このページでは野田毅衆議院議員の43期(2003/11/09〜)における国会発言(質問、答弁等)をまとめています。国会活動の統計や役職、質問主意書の数や内容は43期国会活動統計で確認できます。
○野田(毅)委員 野田毅でございます。 私も、この調査会がスタートする最初から参加をさせていただき、途中で少し出入りもございましたのですが、まず、中山会長には敬意を表したいと思います。 もう既に、先ほど来幾人からもお話がございました。私は、現行憲法につきましては、少なくともこの生い立ちについて詳しく論ずることはないと思います。率直に言って、暫定憲法的性格があったと思います。したがって、本来ならば、日本が独立を回復したときにきちんと改めてその時点でしておくというのが筋論であるということが一つであります。 それからもう一つは、先ほど伊藤委員からも御指摘がありましたけれども、もうかれこれ六十年……
○野田(毅)小委員 辻山参考人、貴重な御意見、どうもありがとうございました。限られた時間ですので、お伺いしたい点はたくさんあるんですが、ポイントを絞ってお伺いしたいと思うのです。 ちょうど五年前、地方分権一括法のころに私が担当の自治大臣をしておりまして、反省も込めたり、いろいろな複雑な思いがあるんです。 特に今、合併問題、全国各地で大変苦労しているんですが、そもそも合併は、財政問題からアプローチするのではなくて、地方分権一括法に基づいて、地方の自治体の行政責任が飛躍的に重くなっていくんだ、それだけに、そうした行政の責任を考えた場合に、今までの人材であったり今までの行政のシステムで果たして対……
○野田(毅)委員 三点ほど申し上げたいと思うんです。 一つは、集団的安全保障への参加の問題なんですけれども、率直に言って、この日本国憲法ができた時点というのはまさに日本は被占領下に現にあったわけで、しかも国連から見れば旧敵国でもあったわけですから、その旧敵国で、無条件降伏してGHQの管理下にあった日本が、国連のために汗をかくなどという発想は最初からなかったということだと思います。そういう意味で、いわば国連軍への参加ということは日本国憲法の想定外の話であったということがまずあるんじゃないか。 そこで、今改めて、世の中の状況がうんと変わりまして、では、この憲法のもとでその集団的安全保障への参加……
○野田(毅)委員 いよいよ、この憲法調査会ができてもう五年になるわけでございますけれども、中山会長には、大変御苦労さまでございました。 現在の日本国憲法が国会に政府から提出をされて、そして貴族院で修正されて成立するまで、国会における審議期間が百八日間でできたわけです。この憲法調査会だけで、もう五年になるわけであります。やはり外圧がなければ、日本は自分の国のことを自分たちで決められないんだろうか。 日本が独立を回復したのが昭和二十七年の四月二十八日、サンフランシスコ講和条約が発効して、GHQが閉鎖になりまして、名実ともに独立を回復しました。もうそれから五十年以上も経過をいたしております。中身……
○野田(毅)委員 三先生には、大変お忙しい中、貴重なお話をちょうだいしまして、ありがとうございました。 あとの時間が大分迫っておるということで、今、土井委員が私の部分を半分ぐらい食ってしまったような気がしますので、お伺いしたいことはいろいろあったんですが、大分はしょって聞きたいと思うんです。 ただ、今のやりとりを聞いていまして、武村公述人が、時計の針を後戻りさせないでくださいという話があったんだけれども、何か五十五年前のときに逆戻りしたようなお話が今ありまして、随分残念なことだなという思いをいたしております。 表現が悪いんですけれども、やはり当時は、中曽根先生がおっしゃいましたように、無……
○野田(毅)委員 二点申し上げたいと思うんですが、第一点は、天皇の地位という問題と皇位継承の問題は別問題だと思います。したがって、憲法論議、これは、天皇の地位なりということを国の形としてどうするかということでありますから、この問題と皇位継承のお話とをごっちゃに同時に論ずるということは、少し違うんじゃないか。そういう点で、現行憲法が継承については別途皇室典範ということで論議をそちらに譲っていることでありますから、ここはやはり天皇の地位ということに限定をすべきじゃないかと思っています。 それはなぜかというと、二点目に関係するんですが、天皇の地位ということは、一にかかって私は権威そのものであると。……
○野田(毅)委員 二つの視点から申し上げたいと思うんです。 第一点は、先ほども御指摘がありましたけれども、この憲法制定の背景、いろいろな背景があると思うんですが、やはり、公権力をもってしても侵し得ない基本的人権、そういう公権力対個人という対立概念の中でかなりきちんとしたことが書かれているけれども、一方で、いわば人権対人権といいますか、公権力ではない中での調整が今非常に必要になってきているということが端的にあらわれていると思います。 そのうちの一つで、これはなかなか難しいことではあるんですが、特に報道の自由に関連して、これはいろいろな形で、どこまでいけるのかわかりませんが、表現の自由とプライ……
○野田(毅)委員 改正条項について、国会における衆参両院三分の二というハードルが大変高かったということが、歴史的に見て、実際に我が国における憲法改正を具体的に阻止するという形になってきたというふうに私は認識をしております。 それは、ちょうど、我々、昭和四十七年の暮れの総選挙で初当選したのですが、翌年、田中内閣で唐突に小選挙区制度の話が浮上したのですよ。そのときに、もう渡部恒三先生はいなくなったのですけれども、時の田中総理から直接我々が聞かされたことは、保岡さんも御記憶かとは思うんですけれども、最大のねらいは憲法改正だったのですよ。 当時の政治状況は今と違いますよね。今は小選挙区になれば自民……
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