このページでは中山正暉衆議院議員の42期(2000/06/25〜)における国会発言(質問、答弁等)をまとめています。国会活動の統計や役職、質問主意書の数や内容は42期国会活動統計で確認できます。
○中山(正)議員 先般の当委員会の審議に際しまして、参考人に来られました佐藤勝巳氏の証言がありました。その証言に関しまして、当委員会理事の皆様にお願いをして、私も当委員会の委員長を務めたことがございますし、私も三十四年間の国会議員、連続十一回当選させていただいております者として、私の晩節を汚すわけにもいきませんので、ここで理事各位にお願いをし、今委員の皆様方の御許可を得まして、また委員長の御配慮をいただいて、発言の機会をお与えいただきましたことに心から感謝を申し上げたいと思います。 実は、前の委員会、十二月の十日に平沢勝栄議員が御質問になりました、「北朝鮮のスポークスマン、応援団になったのが……
○中山(正)委員 御配慮いただきまして感謝をいたします。自由民主党の中山正暉でございます。 私は、三十二年間この国会に籍を置かせていただいておりますが、直接こうして国会の議場、委員会の場で憲法の問題を語れるようになったということに大変時代の推移を感じますし、世界の平和に貢献をする機会をどんなふうに国会がつくるかというためには、有意義な時代が来たと思っております。 ただ、むなしいのは、五年間論議をしても、改正案はつくらないということになっている。私は若いときから改憲論者でございまして、何としても日本独自の憲法というものをつくらなければいけない。 特に私は、これからの国際社会を見ますと、アジ……
○中山(正)委員 私は、この日本の憲法問題、戦後五十六年置いておかれたという中に、どうしても米国の情報公開法で明らかにしていただかなければいけないことがあると思います。 今、世界情勢も大変な時代に来ましたが、日本というのは、冷戦構造の中で、アメリカとソ連と中国という、特にアメリカは、一九四九年、朝鮮動乱の一年前に、日本の経済力で中国を支援して、ソ連と中国の分断を図るという秘密文書、これは一九七五年に公開されております。ですから、情報公開法で、アメリカは日本に憲法を押しつけた、これはもう明々白々。 日本では、一番最初に憲法改正案を提案されたのは昭和二十四年、日本共産党が一番最初でございます。……
○中山(正)委員 十分間の時間をちょうだいして、意見を申し上げてみたいと思います。 憲法の前文についてでございますが、「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、」その次でございますが、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、」という文章があります。 中央教育審議会の委員をしておられた、脳生理学の日本の権威、故人となられましたが、時実利彦先生は、京都大学の教授もなさり、東大の教授もなさり、それから日本霊長類研究所の所長をしておられた方でございます。この方とある講演会の控室で面と向かっておりましたときに、中山さん、私の今までの脳生理学的、……
○中山(正)小委員 現憲法は、アメリカが日本に押しつけた憲法なんですが、アメリカが日本にこの憲法を押しつけたときには参議院はなかったと聞いています。昔の貴族院を懐かしむ人たちが、何とか参議院をつくってくれということで申し入れ、不思議なことに、マッカーサーはこれだけは言うことを聞いて、参議院をつくってしまった。今、与野党が、参議院の場合は薄氷を踏むような状態でして、何か参議院の参というと、降参の参という字に私なんか見えるんですが。 先生、私、実は十一日に虎ノ門ホールで行われた建国記念日に、私が開会の辞をやったものですから、小泉総理大臣の前で、今月十八日に米国大統領ブッシュさんが来るのならば、ブ……
○中山(正)小委員 もういいところは大分出てしまいましたので、大変お時間をいただいて、きょうは御苦労かけております。 私、今現在、自民党の選挙制度調査会の会長をやっておりまして、初代が羽田孜、今は民主党の方へ行きましたが、彼が最初に説明に来たときに、二大政党をやるんだ、こう言ったんですね。あなたのところは、それは浅間山の煙を見ながら、馬子唄聞きながら、山の向こうが自民党、山のこっちが自民党で、二つに分けたら両方とも自民党が出てくるなんて考えてもいいかもしれぬけれども、私のところは、大阪城の見えるあたり、ど真ん中ですから。 私が最初出たときには、民社党の西尾末広先生、それから社会党の井岡大治……
