのであります。 現地では、一日……
○田邊誠君 ただいま議長から御報告のありましたとおり、本院議員安倍晋太郎先生は、去る五月十五日、順天堂大学附属病院において逝去されました。まことに痛惜の念にたえません。私がその日の朝、病院に駆けつけましたときは、先生の御遺体を乗せたひつぎが、国会正門前を通過して自宅に帰るため、病院の門を出発した直後でありました。私はそれを見送りながら、輝ける大器安倍先生の御霊の安らかなことを祈ったのであります。 ここに、私は、諸君の御同意を得まして、議員一同を代表し、謹んで哀悼の言葉を申し述べたいと思います。(拍手) 先生は、大正十三年四月二十九日、かつて本院議員であられた安倍寛・静子御夫妻の長男として、……
○田邊誠君 私は、日本社会党・護憲共同を代表し、宮澤総理の過般の所信表明演説に対して質問いたします。 第二次大戦後、四十数年にわたった東西冷戦の時代が終わり、対話と協調、平和共存の時代の始まりが人々に明るい希望を与えている一方、今も人類の一二分の二を超える人々が、経済の低迷、極度の格差と人権問題、民族紛争の激化、環境・資源の荒廃、人口爆発などの難問に囲まれています。この混沌とした状況の中から、人類の共生と共存を保障する世界の新しい秩序が追求され、その道を切り開く政治のリーダーシップが強く求められているのであります。 総理、あなたは、現代世界のこのような状況の中で、巨大な経済力と技術力を持つ……
○田邊誠君 私は、日本社会党・護憲共同を代表して、宮澤総理の過日の施政方針演説に対し、質問をいたします。 総理、一体どうしたことでしょうか。去る十三日、元海部内閣の閣僚であり、あなたの派閥、宏池会の事務総長でもあった阿部文男議員が、受託収賄罪の容疑で逮捕されました。続々と明らかになりつつあるこの容疑は、口に出すのもはばかるほどの腐敗ぶりであり、新年早々から国民はあきれ果てているではありませんか。 宮澤内閣発足後、初の通常国会、それをまたもや政治家の倫理問題に対する責任追及で始めなければならないことは、私自身、まことに残念であります。思えば、このような繰り返しかこの間の国政上の重大事に対する……
○田邊誠君 私は、日本社会党・護憲民主連合を代表して、さきに行われた宮澤総理の所信表明に対する質問を行います。 宮澤総理、私はあなたの所信表明を聞いて、深い失望を抱かざるを得ませんでした。今国民の間では、政治の現状について「複合汚染」さらには「複合憤怒」という言葉が語られております。それは、ロッキード疑獄以来、リクルート、共和、佐川と、とどまるところを知らない政治スキャンダルに対する怒り、それをみずからの力で正すことができないで来た、我が党を含むすべての政党政治、議会政治に対する不信、そして、私たち政治家のあり方にまで及ぶ国民の厳しい批判にほかなりません。そこに込められた国民の絶望にも似たや……
○田邊誠君 ただいま議長から御報告のありましたとおり、本院議員齋藤邦吉先生は、去る六月十八日、入院先の国立東京第二病院において逝去されました。まことに痛惜の念にたえません。 昨年の秋には、流動する政治の節目にあって元気に活躍されておりましたが、その後、体調を崩ざれ、再度の御入院の後、御家族の懸命の看護のかいもなく、八十二年の生涯を静かに閉じられたのであります。弔問にお伺いした私が相対した先生の寝顔は、大往生そのもののように安らかでありました。 私は、ここに、諸君の御同意を得て、議員一同を代表し、謹んで哀悼の言葉を申し述べたいと存じます。(拍手) 齋藤先生は、明治四十二年六月、現在の福島県……
※このページのデータは国会会議録検索システム、衆議院ウェブサイトで公開されている情報を元に作成しています。