このページでは渡辺喜美衆議院議員の46期(2012/12/16〜)における国会発言(質問、答弁等)をまとめています。国会活動の統計や役職、質問主意書の数や内容は46期国会活動統計で確認できます。
○渡辺喜美君 みんなの党代表渡辺喜美であります。(拍手) アルジェリアにおける人質事件で邦人十名のとうとい命が失われたことは、まことに残念であり、心から御冥福をお祈りいたします。御遺族の皆様には、心からお悔やみを申し上げます。 今回の事件を検証の上、国民の生命、自由、財産を守る国家本来の業務に欠けるものがあれば、それを正していかなければなりません。 在アルジェリアの日本大使館が独自の情報収集ができていなかったことが明らかになりました。外国政府の情報にばかり頼るのではなく、我が国自前のインテリジェンス機能を強化する必要があると考えますが、総理のお考えを伺います。 次に、現在の犯罪被害者支……
○渡辺喜美君 みんなの党代表渡辺喜美です。(拍手) 間もなく、三回目の三・一一がめぐってまいります。亡くなられた方々には心より御冥福を申し上げるとともに、被災された皆様には一日も早い復興の実現をお誓い申し上げます。 安倍内閣の高い支持率は、円安、株高に象徴されるように、長期デフレが終わり、日本が成長経済に戻っていくことへの期待感からくるものが大きいと思います。 長引くデフレは、国力をそぎ、後世代にツケを回し、若者からチャレンジ精神を奪い、格差を拡大させてきました。 みんなの党は、デフレ脱却の処方箋として物価安定目標を掲げ、そのための日本銀行法改正を、結党以来、訴えてまいりました。 物……
○渡辺喜美君 みんなの党代表渡辺喜美であります。(拍手) 初めに、台風二十六号による被害で亡くなられた方々に心からお悔やみを申し上げるとともに、行方不明の方々の一刻も早い救出をお祈りし、被災された皆様に対し、お見舞いを申し上げます。 安倍内閣が誕生し、十カ月近くが経過をいたしました。外から見ておりますと、世論の支持率も高く、絶好調の一語に尽きる感じがいたします。 その背景には、長引くデフレから脱却していく光が見えてきたことであります。安倍内閣は日本を衰退国家から再び右肩上がりの成長国家にしてくれるのではないかと、国民の多くが期待をしているからでありましょう。 みんなの党が結党以来訴えて……
○渡辺喜美君 みんなの党代表、渡辺喜美です。(拍手) まず、冒頭、会派問題で、伊吹議長、逢沢議運委員長初め各会派関係各位の真摯な御指導、御助言を賜り解決を見ましたことを、心から感謝申し上げます。 冷戦が終結して二十五年近くがたちました。 フランスの政治学者レーモン・アロンの定義では、冷戦とは、平和も不可能であるが、戦争も不可能な時代です。ポスト冷戦時代は、平和も可能となりましたが、戦争もまた可能となったということであります。 そうした時代においては、日本が、平和を守るため、一人前のプレーヤーとして国家戦略を持ち、さまざまな課題に対処していかなくてはなりません。 算命学の大家、高尾義政……
○渡辺(喜)委員 みんなの党代表渡辺喜美でございます。 きょうは、安倍総理に、それほどしつこくはお聞きいたしませんけれども、何点かお尋ねをしたいと思います。 まず、このよく使われるグラフでありますが、これは過去一年の日経平均株価の推移ですね。昨年の十一月から急激に右肩上がりになっています。これはなぜかというと、野田総理が解散宣言をした日からなんですね。まさしく、次は安倍政権だろうとマーケットは見たわけですよ。そして、当時の安倍自民党総裁は、物価安定目標、大胆な金融緩和、リフレーション政策、これを掲げておられた。 これは、何を隠そう、みんなの党が結党以来言ってきたことでございます。ぱくって……
○渡辺(喜)議員 みんなの党、日本維新の会を代表して、国家公務員法等の一部を改正する法律案、みんなの党、民主党、日本維新の会を代表して、幹部国家公務員法案について、提案理由を説明いたします。 公務員制度改革は、かつて第一次安倍内閣で本格的にスタートをした課題であります。私は、第一次安倍内閣で規制改革・行政改革担当大臣を拝命いたしましたが、当時の安倍総理は、公務員制度改革に本気で心血を注がれていました。だからこそ、私も本気で改革に取り組み、安倍総理のリーダーシップのもと、各府省の天下りあっせんを全面禁止し、試験区分や採用年次という身分による人事をやめさせる法案を成立させるに至りました。 残念……
○渡辺(喜)議員 端的に申し上げますと、国家経営にイノベーションが働かなくなってしまった。やはり国家経営も企業経営と同じように、イノベーションがなくなりますと衰退の一途をたどるようになります。 ベルリンの壁が崩壊をしたのが平成元年、そこから先は社会主義の国が消えてなくなって、世界じゅう大競争の時代に入ったんですね。しかし、日本だけが中央集権で統制型のシステムを相変わらずやり続ける。そうすると、どうしても世界の大競争についていけなくなってしまうという事態が起こり始めました。九〇年代の半ばには、もう既に世界経済が一体化を始めていたわけですね。結局、若手官僚がそういった危機認識を持って企画立案を、……
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