○中山(正)小委員 私は、昭和四十四年から国会におらせていただいておりますが、その中でちょっと疑問に思ったことをこの際指摘しておきたいと思うんです。憲法九十八条の二項、「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。」 日中条約のころのことなんですが、日中条約というのは、御承知のように、一九五二年から日本と中華民国との平和条約がありました。これは、一九七二年、廃棄されるときに、大平外相が記者会見で廃棄したんですね。これは永久条約で、期限がなかった。私はそのときに非常に疑問に思って、一秒間の国会審議にもかけずに永久条約を廃棄するとはどういうことかと疑問に思……
○中山(正)小委員 きょうはまことにありがとうございます。 クリーム色のスーツがよく似合う若武者のような先生から、温故知新、まさに古きをたずね新しきを知るという感じです。 私は十三歳まで明治憲法のもとで成長してまいりました。いろいろな時代がありましたが、グナイストに伊藤博文が指導を受けに行ったときに、維新後の日本はどうして運営していったらいいだろうかということを聞きましたら、あなた方の村々町々には氏神様があるじゃないか、その氏神様の先祖が天皇陛下だということにして、天皇親政をやれ、むしろ天皇で日本の明治維新以後の人心をまとめる役割をしてはどうかということをサジェスチョンをいただくといいます……
○中山(正)委員 まず、私はお願いをしておきたいことがあるんですが、昭和三十九年まででしたか、内閣に憲法調査会というのができまして、倉庫いっぱい資料がある。その資料が欲しいのです。 私は、国会で論憲という不思議な委員会ができまして、そんなのんきな世界情勢じゃないんじゃないか。特に、「超限戦」という、中国の王湘穂という人と喬良という空軍の大佐がオサマ・ビンラディンの事件を六カ月前に予言したという、その予言の根底というのは、これからは世界じゅうが戦場になる、それから軍人以外が軍人になるという本を書いたんですね。これは日本でも出版されています。最近本屋へ行ったら、もう姿を消していますが、実に、現役……
○中山(正)小委員 先生、御苦労さまでございました。中山正暉でございます。 非常に高度な御解析をいただきましたことに心から敬意を表しますと同時に、きのう、きょう質問してくれというお話をいただきましたので、私といたしましては、昭和三十八年に私は地方議会からスタートしまして、およそ四十年間、国会に出していただいてから三十四年がたっておりますが、その間の自分の経験をもとに物を言うことしかできないのかな、こう思っております。 まず、私は、日本の政党の始まり、これが憲法と言えるかどうかは別にして、十七条憲法の第一条には、人皆たむろありと。たむろという字は、党という字を聖徳太子は書いておられます。人皆……
○中山(正)委員 日本は、幕末には大名の数は二百七十四人しかいませんでした。それから、地方に領地を持っている旗本が大体大きなところで三十家ぐらい。年末、総理大臣にも私、自民党の都市対策協議会の会長という立場で話をしたんですが、総理が、あっ、それで三百諸侯と言うんですねという話でした。 今は、しかし、三千二百十七の自治体、市だけで六百七十一、過疎市町村が千百七十一、そういう非常にバランスの悪い、特に自分のところを言って悪いんですが、私も政治家としての出だしは、大阪市会議員が出だしでございまして、昭和三十八年でございましたが、そのときから、大阪府、市はもう逆転現象が起こっているんですね。大阪市の……
○中山(正)委員 自民党の中山正暉でございます。 法哲学者のヘーゲルという人の言葉に、神は世界を統治する、その統治の内容、その計画の遂行、それが世界史であるという大変意義深い言葉があるのであります。私は世界連邦主義者でございまして、世界連邦というものができることを夢見ておる一人でございますが、今のところの国連に満幅の信頼が置けるかというと、私は、そうではないように思います。 それは、過去、私も国会に出していただいて三十四年になりますが、かつて、四十年ぐらい前に、まだ国会に出る前でございましたが、この議員会館に、チベットの隣にありましたシッキムという王国の王女様が来られて、カンパ族という族長……
○中山(正)委員 昔、共産党の榊理論委員長と正森成二議員と、それから自民党側から私と石原慎太郎、この四人でNHKの三分間討論会というのをやったことがあるんです。前日にNHKの方から何を質問するかという問い合わせがありましたので、私は愛国心について問いたいということを言っておきました。実はこれは、中身は天皇制をどうするかという意味を持たせていたんです。 討論が始まりまして、真ん中に電球がついて、その電球のついている間発言をするんですが、それが三分間。私に、中山さんから愛国心について共産党に質問されるということですが、どういうことでしょうか、御発言願いたいということでしたので、私は、それでは愛国……
○中山(正)委員 自民党の中山正暉でございます。 ヘーゲルという人の言葉に、「神は世界を統治する、その統治の内容、その計画の遂行、それが世界史である」という言葉があります。一七七六年にアメリカは独立をしまして、五十の種族による二百二十七年間の今、アメリカの歴史が経過しました。 アメリカというのは、いわゆる世界統一の縮図だと私は思います。今、世界の軍事費の三七%、ことしだけでも四十四兆ばかりの軍事費を使っております。アメリカは世界戦略のためにその時々政策を転換してきたのは、これはもう当然のことと思わなければなりません。 例えば、第二次世界大戦の最後に、ビルマ、今のミャンマーにハーレーという……
○中山(正)委員 自由民主党の中山正暉でございます。 この中にももう戦争体験のないお若い先生方は大勢いらっしゃいますが、私ですら、ことし七十一、戦争が済んだときに中学一年生でございました。私は、大阪で、B29が頭の上から、一万メートルも上から爆弾を落として、そして焦土と化していくその町の中で、私は生駒山という山の下に疎開をしておりましたが、市内の中学校に通っておりましたので、焼夷弾が降ってくる中、爆弾が降ってくる中、スリルを味わうみたいな形で、空襲警報が鳴ると学校を出て家まで歩いて帰る、そういう生活をしておりました。 私は、情緒論でまことに恐縮でございますが、私は自由民主党ではございますけ……
○中山(正)小委員 きょうは小川先生のお話でしたので、私も事前に知っていたら質問をしたかったなと思うんですが。 ひとり言になりますが、きょうは災害の問題と防衛の問題というのをごちゃまぜにしている。結局、敵からの攻撃があれば、それが自然災害と同じような大災害になるんだから、その辺では一致するのかなと思いますが。 私はかつて、三木内閣のときでしたが、核拡散防止条約、そのときに、日本としては当然のことだという自民党の方針に従いまして賛成討論に立つことになったのですが、私は、おかしいなと。五つの国だけが原爆を持って、そしてほかの弱小国が持つというと、それは査察の必要がある、人の懐はのぞかせろ、おれ……
○中山(正)小委員 やはり、日本が思う国連に対する失望感みたいなものが最近大変きついんですね。 さっき、朝鮮動乱のときの国連軍の話がありましたが、これは十六カ国、そのとき中国は国連に入っていませんし、ソ連が拒否権を使ったということで、十六カ国のいわゆる朝鮮動乱の国連軍ができたんです。 ここに江藤淳さんの「日米戦争は終わっていない」という本があるんです。江藤淳さんはお亡くなりになりましたが、この中に、占領のときに日本に占領政策を、いわゆるSWNCC、占領委員会。これは、ステート・ウオー・アンド・ネービー・コーディネーティング・コミッティーという、SWNCC。この文書の第一号というのが今でも国……
○中山(正)小委員 自由民主党の中山正暉でございます。 参考人がいらっしゃる間に聞ければよかったなと思うことなのでございますが、将来のことで。 最近、国連という名の神話という、色摩さんですか、外務省、今浜松大学の教授か何かやっていらっしゃる方、この方が国連という名の神話という、ほとんど国連を神話扱いされている本が出ていまして、私は、将来、常任理事国同士が対決をした場合、一体どんなになるのかと。 例えば、今回の北朝鮮との話し合いの中にも、韓国も国連に入っていますし、日本も国連に入っていますが、アメリカ、中国それから北朝鮮という関係での話し合いになってしまっています。この北朝鮮、百九十一カ国……
○中山(正)小委員 自民党の中山正暉です。 いろいろ議論を聞いていまして、日本は本当にタイミングをすべて逸してしまったなと思います。 自民党の方でも、国会議員のときには憲法改正をおれが総理大臣になったらすると言っていた人がいて、総理大臣になると、おれの在任中は改正しない。その繰り返しで、野党は野党で、冷戦構造で二つの対立点があった中で、日本にこういう武力を持たないという憲法があった方が革命がしやすいだろう、そういう魂胆と言っていいと思いますが、いわゆる敗北主義といいますか。 国際主義と愛国主義、これは「毛沢東語録」の中で私がいつも大変興味を引かれることなんですが、自由主義国に生きる共産主……
※このページのデータは国会会議録検索システム、衆議院ウェブサイトで公開されている情報を元に作成しています。